私は子供を5人も産んでおいて、子供達にたくさん苦労をかけて生きてきた。乳飲み子を含めた4人の子供を連れて離婚をし、そして自分の理想の男性との間に子供を産み、その男とも結婚しないで自分のしたいこと、自分の可能性を信じて夢見て生きてきた。その20年前、あえて小さな家を借り、暮らし始めた頃、毎朝、家の前を通る10歳、小学4年生の女の子を頭に、計5人の小学校へ向かう子供たちがいた。私は”おはよう”と声をかけ、仲良しになった。すると毎朝、毎夕、家の前に来ると”おばちゃん”と皆で声を合わせて挨拶してくれるようになった。それはその後、4年生の彼女が6年生になるまで続いた。お母さんが家を出て、よその男性と結婚してしまい、お父さんと暮らしていた。4年生の彼女は、家事を一切こなし、弟や妹の面倒を見ていた。1年生の妹が7歳だというので、私の7歳の時の着物を着せてカメラを持たせ、護国神社に子供たちだけで行った。成人になった彼女にスーパーで会った。彼氏ができて、成人式の着物は、自分で買ったという。たぶん、妹や弟とともに、一生懸命生きてきた努力が彼女を成長させた。彼女は、自信と優しさの笑顔を見せてくれた。
坂口せつ子
2004年平成16年4月22日
高崎市民新聞連載より転載
坂口せつ子
2004年平成16年4月22日
高崎市民新聞連載より転載