るんですけど、ネット弁慶はともかくとして生活上でおおっぴらに政治の話をすることが許されているシーンというのが2つほどあります。それは
床屋談義とタクシーでの世間話です。
あんまりプライベートの事をぺらぺらしゃべるより、こうして他人様にどうでもいい話をするのにはちょうどいい題材なのです。
(私はスポーツの事とか芸能の事はあまりよくわからないので)
政治や社会問題だからといって決して重い話とかいうのではなくて、日常感覚の一部としてカジュアルに話せば転がしようもあるってもんです。
先日、とある事情でタクシーに乗ることになったんですけどこんなことがありました。
以下、会話調で話を進めます。
(いつものバスが来なくて仕方なくタクシー乗り場へ移動、数刻後乗車)
最初は何の気なしに今日はたまたま○○なんでタクシーに乗ったというわけなんですよ、といきさつを軽く伝えようとして
俺:「祭日が月曜になっているとバスの運行ダイヤが変則で次のバスまで45分もあるんですよね~失敗失敗、この祭日のこの時間なのにタクシーがなかなか来なくて苦労しましたよ。」
俺:「でもバス会社もあんまりダイヤを変えないでほしいですよ。前は祭日でも平日と時間差ほぼなかったのに…困りましたね~」
って調子でぼやきガラミをかまして様子を見る。
タクシー:「今はバス会社も人手不足でねぇ」「(運行)本数減ってるみたいですね」
俺:「そっすかぁ、じゃあタクシーのドライバーさんも人手不足なんじゃないスか?」
そしたらドライバーさんに何かスイッチでも入ったか
タクシー:「お客さんも1000円とかそこらいくとなかなか気軽に利用できないですし」
タクシー:「体力的に続かない人もいますし、だって若い人がなかなかなりたがらないでしょ今(タクシー運転手に)」
タクシー:「私らだって50代60代の高齢者ですし全体的に高齢化してます」
俺:「定着率が悪いかもしれませんね」
という会話の流れがますます負のスパイラルに落ち込みそうになったのを感じたのだが、こういうときはあえてカブセテいく方向に舵取りしたほうが良さそうなので
俺:「なんか最近ニュースで読んだんですけど」
俺:「タクシー免許も持っていないシロウトに白タクみたいに人乗せてお金とってもいいように規制撤廃って話があって」
俺:「ライドシェアって言うらしいですよ」
俺:「副業だとかインバウンド対応の為だって名目で旗振りしているようですけど」
俺:「お上がおおっぴらに進めようとしてるんですよ」
俺:「そんなことしたらタクシーのドライバーさん商売あがったりじゃないですか!ひどい話ですよね」
とそんな調子で会話に熱がこもっていく。
実際俺はそう思っていたし、「ホントですよまったく」っていう同意を期待していたのだがドライバーさんの反応は思いのほかイマイチだったので逆にこちらとしては戸惑いを感じてしまったのだ。
反応が薄いというか、以前からそういう話が出ていて想定内なんですよっていう感触ともしやこのニュースすらドライバーさん初聞きなのか…知りませんでしたよっていう感触と
どっちか区別がつかないくらいびっくりするくらい当事者感のない反応。現状を追認することは聞かなかったことと同じじゃないか、そういう意味では区別はもはや必要なかったのかもしれません。
でもそれにしても釈然としませんよね。
それでも食い下がって
「空港近くや観光地で堂々と白タクが横行していて日本に金を落とさない」(後で調べたことだが渡航前の現地国ですでに周到にネット宣伝して安く利用できる、なんてやってる)
「繁華街の交通はタクシー会社の聖域にして保護して、ライドシェアの人は郊外の買い物難民だとか交通難民の救済人員として位置づけて制限をつけたほうがいい」
「ライドシェアを一般人に認めるとそういうおいしいところだけを食い荒らされて、郊外の交通利便は一向に改善しない」
「田舎のスーパーなんかバスの便が悪いから店独自の送迎バスを何往復も走らせているところもある」
とかいろいろ言ってみたんですけれど、「会社からはなんていうんですか、そのライドシェアの話って出てこないですねぇ」とか
またまた人手不足問題にリフレインしちゃったり、ほんとにドライバーさんには悪いんですけど情報アンテナ大丈夫か?感度悪くないか?
