100人余りの東京方面からの、お客様のイヴェントで、こんなところで踊りました。みほよもみわこ、せつこは昨年やはり屋外でのパーティーで6月に踊りました。今回も気持ち良く引き受けてくれてありがとう。着替えているうちは寒かったのですが、踊り終わったあとは、汗をタオルでふくほど、体温があがりました。お客様もスタッフの皆さまも、楽しそうに見てくれました。白石カメラマンのすてきな写真。たくさんありがとう。
この衣装は2007年に数カ月、朝までテレビを見ながらスタジオで、ストーブを抱えて作りました。スカートの生地は親しい方に頂いたものですが、洋裁を習ったことのない私は、それまでのベリーを始めて7年間はフランチェスカ先生に教えて頂いたシンプルな形のものに、これでもかとビーズやスパンコールをつけて、十数着つくり又生徒さんにも指導してきました。この生地は3年くらい寝ていましたが、この年に、実は和紙による紙人形を習い始めそれがヒントとなり、折り紙方式で、”円”のスカートを作り始めました。以来応用で2重にしたり、4重にしたり、斜めにカットしたり、、、、。それまでも実はいろいろチャレンジしてもったいない事ですが、ステージでは着てない”不出来”なものもたくさん作ってきました。その無駄が役に立ち折り紙方式の応用で”白2着、ブルー2着、黒1着、レモンイエロー1着、赤変形1着、茶色1着。。作りました。生徒さんにも、作る喜びと、何かを自分で仕上げることによって、自信をつけてもらえればと思います。お金を出せばいくらでも素晴らしい衣装は手に入ります。踊りの技術や、芸術性を身につけるためにも自分の未熟さを知り、命の輝きを感謝と喜びで表現するためにも、衣装作りは、とても役に立つ気がします。この写真はフィリピンの方の経営するバーでのぞみと踊った時に、のぞみが撮ってくれました。
1975年に沖縄は返還された。沖縄のロック歌手”喜屋武(キャン)マリー”は、私と同じ1953年、米兵との間に生まれた。17、8年前、県民会館での実行委員としてアナウンスをさせて頂いた。”キャンマリー”を主人公にした映画”Aサインデイズ”も、本で読んでいた。マネージャーでもあり夫でもある方と県民会館の周りを散歩した。先入観のあったが、彼はありのままを話してくれた。”苦労をさせた。”とも言っていた。最近、近くに生協ができるというの事で営業マンが来た。彼は”キャンマリー”の実行委員として一緒に活動した懐かしい人だった。もう一度あの映画と本を見たいと言うと、ビデオを借りてきてくれた。改めて、沖縄が背負わされた歴史と、米兵の苦悩を知らされた。”キャンマリー”は、米兵にビール瓶を投げつけられた事もあったという。その後、ドラマに出演していた事、離婚した事も誰かに聞いた。”キャンマリー”の歌唱力は最高だ。17年前のあの歌声を聴きたい。24歳で亡くなった幻のロック歌手の女王”ジャニスジョップリン”も歌った。美しい穏やかな人々の住む沖縄。その歴史の中で生まれた”キャンマリー”。映画の最後に、愛は限りなく”という主題歌を歌う彼女の声が流れた。
坂口せつ子
2003年平成15年10月16日木曜日
高崎市民新聞連載より転載
坂口せつ子
2003年平成15年10月16日木曜日
高崎市民新聞連載より転載