ブログ引っ越しはまだ先です

「小物界の大物」…ちょっとひねったような物言いながら、凝縮された皮肉が実にコンパクトにまとめられた絶妙なたとえ(笑)。
はじめて耳にしたときには違和感とは全く対極にある感情、合点が行くとは正にこのことなのだな…と感心せずにはいられませんでした。
今回はまたまたつなぎの記事にはなりますが、「--界の○○」やそれに準じる表現をちょこっと収集/創作してみましたのでよろしければご笑覧くださいませ。
キモとなるのは 小物⇔大物 みたいに全く相反する物事が比喩の上では代表性に伴ってその概念を包含した矛盾になっている事ですね。リニアにつながっているところがまた面白い。
まずは字面を見た方が早いと思いますので以下に列挙します。
ブス界で一番の美女 小物界の大物 貧乏界のプリンス 不器用界の器用貧乏 老害界の若手 クソゲー界の征夷大将軍
魂胆みえみえ界一の廉直者 行きずり界一の綿密者 板挟み界のサンドイッチ 傑物界の埋没太郎 天狗界のクリリン
ガラパゴス界のユニバーサルデザイン 助け舟界の泥船 出オチ界の叙述トリック イブ界の元日 左団扇界の右利き
鉄板界のアルミホイル 番狂わせ界の本命 罪作り界のイノセンス コナン界のソフィー 不義理界の律義者 AV界一の清純派
妥協界一のアウフヘーベン 蛇足界の画竜点睛 ヒョーロク玉界の鉄砲玉 ガバナンス界の武家諸法度 おかんむり界の靴下
生返事界の押忍 お荷物界の風呂敷 ハイスペック界のセレロン カマトト界のゲスの勘繰り 根回し界の行き当たりばったり
洗練界の野趣 斜陽界の昇り竜 おバカキャラ界の生き字引 神童界の大器晩成 質問攻め界のお尋ね者 面接巧者界の渡り鳥
リズミカル界の三三七拍子 蚊取り線香界の蚊帳の外 カラオケ界の4分33秒
クスッとくるような小ネタの数々、いかがだったでしょうか。
私が把握する限りでは包含関係のみならず隣接(フレーズの片鱗一致)関係の矛盾・例外の一般化・極端な典型化・メトニミー比喩をあえて生真面目に対置する
などがありその構造は管見では全容はよくわからないのですが比喩としては非常に生産力のあるフレーム表現だと思います。
ちなみに最後のカラオケの「4分33秒」というのは現代音楽で評価の高いかのジョン・ケージが作曲した常識を覆すメタ音楽…楽譜が真っ白…つまり無音の音楽であります。
なんとカラオケもあるそうですのでちょっと興味のある方は調べてみるのも良いかと思います。
日本人ほど自国を論じる文物を好む国民はほかにいないと言われています。
最近では自国スゲー!などの風潮や外国人に二ホンを持ち上げさせる演出に辟易する人も出始める始末ではありますが、
このグローバル化の怒とうの荒波が押し寄せる時代、日本人自身も自らの在り方や生き抜き方を模索していこうとする問題意識の表れとなってこうした現象が巻き起こっているのだと理解することもできるでしょう。
まずはわれわれが出かけ前に鏡を見るように、コミュニケーションといういでたち、言語という装いをイメージし直すことから始めてみるのも新鮮な事だと思います。
今回も日本語の特徴を再認識させられる記事紹介 その1に引き続きWebから拾ってきた日本語に関する面白トピックをざっくりご紹介したいと思います。
文法・音韻から文化論まで、さらにはアカデミックなもの、果てにはダジャレも…これはという日本語のエッセンスを感じさせるさまざまな話題をとりあげてみました。
ようやく暑さも本番といったところですが、皆様体調にはどうぞお気を付けてお盆期間をお過ごしくださいませ。
[Webで出合ったにほんごトピック記事11選]
・VIPPERな俺 : 日本語(口語文法)のクソな所で打線くんだwwwwwwwwww
→古典文法には複雑/微妙/助動詞使いニュアンスを区別する豊かな機能性をもっていたのを知ってちょっとした喪失感の現代文法…
