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五月最後の週末,大浦半島の瀬崎海岸,田井漁港を訪れた後は,目的のとある場所へやってきた.現道にオートバイを停めてから,山に向かって歩くこと30分ほどで,辺りは鬱蒼と生い茂る緑の楽園へと変わった.
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さらに,この緑のトンネルの下を進んで行くと,背丈よりも高い石塁の続く道へと出た.そして,石塁の先に現われたのは,コンクリートで入り口を封鎖された遺構のようなものだった.
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まわりに人の気配は,全くなくて,聞こえてくるのは鳥のさえずりだけだった.晴れているものの,日光は生い茂る木々で遮断されていて,ここだけが,薄暗い緑色の世界となっていた.
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遺構の先には,まだ道が続いており,先ほどよりも立派な石塁が高くそびえ,その先には扉や格子窓のあるレンガ造りの建屋が,ひっそりと佇んでいた.かなり独特な景観で,まるで映画の世界にいるような錯覚に陥るのだった.
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レンガ造りの建屋の正面に来てみると,とても重厚でしっかりとしたものであることがわかった.これは,明らかに明治・大正時代に建てられたもので,かなり保存状態のよいことが伺えた.しかし,この扉を開けてみようという気は,起きなかった.
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そして,この建屋の右手には,もうひとつの遺構が,ぽっかりと真っ暗な口を開けて待っていた.内部は暗いが,すぐに行き止まりとなっていることがわかった.少しだけ中に入って,様子を見てみることにした.
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色あせてしまっているが,内部もしっかりとしたレンガ造りとなっていた.建築当時は,鮮やかなレンガ色に輝き,さぞ美しかったことだろう.それにしても,内部はまさにすっからかんで,当時を偲ぶよすがもない状態だった.
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この大浦半島のある舞鶴湾は,1897年頃から,日露戦争に備えて,海軍の軍事拠点が建設された場所である.そして,何を隠そう,この遺構群は,海軍の軍事拠点の防衛を任とした陸軍,舞鶴要塞砲兵大隊の軍事設備のひとつだったのだ.敷地内は,思ったよりも広く,もう少しだけ探検してみることにした.
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