とこちらが心配してしまうくらい。なかなか想いが伝わらず歯痒い時間が過ぎていきました。
ちょっと矛先を変えて
「ドライバー業界も大変だし、飲食店もコロナで不況だし、IT産業はアップルとかGoogleにやられて国内のIT企業は育たないし」
「なんかこれから伸びそうな業界ってないですかねー?」
って今から考えると愚問なのかもしれないけれど聞かずにはいられないサガなので思わず聞いてしまったのだが
やっぱり
タクシー:「わたしはそっち方面の話題はよくわからないので…」
ってお茶を濁されてしまいこちらもすっかり意気消沈。
そんな一幕もあって、うちに帰ってからもちょっと考えてしまって、これはブログ記事にするしかない、って思い至ったんですけれど
タクシー代の元を取ってやるぞっていう謎のポジティブ精神とは裏腹にこれはなかなか根深い問題を孕んでいるな…と気づいたわけです。
その問題とは
「内面化」という言葉です。
ここまで読んでくださった読者の方も、件のタクシードライバーの物腰に何か違和感というか悟りきった諦めというか
変にものわかりが良すぎていないか?と思った方も多いのではないでしょうか。
「内面化」っていう言葉はもともと自己責任主義/自己責任論について調べていた時に出会った言葉で
…何でも自己責任とされてただでさえ息苦しい世の中であるというのに
世間の風潮や教育の場において繰り返し刷り込みがおこなわれて異議を語るべき自分もすっかり自責意識に苛まされてしまい
しまいには自分自ら進んで
「努力が足りなかった」
「自分が悪いから誰にも頼ることができない」
「貧困は自助で克服すべき問題である」
と、強欲な強者の都合のよいままに物分かりが良くなってきてしまうプロセスが勝手に起きてしまい、結果、無惨にも押しつぶされてしまう
そんな現象を「内面化」というのだそうです。
この考え方は冷静に考えてみますとリスクにしかならないと思います。
貧困は自助で克服すべき問題であるという自由と責任のルールを展開していくことには限界があり、そこに新たな排除が生まれる。公的責任により彼らをいかに包摂していくのか
…この視点に思い至っていません。個々が分断されて見事に個人の物語にされてしまい集団としての物語を獲得しようにもできない状態なんです。
また多くの困窮者が陥った要因に関する自己責任論を語っているが、要因ではなく、(要因は確かに自分にあると言いたい人情というのはわかるのだが)
今後の解決に関しても自己責任論を語る当事者も少なくないことがわかってきている、というのです。
つまり解決策が外に開けていない状態。弱者が可視化されていないんです。
これを知ったときには何かうすら寒い気分になって暗澹たる時代性というのを感じてしまいました。
さらに追い打ちをかけるようにこれに少しでも異論を唱えようとすると、反旗を翻すような活性の片鱗を少しでものぞかせようとしてしまうと、
「なんでも人のせいにすればいいってもんじゃない」
って逆にたしなめられてしまうんですよ。ちょっとこれは異常なんじゃないですか。
…ちょっと頭に血が上ってしまい、つい語気が強くなってしまいましたがクールダウンにここで
平野啓一郎氏の辛辣なツイート(ポスト)を紹介したいと思います。
なんかリンクしか貼れなくて埋め込みができないので直接コピペします。
"平野啓一郎
@hiranok
「自己責任」という言葉には、発し手がいる。つまり、実際は「オマエの責任」だと言っているのだが、「自己」と言うことで、受け手がその捏造された「責任」を内面化するように仕組まれている。"
なんだかモヤっとしたところの輪郭を一気にシャープにしてくれるまさにぐうの音も出ない正論で痛快です。
話は戻ってさっきのタクシードライバーさんとの話の最後の1ピースに…
俺:「なんだか昔の小泉・竹中時代にタクシーの総量規制を一気に緩めてしまって今の供給過多のもとになっている、みたいな話がありましたよね。」
俺:「すごい20年くらい昔の事ですけどうろ覚えなんですが」
俺:「またあの悪夢の再来にならなければいいですけれど」
俺:「まあじつはすでに20年前から、今の苦境に繋がる”種”が蒔かれていたのかもしれませんね」
・・・・・・
悪いやつの考えることはいつの時代も一緒。「文句を言わないヤツから巻き上げる」
はたして時代が進んだとしてもわれわれの本質的なところは何も進歩していないのか。