・キャラクターに応じた「役割語」〜日本語の大きな特徴にスポットを当てた〜 — リソウ
→役割語はキャストを瞭然と記号化することができて効率がいい。ただし安易なステレオタイプ化には注意が必要だ
・なぜ翻訳でステレオタイプな「女ことば」が多用される? 言語学者・中村桃子さんインタビュー - wezzy|ウェジー
→規範と抑圧は表裏一体。表現における「ステレオタイプの経済性」とどう折り合いをつけていくか
・米国人は、なぜ、石川遼くんの RYO の発音を知りたがるのか。 | げたにれの “日日是言語学”
→かなり専門的に説明してあるのだが米国人に[リョ]という発音の概念がないということ自体が驚きだ
・スノーデン氏、「Twitterのチートモードは日本語」と日本語でツイート - ITmedia NEWS
→twitterの140文字という制限の中での日本語の情報密度の高さにスノーデン氏も舌を巻いている
・日本語(大和言葉)ってひょっとして動詞の数が少なくないですか? - Yahoo!知恵袋
→動詞の体系が風通し良いのとともに、副詞やサ変動詞の味付けでいくらでも広げられるから固有の動詞を持つ必要がないのかも
・【英語学習者必見】日本語はものすご~く特殊な言葉なんです - YouTube
→英語はシラブル言語、日本語はモーラ言語。これはリスニングやスピーキングに直結してくる
・あんまり知られてない?! 日本語で外国人がくじけるとこ | ヨッセンス
→「日本人にとっては無意識レベルだけど外国人には難しい」という視点で見ると自覚的に理解でき新鮮な発見がある
・「漢字は表意文字」と教えるのは正しいのか【隙間リサーチ】 | ちりつもFILE (β
→西洋では100年前から「表意文字」と呼ぶのは不適切とされている。ならばこの記事でその組み立てを知ろう
・(728)日本語の成立モデル安本美典の日本語成立論
→樹形派生の「系統論」ではなく大河流入になぞらえた「成立論」モデルには目から鱗が落ちる
・ダジャレランキング / ダジャレ・ステーション | 面白いダジャレ(駄洒落/だじゃれ)総合サイト
→同じ文章を2回繰り返して作る「完全ダジャレ」が軒並みランクイン。ダジャレガチ勢が投稿する日本語のウルトラC
ここのところの未知語のまとめ記事がなかなか進まないので今回もお茶濁し記事でひとつよしなに…。
今回はアニメキャラやゲームキャラなどで酒を飲むと性格が変わるであるとか何かをきっかけに人格が豹変するであるとかをあらわすときに
略称・呼称として用いられている「ロボひろし」「家うまる」みたいな何らかのステイタス規定の語+人物名の複合語をとりあげてみたいと思います。
まずはとりあえず各所から集めた例を下に列挙してみます。
ロボひろし
家うまる
表遊戯
眼鏡蓮季
くしゃみランチ
コーヒーガンモ
祝福ミーティ*
未来トランクス*
殺意リュウ*
…などがその例です。
これらは普段とは違うという意味でのキャラクターのギャップ効果を狙って登場人物の背景に奥行きを与えるのに効果的な設定だと思われます。
着目定義の解説にある「ステイタス規定」の言葉通りキャラクターの性格変化ひいては状態変化や構成変化を表す語が前項についてそのキャラクターの変化要因を強く色彩づける役割を持っています。
文法的に区別しておきたい特徴としましては、規定成分の前項語が、「静かな千利休」みたいなイ形容詞・ナ形容詞の連体形をもってくる接続ではなく、
また「成金タコ社長」みたいに様態・属性的修飾成分がついて複合語をなしているものでもなく今回のケースはあくまで名詞的成分+人物名という生の接続を伴っている点があげられます。
まあ、*のつく例は名詞的であるかちょっと自信がありませんが一応ラインナップに入れておきます。
