今回はタッチ液晶入力においての、予測変換候補サジェストについて軽めに整理していきたいと思います。
一般的なモバイルデバイスにおいては予測変換はもはや欠かせないものでありユーザーの入力負荷軽減のためにすっかり定着いたしました。
ただその候補の品詞的・語彙的な素性の傾向については主に頻度によるもの、あるいは固有名詞対応に重きが置かれており
日常使いのツールとしての使いやすさにはまだまだ改善の余地が残されているのではないでしょうか?
不満はといえば限られた液晶面のパネルだというのに提示候補がやたらに多すぎることが挙げられます。
清音濁音の揺れはわざわざ吸収しなくても良いですし、「せかい」とやったところで「世界湖沼会議」「世界同時株安」までも深追いフォローすることも良くは思いません。
下位概念のやみくもな連接は労多くして実り少なしといった感じで筋が悪いと思います。
あとは暴君ですを防寒ですにしてしまうような入力リテラルにないものまで手広くサジェストしてしまうような悪手や
ただ英語とだけ打ちたいのに永劫回帰みたいないらんおせっかいはロングレンジワードの勇み足がノイズとなって候補提示を汚染しているような気さえしてきます。
そりゃスマホ・タブレットなんだから打鍵の手間を省くのが至上命題なんだからそこはトレードオフで我慢しなよ…という声も聞こえてきそうではありますが
なにか、こうペンタクラスタキーボードの求める最適形というのはこういった携帯端末インターフェイスとはもう少し角度の違う、もっと固有の操作系を見つけるべきなのではないかというのがここまで探求してきたうえでの確かな実感であります。
模索したての頃は液晶サジェスト候補は固有名詞だけでいい!短尺で混線しやすい文法語機能語は[でにをは別口入力]があるからいらんいらん…などと短絡的な判断をもっていたこともありましたが
地道に事例を集めて、より現実的な対応策というのをまだまだ第一歩というところでありますがこうしてひとまず形にしていこうかと思います。
まずペンタクラスタキーボードの入力機構というのは二面構成インターフェイスだということが重要であります。
これはつまり、対面する正面のメインディスプレーと手元のキーボード盤面に据え置かれているタッチ液晶ディスプレーの2系統の視覚情報があるということであります。
ここで固有名詞に目を向けてみますと新語・造語の多く出そうなカテゴリーというものは手元の液晶由来のものとはせず、WEB入力フォーム由来であることがまず予想されてきますので
ここは思い切って「固有名詞のサジェストはメインディスプレー由来とする」という一大方針をここで立てていきたいかと思います。
WEB由来のサジェスト=つまり「舶来もの」のデータは外部由来であることを現実の物理配置上においても直感的にリンクさせるようにするための措置であります。
盤面液晶に来ているデータであるとこれはローカルにあるデータなのだなこの変換候補は…という線引きにしたほうが運用的にも理にかなっているかと思いますし
そうでない舶来ものの変換候補は「向こうからやってくる」構図をより自覚的に明確にするための方策であります。
そもそも新語・造語の類はもとより辞書登録されていない見込みが強いですしそこをさしおいて中途半端に固有名詞全般を併在させてしまうと無用な混乱を招きますので
たとえローカルに自前で出せる既知の固有名詞があったとしてもそこは引き算の美学でアピールを抑制したほうがよいというものであります。
そしてたとえそれが結局はWEB由来でない変換候補データの、ユーザーに委ねられローカルで完パケで自力入力するタイプのものであったとしても
住み分けの支配を浮き彫りにするために品詞カテゴリからして厳密に峻別していこうとの原理原則を立ててロジックを明快にして皆様にお示しすることとしました。
代わりに充実させたいと注目した文法カテゴリーは活用する用言のさまざまなバリエーションへの対応です。
