こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです
暫く遠くへ行っておりました。アップできず申し訳ございません。
さてミミが遠くへ行っている最中も、田沢湖は大変なニュースに、盛り上がっておりまして・・・。
玉川の温泉水(強酸性)が田沢湖に流れ込んでしまった為に、死滅してしまったとされる国鱒が山梨県の西湖でさかな君により発見されたというニュースが日本中をかけめぐっております。
もう田沢湖は感激一色に包まれております。
田沢湖は過去、漁業で身を立てる程の漁猟を誇り、大変豊かな湖だったそうです。
湖畔の杜レストランORAEの砂浜の辺りも、過去は船着場になっていたようです。
そのような中、玉川疏水国営開墾事業と電源開発を目的(国策)として、豊富な水量を誇る玉川の水を田沢湖に導入(玉川河水統制計画)する事が決まり、昭和14年に酸性に傾いた水が田沢湖に放水されたわけです。
これがそもそもの根源なのですよね。。。。
当初は田沢湖の水で酸性水を希釈するという事だったようなのですが、どんどん酸性化が進みとうとう生き物が生きられる湖ではなくなってしまったという事です。
漁で生計をたてていた当時の漁業関係者は、玉川の温泉水が流れ込んだら魚は死滅すると確信していたようで、山梨の西湖と北海道の湖の両方に国鱒の卵を託したとの事。
その時の漁民の想いは「いつか田沢湖が蘇生したらこの国鱒が田沢湖に戻ってこれるように」というところにあったようです。
その想いをくんでという事ではなかったようですが、生き物がいない湖という悲しさとかつての豊かな湖に戻したいという想いの中で、賞金をかけて国鱒探しをしたものの、その時は発見されなかったのです。
しかし、今、このタイミングでこよなく魚を愛すさかな君によって、田沢湖から命分けされた国鱒が脈々と西湖で命を綱いてきた事が明らかになり、本当に私たちは感激で一杯です。
「湖を守る、生き物を守る」という先人たちの長年の想いが再び現在の私たちに伝えられているようで、今この時こそ玉川からの導入のありようを考え直すべき時なのではないか、真剣に考えよとつきつけられたような想いが致します。
国鱒は水温の高いところでは生育できないという事もあり、国鱒の命分けをする為に相応しい湖を探し、そして育んで頂くところまで段取りをつけた先人たちの想いを知る事になり、ミミは感激で胸が一杯になりました。
事あるごとにお話をしているつもりですが、ORAE前のしら浜の鳴き砂も玉川の温泉水によって鳴かなくなったと言われております。この砂を鳴き砂に戻すという事も勿論あきらめてはいない訳ですが、ここにきて幻の魚 田沢湖の国鱒が西湖で生きていた事を知り、絶対諦めてはならない「念ずれば花開く」の想いを強くいたしました。
これから山梨の西湖とは姉妹湖のような関係に発展していくのではないかと勝手に未来を想像しておりますが、西湖と当時の西湖の関係者の皆さんに、とにかく深く深く感謝をしたいと思います。
感激のあまりながくなりまして申し訳ありません^_^;
是非、皆様にも今後の動向に注目をして頂きたいと思います。
最初の賞金は100万円でしたが・・・・
想い強く、なんと賞金が5倍に・・・・