その答えがわかるまでわれわれはまたもっと今後の20年先まで待たなくてはならないのか。とても待てそうにありません。
話を総括すると、あのタクシーのドライバーさんに私が勝手に感じた事なんですが
良き市民であるが、やっぱり「内面化」に丸め込まれちゃっている、ちょっと気の毒な人だなってことと、
今の若者が意外にも規制撤廃いいじゃないか、もっと競争すればいい
なんてちょっと聞こえのいいことになびいちゃっている人が割と多くいて、その温度差に自分もちょっとヒヤッとして
時代についていけていないのか、それとも消される存在の人々に無関心なのか自分でも腰の据わりが定まらなくて
それにしても沈黙を貫く現場の方々は日々の業務に忙殺されてネットに触れる機会すらままならないのかと少し心配も入り混じった複雑な気持ちになります。
いやあ、でも「内面化」って貧困や自己責任以外にもいろいろ文脈があるんですよ。
たとえば「いい子を演じようとする子供」とか
「親子や夫婦/パートナー間の共依存関係」とか
「DVや虐待」関係とか
さらに広い意味に展開してみますと
「メリトクラシー」(能力至上主義)
なんて言葉も内面化に深くかかわっています。
私はこれらのトピックを語れるほど力量がないのには申し訳ないと思いつつも列挙だけに留めますが
せっかくなんで日本語入力の話にいきなり焦点を飛ばしますと
私は日々行われている誤変換に関するツイートをよく拾っているのですが
誤変換の失敗談がなんだか大喜利化してきているなーって。
不意打ちやめて…wwってはしゃいじゃったりしているのもあるし。
全体的に誤変換というシステムに対しての筋道立てた不満っていうのが全然出てこないんですよ。
誤変換とか構文解析の困難さっていうのはまさに日本語に根付くボトルネックだというのに何か緊張感が足りない。
いやもっと直球に言うと誤変換に対する憎悪が足りないんですよ。
端的に言うと
詠嘆で宿痾をやわらげ化するのやめろよ
ってことなんですけれど
これも内面化の一種だとは思いませんか?
ぼやいても、改善できないから日常の風景にしちゃう。
いやその日常こそ間違っているというのに。
もっとも近しい者同士だというのに相互排他してしまう。
せめて織姫と彦星のように1年に一度くらいは相まみえることがあればいいのに。
誤変換。根深い問題だと思うのですがね。
ここで記事中に私がドライバーさんに投げかけた質問
「なんかこれから伸びそうな業界ってないですかねー?」
に関して少しだけ我に返って気の利いた提案を贈りたいと思います。
これから伸びる業界、それはズバリ
「日本語入力関係の業界」です。
まず日本語入力は情報コモディティです。
食品や燃料のように常に一年中需要が絶えず必要不可欠な営みであり、そして近年のAIだ何だ言っている以前に基本的な枠組みが何十年も停滞して全く進歩していない。
何かイノベーションの予感がしますね。
そして包括のいとなみである。
個別のコンテンツタイトルとかトレンド商品とか一過性の種粒的なリーチの狭いものではなくてプラットフォーム・SNS・ディファクトスタンダードを巻き込んだルール作りの戦いだということ。
特に最近のtwitterの迷走からわかるように、1ユーザー1アカウント、課金エコシステムによる透明性などの再評価の動きも高まっているので無料の日本語入力がいつまでも幅を利かせていられる状況に楔が撃ち込まれた。
さらに日本語は読み手優位の言語であるということ。
ルビやアノテーション、助詞の認識、文意に沿った読み上げ機能、接尾辞の検出など、日本語プレーンなテキストを拡張して、言外のメタ情報やアノテーションをタイピング時から付加できるようなインターフェース。
キーボード盤面自体の根本的な改善もあいまって、読みやすくコンピューターにも言語解析しやすく、翻訳や検索便宜にも援護射撃できる操作体系。やれることはまだまだ大いにある。
・・・というわけで我田引水、手前味噌、牽強付会にも強引に結論付けてしまったのですが
この記事のメイン部分でちょっとしょっぱい話が続いてしまったので最後くらいは景気のいい話にするぞってことで良しってことにします。
そんなわけで今回は政治・社会情勢がらみの世知辛い話題となってしまいましたが
個人的なエピソードもあったので柄にもなく採り上げてみました。
今後も何か思うところがあれば時期折々で発信していきたいと思います。
画像は無しで。軽薄ですが精いっぱいの硬派な記事のつもりです。