数年前ある調査で、「Twitter上で日本語は2番目に多い言語」だというニュースを知ったときは「なんだ、日本語もなかなかやるじゃないか」とにわかに浮かれたものですが、
まあ何といっても世界の文化・通商において圧倒的な存在感で躍り出ているのは紛れもなく英語-イングリッシュだという事実は揺るぎのないものでありますね。
しかし中国語のように絶対的な人口数があるわけでもないですし、ラテンアメリカ地域に広く使われているスペイン語のような土台があるわけでもないです。
世界の片隅のほんの一部、オタクカルチャー・サブカルチャー領域でニッチに広がる、あくまでマニア向けの需要の受け皿として日本語がささやかに息づいている、という程度の認識であります。
ただ日本語の話しことばに関して言えば発音は簡単でありますし、変化の多い格を助詞の付加で簡単にあらわせる、時制、冠詞、女性名詞男性名詞などのややこしさとも無縁など非母語とする学習者にもとっつきやすい要素は多分にありますし、動詞も規則的あるいは数が比較的少ないなど利点はいろいろあります。
国際言語になれるかどうかは別として、ポテンシャルは結構あるのかもしれません。ただし書き言葉ともなるとこれは難しいでしょうね。
共通語とも言われるリンガ・フランカは、「フランク語」、「フランク王国の言葉」を意味するイタリア語に由来し、
それから転じて、共通の母語を持たない集団内において意思疎通に使われている言語のことを指すようになったのだそうで、現在においてその地位にあるのはもちろん英語であります。
近年のテクノロジーの進歩でポケット翻訳であるとかWeb翻訳は日ごとに進化していますし効率的な学習教材プログラムもニーズが高まっています。
なので外国語学習や理解の敷居は下がってきているのかもしれませんが言語を文字通り血肉化するためには不断の反復鍛錬が欠かせないものとなっているのは相変わらずです。
…そこへきてこのペンタクラスタキーボードを掲げるブログ主ぴとてつにおきましても、国際化の波にどう対処していくのか、その真価が問われる局面であることをもっと自覚しなければなりませんね。
テキスト営み・言語営みはこのコロナ時代にシフトしたとしても依然としてその重要性は増すばかりであります。
入力インターフェイスであるとか物理キーボードの大きな枠組みもユーザーの多様なエクスペリエンスを満たす懐の深さをもっていなければただの面白ガジェットに終わってしまう顛末になりかねません。
大事なのは、普遍性。普遍性とは世界と人間との関わり。それがもっとも端的に表れるのは個々の生活場面よりも実は立場の転換を暗に内包する世界設定・レンマ設定に依って立つ広い視野が必要なのではないでしょうか。
例えて言えば昔のパソコンにはアプリケーションよりも何よりも果たして役に立つかどうかもわからないBASIC言語が標準で搭載されていたことを引き合いに出してみますと、
物事の草創期には用途も輪郭が見えていなかった手探りの中で、こうしたBASICのような抽象的、そしてシステム包括的な足がかりをまるでそれがアイデンティティであるかの如く秘蔵していたものであります。
入力機構の草創期にあってもまずは大風呂敷から。その精神が、ひいては目先のコンセプトを超越するバッファの源泉となるかも知れないのです。
ペンタクラスタキーボードは新しい入力機構として、もっぱら日本語利便性に最適化してオペレーションをおこなう目的で各種のコンセプトを磨いてきました。
しかし同時にアルファベットだけは排除できずにむしろ独自の液晶スクリーンを鍵盤部中央に据え、領域的にも処理的にも特段のリソースを割いて物理配置を固めていくに至りました。
日本語はすでに漢語はもちろん英語やフランス語、ラテン語などからも数多くの外来語を取り入れており表記的にも原語を尊重して綴りや付加記号に至るまで忠実にカタチを重んじるお国ぶりがあります。
それは商品名や音楽グループなどの名前、作品名などに巧みに取り入れられ先進イメージやオシャレなニュアンスを出すのに一役買っています。