各キャラクターの人となり、豹変きっかけ要素につきましての詳しい解説は今回は割愛させていただきますのでご興味のある方は各自お調べください。
なお、「バイク本田」(こち亀)も候補にありましたが、こちらはバイクのHONDAと混同してしまいそうでしたので欄外候補にとどめておきたいかと思います。
一般的な複合語の例にもれず、「修飾部+主要部」となる構成の複合語でありながらも名詞+名詞の単純連結というよりは
「(家にいる時の)うまる」のように言外に助詞や句の省略や短縮といったプロセスが込められているというのが端的にあらわれている例であり興味深い現象であると言えるかと思います。
同じような構成のもっと広く適用できる例も多々あろうかとは思いますが、今回は人物名・キャラ名にかかる複合語の例について的を絞って考察してみました。
正式な日本語ではないのですが、動詞「違う」の口語形に「ちげーよ」というのがあります。
他にEに伸びる音便化をするものと言えば「すげー」「つえー」「ひでー」などどれも形容詞からのものがこのような性質を帯びています。
まあ、形容詞には「さみー」「わりー」「ほっそ」「でっか」「すくなっ」みたいなE音以外の変化や語幹のみを残す用法も割とメジャーではありますが懲りずに話を続けていきます。
そもそもしかし「違う」はあくまでも一般動詞(ワ行五段活用)、どこか境界をすり抜けて形容詞のようなふるまいをしているさまにはなんだか違和感をもってしまうのも無理もない話でありましょう。
これには「違う」という動詞のもつ認知的な性質が動詞のそれよりもむしろ静的な属性・様態を受け持つ形容詞の方にむしろ近い形式性をもっていることに起因しているのだというネット諸所の分析には頷けるところがあります。
さて「違う」の対置概念である「同じ」という語もこれと同様に特殊な立ち位置をもっていますが、認知的な違いというよりはむしろ品詞帰属が重層的になっているところが注目すべき点であります。
ここでは、「違う」が動詞ならばその対立概念である「同じ」も動詞じゃなきゃおかしいではないか、という直観はそれほど拘泥するほどの重要性はなく、今は捨て措いておくことにします。
(動詞「ある」の反対語「ない」は形容詞であるように、対立概念同士が品詞を異にするというのはそれほど珍しい事ではありません)
「同じく」という言い方があることから「同じ」はもともとシク活用の形容詞としてルーツがあり連体形では「同じ」「同じき」「同じかる」の3つが成立していますが、これが現代ではもっぱら「同じ」が連体接続を担うように変化してきています。
今でもかろうじて「同じい」を連体接続で用いる年配の方がわずかにおられるようですが…。こちらもどちらかというと形容詞由来系列の変化だと言えますね。
いにしえの昔、時がたつにつれてこの古典形容詞はいつしか形容動詞(ナ形容詞)へと変容していきます。古典形容詞時代の終止形「同じ」が体言化していったプロセスのなかで奇しくも連体形「同じ」とする同形併立を抱え込んだまま
やがて状態・性状を表す体言は「同じにあり」となり、「同じなり」となりました。文語形容動詞の誕生です。
形容詞での語幹「同じ」が好都合にも形容動詞の語幹「同じ」にそのままスライドしていって現代語の「同じだ」という形になります。これが名詞+だ のコピュラ文なのか語幹+活用語尾だ の形容動詞活用のものなのかは定かではありませんがカタチ上は形容動詞のフォームを取り込んでいったものだと思います。
しかし形容動詞とはいいながらも連体形の活用「同じな」というのは不自然な表現でありここでも終止形と同形の「同じ」だけで連体修飾します。ここで「同じ」という語を連体形をもたない形容動詞とする見方が可能であり、この特殊部分だけは別の語として特任的に連体詞あつかいとする説もあります。(同形のため混同もあるかと思いますが別扱いとしてです)
