8月10日、午前中に胃の検査以外の健康診断を終えて、すぐに新幹線で京都へ。
毎年の夏の恒例行事である、母との旅行、今年はまたまた京都を目的地に選んだ。
私は今年のゴールデンウイークのときと修学旅行でもう3回目の京都。まあ何回来ても京都は奥深いからいいけど。
夕方に京都着なので、寺社仏閣のほとんどは閉門しているはず。
どこか夜間拝観できないかなと事前にガイドブックで探していたら、
ちょうど7日~10日まで精霊迎えの行事である「六道まいり」というお盆の行事が行われているという。
場所も、祇園近くの六道珍皇寺。夜の祇園はしっとりと柔らかく魅力的なので、フラフラと祇園散策をしながらぜひいってみたいと思った。
六道珍皇寺のことを調べてみると、
「あの世とこの世を結ぶ寺」といわれているお寺だった。
この辺り、中世以降は「六道の辻」と呼ばれ、他界との入口とされているそう。
あの世とこの世の分岐点。
ちなみに六道っていうのは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の6つの死後の世界といわれ、善悪の業によってどこに行くのか決まる…とのこと。怖い。
母に電話でここに行きたいんだけど、いい?と確認をとったとき、
「お盆にそこって…なんとなく怖いよね。何か連れて帰りそう。」
という大人げない(?)リアクション。
でもそういう母も「化野念仏寺に行きたい。」と言っていたので、
思い切って今回は「あの世とこの世の境目」を狙っていくような旅にしよう!ということにした。
京都の200番系統の循環バスはやっぱり苦手だ。清水道を通らないバスに乗ってしまったので、
途中で降りて、東西線で三条まで。
三条から鴨川沿いをそぞろ歩く。
夕方の風は気持ちよく、向こう岸には豆電球のついた七夕飾りが何メートルかおきに飾られており、夕暮れの風景の中に浮き上がってみえる。
今年は大学の学生さんたちの協力でそういうのをやっているらしい。
そうそう、浴衣の人が多くて、目にも涼し気だった。
鴨川沿いの夕暮れ、気持ちいい。
四条まで歩き、南座のあたりから東へ曲がると祇園。
祇園辻里でテイクアウトのお抹茶アイス、母はホットの抹茶オレ。お茶屋さんのは格別。
華やかな花見小路を過ぎると、普通の暮らしの路地に出る。六道まいりは、町の人がずっと守ってきた地域の行事だ。
すのこのような台を出し、近所の人たちとおしゃべりに興じる大人たちと、花火をしたり、路地を走り回って遊ぶ子どもたち。懐かしい風景。
うちわをハタハタしながらおしゃべりしている、どうやらこのご近所に住むおばあさん2人のあとをついていって、六道珍皇寺へ。
精霊をお迎えするという鐘の音がひっきりなしに聞こえる。
この風景の中で、心は昔、祖母に連れられて行った地蔵盆にタイムスリップした。
煙を頭に浴びるおばあさん、お寺の外に必ずいた、物乞いの人に戸惑ったことをありありと思い出す。
ネットも流行も届かない世界、まるで別次元で訥々と続くもののようで、とてもとても懐かしい。地の臭いがする行事だ。民族、という括り、普段感じることが少ない手触りを感じた。
幽霊子育て飴、この怪談、聞いたことある! ほんとに店があんの!?びっくり。
ここには九相図という人が朽ちていく過程を描いた絵画や、あの世を図式したものが展示されていた。
地元の若いお母さんが小さい子どもとともにお参りにきていて、
「親より先に死んだらいけないんよ!」と賽の河原で石を積む子どもたちの絵を見せながら子どもに言ってて、なんとも微笑ましかった。
その後、三条あたりで薬膳料理のお店へ。写真は鱧&梅酒。美味!
夜の京都タワー、いいね。
お盆のロウソクのよう。
毎年の夏の恒例行事である、母との旅行、今年はまたまた京都を目的地に選んだ。
私は今年のゴールデンウイークのときと修学旅行でもう3回目の京都。まあ何回来ても京都は奥深いからいいけど。
夕方に京都着なので、寺社仏閣のほとんどは閉門しているはず。
どこか夜間拝観できないかなと事前にガイドブックで探していたら、
ちょうど7日~10日まで精霊迎えの行事である「六道まいり」というお盆の行事が行われているという。
場所も、祇園近くの六道珍皇寺。夜の祇園はしっとりと柔らかく魅力的なので、フラフラと祇園散策をしながらぜひいってみたいと思った。
六道珍皇寺のことを調べてみると、
「あの世とこの世を結ぶ寺」といわれているお寺だった。
この辺り、中世以降は「六道の辻」と呼ばれ、他界との入口とされているそう。
あの世とこの世の分岐点。
ちなみに六道っていうのは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の6つの死後の世界といわれ、善悪の業によってどこに行くのか決まる…とのこと。怖い。
母に電話でここに行きたいんだけど、いい?と確認をとったとき、
「お盆にそこって…なんとなく怖いよね。何か連れて帰りそう。」
という大人げない(?)リアクション。
でもそういう母も「化野念仏寺に行きたい。」と言っていたので、
思い切って今回は「あの世とこの世の境目」を狙っていくような旅にしよう!ということにした。
京都の200番系統の循環バスはやっぱり苦手だ。清水道を通らないバスに乗ってしまったので、
途中で降りて、東西線で三条まで。
三条から鴨川沿いをそぞろ歩く。
夕方の風は気持ちよく、向こう岸には豆電球のついた七夕飾りが何メートルかおきに飾られており、夕暮れの風景の中に浮き上がってみえる。
今年は大学の学生さんたちの協力でそういうのをやっているらしい。
そうそう、浴衣の人が多くて、目にも涼し気だった。
鴨川沿いの夕暮れ、気持ちいい。
四条まで歩き、南座のあたりから東へ曲がると祇園。
祇園辻里でテイクアウトのお抹茶アイス、母はホットの抹茶オレ。お茶屋さんのは格別。
華やかな花見小路を過ぎると、普通の暮らしの路地に出る。六道まいりは、町の人がずっと守ってきた地域の行事だ。
すのこのような台を出し、近所の人たちとおしゃべりに興じる大人たちと、花火をしたり、路地を走り回って遊ぶ子どもたち。懐かしい風景。
うちわをハタハタしながらおしゃべりしている、どうやらこのご近所に住むおばあさん2人のあとをついていって、六道珍皇寺へ。
精霊をお迎えするという鐘の音がひっきりなしに聞こえる。
この風景の中で、心は昔、祖母に連れられて行った地蔵盆にタイムスリップした。
煙を頭に浴びるおばあさん、お寺の外に必ずいた、物乞いの人に戸惑ったことをありありと思い出す。
ネットも流行も届かない世界、まるで別次元で訥々と続くもののようで、とてもとても懐かしい。地の臭いがする行事だ。民族、という括り、普段感じることが少ない手触りを感じた。
幽霊子育て飴、この怪談、聞いたことある! ほんとに店があんの!?びっくり。
ここには九相図という人が朽ちていく過程を描いた絵画や、あの世を図式したものが展示されていた。
地元の若いお母さんが小さい子どもとともにお参りにきていて、
「親より先に死んだらいけないんよ!」と賽の河原で石を積む子どもたちの絵を見せながら子どもに言ってて、なんとも微笑ましかった。
その後、三条あたりで薬膳料理のお店へ。写真は鱧&梅酒。美味!
夜の京都タワー、いいね。
お盆のロウソクのよう。
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