ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

ベリーダンスにヨガ、深層美容術、トータルであなたの人生をサポートします。新しい自分を再発見してみませんか。

Dalia Carella大先生のWorkshop

2009-11-02 23:36:02 | 日記
Dalia Carella先生のworkshopに2日間いってきました。Dalia先生の伝統的なものへの敬意と、現代的な動き、舞踏への真摯な取り組みに感動しました。明日はいよいよ九段会館大ホールでの来日記念公演です。Dalia先生は”新しい先生と入門から始める。自分は常に新人!マスターではない!エゴを捨ててください!常に自分よりうまいダンサーは存在している!先生は神からの贈り物”とさりげなくお話してました。”ただ振り付けを学ぶというのでなく、音楽にまずのることを学ぶ。音楽の意味を知り、練習し続けること、のりを感じてください。”とてもすばらしいWorkshopsでした。

携帯電話が使えない!

2009-11-02 23:14:48 | 日記
8月にiPhonを購入し今までの携帯も一緒の使っていたのですが、アドレスや電話番号も移せて、写真も動画も撮れて音楽も聞けて、メールもできるようになったので、今までの携帯と番号にさよならをしたとたん、東京へ行く電車の中で、画面が固まり、動かなくなり、スイッチが切れないまま、充電が切れてしまいました。ゆうべ遅く帰り、充電したら又同じ、、、アップルマークがでて、、明日iphonショップにいきます。このブログを見た人明日iphonn使えるように祈ってくださーい!

土曜日のダイエットコンテスト

2009-11-02 00:50:05 | 日記
縁のあったハンサムな筋肉マンの先生が、サプリダイエットに誘ってくれた。私は長ーい間、食生活による健康づくりを勉強してきました。その結果、玄米と季節の野菜、海藻類で、5人の子供を安産で産み、病気もせずに育ち、私も56歳の今のところ問題なさそうですので、サプリメントなど特別なものは、いらないのです。と信じています。人相学や手相などちょっと学びましたが、人の顔も手も足の裏も内臓のいろいろな所とつながっているようで、ひとの顔を見ればだいたいの健康度がわかります。お金をかけてサプリメントを飲んだり、エステティっクに行く前に、健康的な食生活を築き、継続し前向きに労力を惜しまず良く働けば、皆スマートになり、すきなことをすきなだけやって幸せな人生が歩けると思うのです。でも
人間て、生身で好きなものだけ食べ過ぎてしまったり、愛されたい病で酒を飲みすぎてしまったり、太りすぎたり、痩せすぎたり、血液が汚れて病気になったりします。そんな人には、本当に良いものであれば、サプリメントも手軽で効果があれば、必要かもしれませんね。でダイエットコンテストに戻りますが、その会社のダイエットサプリは全部食べ物からできてるそうで、私も飲みましたが、赤ちゃんのミルクのようで、おいしかった。グランプリの方は3カ月で10キロ痩せてウエストが23センチ細くなったそうです。3か月前が99センチのウエストだそうなので、すばらしいおデブちゃんだったのですね。ちなみに私は4センチ、ウエストが減り2キロ体重が減りました。私の身長165センチでウエスト60センチなんて目指すべきだったかな。私は人前に肌をさらすお仕事をしているのでこれからハンサム筋肉マン先生にご指導頂き、ウエスト60センチ目指しましょう。あと私が毎週日曜日にベリーダンス教室のため行っているリフレッシュ断食道場は道場長の谷先生の指導のもと確実に皆つるつる肌になり、美しい笑顔になって帰っていきます。今度体験者の方にインタビューして、わたしがご紹介します。

すてきな命 vol.63

2009-11-02 00:20:01 | すてきな命
私が桐生から高崎へ来た頃、もう20年位前になる。はじめて旧碓氷峠方向へ子供たちとドライブした。霧積ダムの、ダムサイドの上で一人暮らしをしているおじいちゃんがいた。山の水が畑の池に注がれ、わさびが育つ。畑は整然と手入れが行き届き、その周りには柿やりんご、みかん、いちじくの木が並び、そのすみに小さな小屋ががあった。”こんにちは”と声をかけて、その家をのぞくと、”おじいちゃん”らしき人が、背中を向けたまま振り向いてくれなかった。後日、誰かに、ダムの下に沈んだ地に住んでいた人だと聞いた。自分の生まれ育った地がダム湖の底になる。こんな悲しみは、立場を経験した人でないと、わからないと思う。何年かして、私はまた、そのおじいさんの所へ行った。近くにパトロールしていたパトカーがいたので、おじいさんのことを聞くと、何年も前に亡くなったと言う。5年位前私は友達と二人で高崎から霧積温泉まで自転車で行った事がある。霧積ダムは土砂に埋もれていた。そこで私は水浴びをし、おじいちゃんの住んでいたところ見上げた。本当に必要なダムだったのだろうか。
2003年平成15年7月17日木曜日
坂口せつ子
高崎市民新聞より転載