つまりこのテキスト中心時代においてさまざまな語感デザイン的な仕立ての利便性に対する配慮を、入力機構はその要請に十二分に応えていく使命があるのです。外国語はそのまさに本丸であります。
幸いにしてキーボード盤面のタッチ液晶部の表示レイアウトは常に自由配置、可変の文字入れ替えが可能、詮ずる所、文字の刻印の制限を受けないという最大の特徴があります。
これを英語アルファベットだけにとどめておくのは実にもったいない話です。
目下のところこのブログではペンタクラスタキーボードのコンセプト改定を大がかりに進めているところでありますがこうした英語以外の外国語に対するアクセシビリティについてももちろん大きなテーマに設定しておるところであります。
どのようなものになるのかはまだ思案中ではありますが、タッチ液晶部のパネルに「第2言語」への切り替えをおこなえるボタンを設置し、日本語の作成文中にちょこちょこコラージュ的に外国語のつづり字を適宜挿入できるようにする仕組みを考えています。
日本語はもともと表記において外国語字種混在のテキスト生成を好みますし、かなクラスタやでにをは別口入力につないで打鍵していけば字種の切り替えを特に意識することなく移行しつつ構文解析においても未知語ではありますが御せないほどの解析上の困難を生じさせる問題はありません。
これの延長上で、外国語だけにはとどまらず「顔文字作成パレット」にもなるパーツ構成のセットであったりだとか、
「ORβIT」「AᗺBA」「TЁЯRA」などのこだわり表記に対応できる「くせ文字対応パレット」のセットであるとかもカスタムプリセットしていけば良いのです。さらには
「コマンド ⌘」「リターン ⏎」「縦三点リーダー︙」「削除記号(*)」などのシステムまわりの特殊記号であるとかもそれ目的用のパレットを作ってやってユーザーのさまざまなニーズをシンプルな方法で実現できるバリエーションなども視野に入れています。
さて、話はまたリンガ・フランカに戻りますが、書き言葉を考慮に入れますと日本語がそのようなイニシアチブを握るなどということは懐疑的に受け止めています。
そもそも21世紀的趨勢においては旧来のリンガ・フランカのような覇権や威信などの世界観は協調と相互理解の文脈である今の情勢にはなじまないものでしょう。
私たちにできることはむしろもっと異文化のエッセンスを大胆に取り入れる事、入力機構が意思を伝達する身体の拡張ツールとして血肉化しようというこのフェイズにおいてもよりもっと引き出しを増やすことを選択する事であります。
考えてみれば日本人は古来から外国の文物を適切な距離感で受け止め、理解し、咀嚼し、アレンジして、自家薬籠のものとして独自に発展させてきた長年の叡智があります。
21世紀のテキストコミュニケーション隆盛のこの時代にもこういった知恵をうまく継承し、あらたなリンガフランカの様式、有り体に申しますと
「リンガ探究心フランカ」
を目指していけば良いのだと考えます。
つまり自己を標準とするのではなく世界の諸言語をこちらから乗り込んでいって探究してしまえばいいという能動的な在り方である…これが新たな理想形であります。
私なども日常でtwitterの検索などにも時折外国語つづりのテキストをよく見かけますが、あれはスマホからコピペして貼り付けているんでしょうか、それとも他言語IMEを導入しているのでしょうか?
ペンタクラスタキーボードの活躍シーンを彩る「ZOSIデバイス」ならば標準でこういった多言語混在環境を整えてありますので気軽に、存分に多国籍談義に花を咲かせることが可能になるかも知れません。
やれ情報発信であるとかインフルエンサーであるとか騒がしい世の中ではありますが、案外こういった井戸端談義的なものに自在にアクセスできる安心感を担保している
…このことが「リンガ探究心フランカ」のスタイルを開花させる重要なカギになるかも知れませんね。
今後も、ペンタクラスタキーボードの典型的使用シーンをもっと掘り下げて、想定を現実のものに一歩でも近づけていけるよう模索していきたいと思います。