具体的に申しますとズバリ
活用形:終止形/連体形
あるいは
サ変動詞活用形:終止形/連体形
であります。
サ変動詞で言えば
〇内蔵する/×内臓する
〇提起する/×定期する
みたいな活用に違和感のあるサ変動詞の誤変換をなくそうというのが出発点です。
なぜ終止形/連体形だけなのかといいますと
サ変動詞連用形にはそもそも別口入力[し](これは連用形)というものが既にあり十分、ほかの活用形
例えば未然形
し(-ない、-よう)、せ(-ず)、さ(-れる、-せる)
は多岐にわたり煩雑なため入力字面でもって個別に判断させるほうが無難(今のところ)との見解であり、
仮定形はすれ(-ば、-ど)…これは接続パターンがある程度決まっている
命令形はしろ、せよ
であってせよはさておき「しろ」については「白」との混線は代替回避的に三属性変換-ロ万(動作様態属性)を使ってユーザーに選んでもらう
などのファクターを勘案していわば消去法的に「終止形/連体形」の活用候補だけをサジェストしようというものであります。
消去法とはいっても都合のいいことに終止形/連体形は活用は違えど形が全く同じで、しかも頻度も高く展開配置も読みやすいというお得感がある活用だからというのも後押ししています。
これにならって一般動詞の活用においても同様に統一的振る舞いをさせようというのが発想のラインであり、確かに一般動詞には別口入力[し]のような連用形マーカーはないものの
連用形にはたいてい別口入力接続助詞[て]が後続することも多く検出しやすい、あるいは連用中止法のように
-をはるかに越え聞こえる波音
-をはるかに声聞こえる波音
のような誤変換誘発のまぎらわしい例であったとしても
最悪[Ø文字マーカー]を使ってユーザーが明示的に指定する方法も残されています。
以上のような懸案課題は残るものの一般動詞にも終止形/連体形サジェストルールを適用してやれば風通しがよく統一的にさばけるという利点が醸し出されていくと思います。
さて、理屈っぽいことはこれくらいにして以下には特に連体形に着目したいくつかの具体例を列挙していき様々な視点から掘り下げていきますのでもう少しお付き合いください。
貼る場所→春場所が出したいパターン
待つ準備するね→松潤美するね誤変換
茹でた孫→ゆで卵したいパターン
書く仕事→隠し事こっちが出したい
臭う服→二往復誤変換
これらは連体修飾=規定句を採る解釈とそうでない解釈との対立が招く誤変換の例です。
タッチ液晶サジェストでは、規定句を採る解釈のほうを検知してサジェストしていくわけでありますが
これはユーザーの選択で規定句を選ぶときでも逆にスルーするときであっても両面で変換の絞り込みに寄与しているアクションになります。
規定句でない、たとえばゆで卵単体ならタッチ液晶しない忌避行動によって選ぶ(スルーすることによって通常変換の選考候補が逆に確保される)ことが成り立つからです。
形容詞の規定句もあります。
手荒い歓迎→手洗い歓迎それちがう
思いデブかい→思い出深いこっちが出したい
規定句をとるとおかしくなったりまたその逆もあったりするので使い分けが重宝するかと思います。
あとは過去の助動詞「た」「だ」で結ぶ規定句もペンタクラスタキーボードの別口入力でカバーできなかった関係上、こうしてタッチ液晶でフォローできれば分解能がより高まります。
食べた量→給田亮(人名:たべたりょう)
死んだ医者→寝台車
見たキャンパス→三田キャンパス
こうした「た」「だ」の機能は、かならずしも過去限定というわけでもなさそうなのでありますがターゲットの属性を付加していくという点において通底する機能構造をもっているかと思います。
まあ連体修飾なのですから当然ですね。
意外にもタッチ液晶入力をあえて選ばない、ノイズになりそうな変換候補をパージしてくれそうなハニーポットの役割が(本筋ではないかもしれませんが)浮上してきたのは興味深いです。
