
ここは,今から100年以上前,舞鶴港の海軍施設の防衛を任務とした陸軍,舞鶴要塞砲兵大隊の軍事設備跡のひとつである.かつて,この場所以外にも数十か所の防衛拠点があり,総称して舞鶴要塞と呼ばれていたそうだ.

明治時代の建屋なので,レンガのほとんどが色あせてしまっているが,部分的に紅色のままのレンガも残っていた.この美しい紅色のレンガに触れてみると,とてもひんやりとしており,火照った体に妙に心地がよかった.

敷地内のさらに奥へと進んで行くと,緑のなかに埋もれかけている遺構もあった.内部を確認して見ると,他の建屋と同じように落ち葉が入り込んでいるだけで,がらんとしていた.ただただ,その保存状態の良さに驚くばかりだった.

この舞鶴要塞跡地は,映画のロケ地として使用されることも多いらしい.それに,貴重な歴史遺産として,舞鶴市の方でしっかりと管理されているに違いない.それでこの様に,きれいなままであるのだろう.

そういう訳で,廃墟ではなくて,列記とした遺構であるため,気味が悪いという様な気は全然しなかった.むしろ,100年以上前の日本を垣間見るような気がして,とても不思議な心情を抱くのだった.

遺構の脇には石段があって,遺構のちょうど天井真上部分に当たる一段高い場所へ登れるようになっている.石段を登った先は,小さな広場となっており,段積みされた石板を確認することができる.

まわりには石で出来たベンチもあって,休憩できるようになっている.これらが当時のものか,当時を再現したものかの判断は付かない.そして,視界の先には,大浦半島のちょうど北側にあたる若狭湾の青い海が広がっている.双眼鏡を覗きこむ兵隊さんの姿が,自然と頭に思い浮かぶのだった.

かつては,ここで敵艦の襲来を想定して,演習などが行われていたのかもしれない.海軍として太平洋戦争に出兵した今は亡き私の祖父が,南方での体験談をよく聞かせてくれたことを思い出し,少し目頭が熱くなるのであった.

大浦半島は,山と海に恵まれた自然豊かなところであると同時に,昔の日本のかおりが残る場所でもあった.そして,緊急事態宣言解除後の3カ月振りに見る海だった.
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