つまり「同じ」という言葉はもともとは形容詞であったものの名詞化の兆しもあらわれ、のちに形容動詞化されそれに伴う不備の説明材料として連体詞ともいえるという見方も混在した複雑な様相を呈したものであると言えるでしょう。
こちらは「違くない」「違かった」などのような口語での形容詞活用化はみられず(「同じくない」「同じかった」はナイ)、このことから見るに「同じ」は認知的に属性を表す側面よりも体言化がかなり進んで名詞的な振る舞いを好むようになったせいもあって形容詞的活用がみられないのだと思います。
そして最後にあげるのは特殊用言「好き」です。
こちらは背景として自動詞としての古語動詞「好く」が元にあるかとは思いますがこの「好く」のバリエーションの中で連用形から転じた「好き」だけが焦点化されて名詞としての側面が増強されていって今に至るものだと承知しております。
「好きこそものの上手なれ」ということばもあるように私の見解ではあえて名詞使いにこそ深層が底流しているものと捉えます。むしろ動詞的要素は薄れてきているのです。
もちろん「好き」は前出の慣用句以外では「好きが--」「好きを--」などのように主語になることはまれで、これは非名詞的な傾向であると言えます。
よって実質形容動詞の「好きだ」を核とした活用群が定着し連体機能の「好きな」が示す通り形容動詞たる風容を具えていることに相違はないと思いますが、ちょっと一言申し添えておきたい一面もございます。
それは形容動詞自体が「静かな」「きれいな」「穏やかな」みたいな和語的活用体を纏うものばかりではなく、「得な」「安全な」「感心な」みたいに語幹を単体で取り出したときの各語の語性が形態的に名詞(様態ではあるが)に準えることもできるからです。
その延長上で形容詞も名詞語幹を起点として活用変化させてみた「タフい」「雑い」「メタい」などの言語現象が確かに存在しています。
要するにここでいう「好き」ものっぺりと連続性をもつ和語的活用体の範疇のものではなくて、実は後者のような名詞的語幹の領域に組み込まれたうえでのっぺりじゃない、独立的名詞のもつ諸特性にむしろ適合する、との愚見であります。
「好き」という言葉には集約された喚起力がありそれだけ「好き」の概念化が名詞にパッケージされていく傾向を捉えたものだと思っていただけたら幸いであります。
考えてみれば名詞的語幹といっても漢語がその主たるもので、漢語は「健在」「無礼」のように何らかの様態、作用をもって配置されますが外来語ということもあってたとえ動作様態概念があったとしても字面のカタマリだけを見るとそれが輪郭不詳な名詞として存在感を発揮する効果があるのが漢語の面白いところです。
「好き」がおそらく形容動詞であろうという点では落ち着きましたが口語形では「違う」と同様に「好きくない」にみられるような形容詞的活用も一部ではされています。
誤用であるとか言葉の乱れであるとかの是非はここでは述べませんが、仮に形容詞の振る舞いをするのだとしたら属性形容詞/感情形容詞のうち感情形容詞の方を受け持つと考えるのは自然な成り行きです。
しかし同じ感情形容詞でも「とても旨い」「シクシク痛い」のような感情・感覚表現にはどこか主体の評価や認識が相対的に表出するものだというニュアンスが感じ取れますが、
この「好き」ということばは客観性からどこまでも離れてひたすら「好き」という概念の凝縮感、そして叙述-主体の照応というよりも「好きという概念-主体」の一体化を希求しているいわば「是非もない」客体性を帯びているものだと洞察します。
もはや形容詞的側面だのなんだのと言っているレベルではなく、活用派生の形態的特性とは一線を画してシンプルに「希求性用言」と名付けるのが唯一無二のこの言葉にふさわしいものと言えるでしょう。