いずれにしましてもペンタクラスタキーボードの別口入力ではこうしたすべての動詞の過去形に「た」「だ」をつけてマーキングするのは煩雑で現実的ではないとの判断から一旦は見送られていたのでありますが
こうして誤変換誘発ケースの時に代替的にタッチ液晶から回避手段を確保することがなんとか手当てできたのも冗長的なインターフェイス設計のおかげであったと胸をなでおろしています。
また規定句をサジェストすることによる大きな利点として、後続の追加発動の予測変換がピタリとはまりやすいというメリットがあります。
悪例としてひとつ、一般的に連用修飾導入からの連接というのはどうしても付加的ニュアンスを出す補完フレーズが続きやすく、
たとえば「食べ(連用形)」からの後続連接を提示するにしても
食べながら・食べ飽きた・食べ慣れた・食べれない・食べられた・食べました・食べ方・食べかけ・食べよう
…等々、連用形からの連接は無数の語尾ニュアンス・複合動詞・助動詞・接辞の接続がひらいておりそのすべてをサジェストで網羅補足するのは現実的ではありません。
その点連体修飾(規定句)の連接は
食べるとき・食べる時間・食べる場所・食べるふり・食べること
といったところでしょうか、連用修飾よりも展開が限定されている向きを感じられます。
「読む」なら「本」でしょうし、「欲しい」なら「もの」が順当ですし素直に予測に乗ったほうが捗るケースも多いかと思います。
これはサ変動詞にしても同じことが言えそうです。
確立する…しかり
ソフィスティケートされた…しかり(この際受け身使役形であっても規定句広く適用できることとする)
漢字動詞の誤用対策あるいは長尺カタカナ語サ変動詞対策にもつながって単に省力化以上のメリットをもたらしていることにお気づきいただきたいです。
受け身使役の規定フレーズに限らず、「淹れたてのお茶」みたいなクリシェの規定フレーズ
あるいは×「書く尺とした」ではなく〇「矍鑠(かくしゃく)とした」みたいにロングレンジでたとえ助詞が途中に挟もうとも大胆に規定検出する
つまり具陳ではなくクリシェの観点に立っての対応が大事・成句も含めた規定句データの格納を進めていけばより生産性が上がると思います。
うだつ、と打ったのなら当然「うだつの上がらない」までサジェストしてあげたいというのが人情というものですよね。
×行為を寄せている人(ロングレンジ規定句)
みたいな残念な誤変換を入力の段からして排除できる仕組みを持つためには「を」「が」「と」「の」等の助詞も含めたコロケーションでクリシェの名のもとに一括リーチできたほうが直観に適っていると思います。
ここからは動詞/イ形容詞から少し視点を変えて
×動揺の機能 〇同様の機能
のように連体詞的連接のいわば「ノ形容詞」について多少の考察を進めていきたいかと思います。
「の」には格助詞であるとか準体助詞であるとか一般的な分類基準というのはあるかとは思いますが、ここでは
「コンピューターの判断」(関係規定)、具陳による連接
「独自の判断」(属性規定)、クリシェによる連接
という見方を導入してみて整理してみたいと思います。
鋼鉄の心臓
更迭のシンゾウ
…例えば上記のような例
1項1項が自立的で具陳的であるもの、これはタッチ液晶サジェストの対象候補にはなれません。
つまり液晶面でサジェストされるのはよりクリシェらしい「鋼鉄の心臓」のほうだけとなります。
同様に
〇後続の作業/×皇族の作業
〇対人の応対/×タイ人の応対
〇悠久の刻印/×有給の刻印
など、個別トピック・特定性の高いワード…つまり具陳傾向のあるフレーズは忌避されます。
ここまではわかりやすいかと思いますがあえてここから一歩踏み込んでみますと
〇ほんの一息×本の一息
〇ものの1割×物の1割
〇とっくの承認×特区の承認
みたいな、通常変換と微妙に守備範囲がかぶりそうなもののクリシェの検出どうするのかということについても今後精査していかなければなりません。
このへんをうまくこなせば、
×道のウイルス