希求性は転成名詞的用法においても衰えることはありません。「好きが増してる」「好きが加速する」のように格配置・構文化がなされていたとしてもその"まなざし性"(客体性では説明できない)は変わらず保持し続けているのです。
だいたい「好き」はそのまま「好き」と使っても結べるし「好きです」のように活用語尾をつけようが構わず、「好きすぎて」のように助動詞/複合動詞と結合しても連用形の自覚が全く伴うこともないですし最近では「すこすこのすこ」などのような大胆な屈折もみられる、まさに破格を地で行く用言だと思います。
畳語・重言・オノマトペ…重ね言葉はいろいろありますが今回注目するのは
同じものを複数煎じ詰めて畳語に至るものというよりは、カタチ上複数重畳でありながらもその各要素を見ると上位範疇-下位範疇になっていたり主従関係になっていたり副詞-述語になっていたりするなど
機能的に見て各要素間で微妙に役割の異なるものが同居並列して畳語になるものをとりあげてみたいと思います。
まずわかりやすそうなところから攻めてみますと 映画映画・ブログブログ・エッセイエッセイ みたいに題目が重畳的になっているものがあげられると思います。
これは何らかのメディア=情報伝達媒体=の種別をあらわす範疇を題目と捉えての先頭要素とそれを表出するうえにおいてどのようなスタイルをとるかをあらわす後続要素が偶然にも一致するというところから面白い効果を出している例だと言えるでしょう。
同じ理屈で他にも探してみると
マンガマンガ・テレビテレビ・雑誌雑誌・カタログカタログ・小説小説・音楽音楽・美術美術・ツイートツイート・研究研究・議論議論・放送放送・地図地図・新聞新聞・演劇演劇・教育教育・ゲームゲーム・辞典辞典・カレンダーカレンダー・ソングソング・女優女優
などがあります。
単独重ねだけでは畳語として成り立ちにくそうな語であっても、適切にひと続きの引きワードが先行している場合にはその助けを借りて首尾よく重ね言葉にできるものもあります。
土佐日記日記・ラジオ体操体操・上毛かるたかるた・キューバ危機危機・タピオカ人気人気・インド支持支持・原価計算計算・心中未遂未遂
といったところでしょうか、実際見聞きするかどうかは問いませんがまあこう言えなくもないなという感じです。
さらには、ファッションファッション・不満不満・アイドルアイドルのように修飾-被修飾の関係となっていると捉えることのできるものもあります。
(うわべだけのファッションでやっている)ファッション、(実のところ不満な・寄せられた)不満、(庶民派ではなくあくまで偶像として神格化された)アイドル
みたいな読み解き方でありますが、これらはちょっと苦しい例たちでありもっとバックグラウンドの文脈を合わせて盛り込んでいかないとちょっと初見ではわかりにくい例かもしれません。
あとは副詞的な連用修飾関係になっている叙述成分の表現をひねり出してみますと、
徹底徹底・結構結構・正直正直・事実事実・通常通常・精一杯精一杯・若干若干・本日本日・無事無事・存外存外・再び再び
などがあります。副詞には「キチンと」「次第に」「決して」などのように末尾に助詞のつくものばかりでなく、漢語単体の副詞や時の副詞など助詞抜きで接続するものが少なくなくこのような洒落を生み出す素地となっているのですね。
少々固い文例が続いてしまったので最後に商品名やタイトル名などから親近感のありそうなものをモジって終わりにしたいと思います。
チョコレート効果効果
ブルーレットおくだけ置くだけ
アンメルツヨコヨコ横
のんある気分気分
鼻セレブセレブ
コーラショックショック
コアラのマーチマーチ
今日から俺は今日から俺は
あたしンちあたしンち
ダンベル何キロ持てる何キロ持てる?
おそ松さんおそ松さん
以上ちょっとクドい記事になってしまいましたがお粗末様でした。