×地下の高い町
みたいなトホホな誤変換ともオサラバできるかもしれません。
こちらは直接は用言の活用とはまた違ったトピックでありますが規定句の検出運用上関連の深そうな分野ですので
引き続き意欲課題としてさらなるブラッシュアップを進めていこうかと思います。
ノ形容詞は以前言及した第三形容詞とも関連が深いので気になる方は過去記事
をご覧になってくださるとうれしいです。
さてそろそろまとめに入りたいところなのですが
ここで重要な規定句の番人、ナ形容詞について触れないわけにはまいりませんので、釈明(^^;)がてら現在の暫定的な見解を以下に述べておきたいと思います。
重要な点は、ここまで規定句についてさまざま考察していきましたが
同じ規定句であっても、ナ形容詞の形成する規定句には一切サジェストしません。ということ。
(↑ここ大事です)
ちょっと雑な考察になるかもしれませんがナ形容詞というのはイ形容詞・ノ形容詞よりも圧倒的に生産性が高く特に外来語由来の語句の浸透具合は驚異的であります。
このままの手ごたえではナ形容詞のサジェストを許容してしまうと提示すべき変換候補が爆発的に増えていってしまい目的の候補が埋没、あるいは競合を起こしてしまう懸念というのがどうやっても付き纏ってきてしまいます。
しかもすでに別口入力キーには[な]キーがリソースを割いてまで採用されておりこれによってカナ無干渉作用の局所変換を実現する機構:
たとえば「異なもの」「ハイな気分」など短尺で埋もれやすいナ形容詞も際立たすことができる
さらには「科学な人」「具な素材」みたいに逸脱的な用法であってもいくらかはついていける
また表記ニュアンスの美意識的な使い分けで「サイセンタンな」「イジワルな」みたいに「な」部分は不変で無干渉を保ったままカナ部分だけを適宜置換/変換できる機構
これらのさまざまなサポートが実現できているので実質ひとつの別なインターフェース体系が確立されている、という現状があります。
ここでさらにタッチ液晶がらみの規定検出のメカニズムが絡んでしまうと無用な混乱を引き起こしかねないですので
ここは慎重に規定サジェストからは距離を置く戦略を採っているのです。(一番の要因は提示候補の削減が大きいですけれど…)
ついでに言えば、動詞・イ形容詞・ノ形容詞のときには後続連接がいい具合に絞られて予測変換が連鎖しやすいという見通しも成り立っていたのですが
ナ形容詞にはあまりにもバリエーションが多すぎて予測限定性も思ったよりうまくいかないという語彙カテゴリ的な傾向も消極的に傾かざるを得ない理由の一つであります。
…そんなこんな大人の事情もありましてナ形容詞をご所望の方にはもどかしい、フレーズ完遂まで全打鍵しなきゃならないのかよ…というため息も聞こえてきそうでありますが
こちらは代わりにメインディスプレーのほうからのサジェストを手厚くしてやれば良いのではないか、と半ば楽観視しております。
実のところタッチ液晶からのサジェストばかり目が行ってしまい肝心のメインディスプレーからのサジェストに対する考察はほとんど無頓着でいました。
なのでここまでの考察で不如意なところはまたあらためて探索・検証していかなくてはならないとの展望に至りました。
紙面も気力も尽きてきてまいりましたので今回はここまでにして思考実験にもっとリアリティが出せるように、アイデアをただの観念ではなく身体性に基づいて血肉化できるように
今後もより深くインターフェイスの海にダイブしていきたいかと思います。
思いのままにつらつら書いた記事であまり構成上のまとまりというのは意識しておらず随分ととっ散らかってしまったのではありますが
ここまで乱文・悪文にお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。
そろそろ雨の多くなる時期でありますがこれもまた風情、懐深く季節の移ろいを楽しめるような余裕を持っていきたいですね。
今回は以上です。