わー・・・。
5月31日からブログ書いてないや・・。
6月の最初に新幹線がストップしちゃって、予定がずれててんやわんやだった修学旅行があって、
すぐに中間テスト、その後採点祭りが終わったのが6月末。
7月入ったらすぐに三者面談がわっさわっさ始まって、そして今。
意外と忙しかった6・7月。我を忘れて突っ走ってきた。
職場の人たちと今までで一番協力できたし、
理解しあえる心優しい同僚にも恵まれた。
文化祭の劇の脚本を書いた。
私が第一担任推薦で出した「半神」は惜しくも選ばれなかったけど、
生徒が私に小説を貸してくれ、「これを劇でやってみたい。」と言ったので私も読ませてもらった上で
第二担任推薦で出した山田悠介氏の「スイッチを押すとき」で決まった。
脚本が販売されていないか調べてみたけれど、
販売されてはいなかったので書くことになった。
「スイッチを押すとき」は映画にもドラマにも舞台にもなっているというので、
脚本を書くにあたって舞台映像を見た。
小説の内容から大きく逸脱してはいないけれど、小説とは焦点の当て方が違っていた。
しかし、どうしたってかなり悲劇的なストーリーだ。
子どもの自殺が増え続けた近未来が舞台。
自殺を抑制する研究のため、無作為に選ばれた子どもたちが心臓にある機械を埋め込まれ、
10歳になった時点で国の研究機関に連れていかれて、とある施設で生活させられる。
そこではあらゆる自由が束縛され、娯楽もない。
どういう状態になったら人は自殺したくなるのか、
というデータを集めるための実験材料として、子どもたちは連れてこられたのだった。
子どもたちは「スイッチ」を持たされていて、
絶望した子どもがそれを押すと、痛みもなく心臓が止まり死ぬことができる。
そういう状況の中で、ほとんどの子どもたちが自殺していくのだけど、
ある4人の子どもたちは7年間も生き続けたのだった。
彼らは極限状態の中で、
どうして生きることを選んだのだろうか、ということに焦点を当てた物語。
この小説、発売されて5日で第二刷が出されるくらい爆発的に売れたという。
あくまでも私の感想。
最後があまりに悲劇的、
というか小説版があまりにヒロイックすぎてうーん。。。。かっこつけすぎ!
って思ってしまった。
死ぬって、別にかっこよくないよ。
・・・子どもが結局、全員死んじゃうこのストーリー。
中学生は好きなんだろうけどなあ・・・こういうの、って思いながらも、
あまりにクサい(すみません・・・)展開に正直悩んだ。
てか、荒涼としている。底冷えすらする。
・・・選んだ子どもたちの『心象風景』なのかなって思った。
それで、というかだからこそ、悩みながらラストを変えた。
そのままにしておきたくない。
小説の世界と、もう一つ、それに介入してくる並行世界を物語の中に入れ、
オリジナルストーリーに影響を与えて変えていくことにした。
演劇は、時間も空間も自由に超えられる。
「希望」をテーマにした、救いと未来のあるラストにした。
キャストは22人。かなり多くなった。
改変して書いたストーリーを気に入ってくれるだろうか・・と心配したけど、
賛同を得られた。キャストもスタッフもすぐに決まって、
夏休み直前の金曜日、初の立ち稽古をしてみた。面白くなりそうだった。
夏休み前最後の学級通信で、どうしてこういうラストにしたかを説明した。
「すげえ熱い担任だな!」と同僚に言われた。
でも生徒への願いって、どうやって伝えればいいんだろう。
いろんな主義主張を行うことが制限されている、「教員」というこの立場の中で。
いつでも希望を持って、明るい方に心を向けて生きていって欲しい。
脚本を書いていく中で、
「これは生徒たちが演じるんだ。」と思ったとき、
どうしても願いを込めたくなった。
「・・でもその前向き加減に支えられてんの、生徒だけじゃないから。」
これは、同僚のセリフ。
5月31日からブログ書いてないや・・。
6月の最初に新幹線がストップしちゃって、予定がずれててんやわんやだった修学旅行があって、
すぐに中間テスト、その後採点祭りが終わったのが6月末。
7月入ったらすぐに三者面談がわっさわっさ始まって、そして今。
意外と忙しかった6・7月。我を忘れて突っ走ってきた。
職場の人たちと今までで一番協力できたし、
理解しあえる心優しい同僚にも恵まれた。
文化祭の劇の脚本を書いた。
私が第一担任推薦で出した「半神」は惜しくも選ばれなかったけど、
生徒が私に小説を貸してくれ、「これを劇でやってみたい。」と言ったので私も読ませてもらった上で
第二担任推薦で出した山田悠介氏の「スイッチを押すとき」で決まった。
脚本が販売されていないか調べてみたけれど、
販売されてはいなかったので書くことになった。
「スイッチを押すとき」は映画にもドラマにも舞台にもなっているというので、
脚本を書くにあたって舞台映像を見た。
小説の内容から大きく逸脱してはいないけれど、小説とは焦点の当て方が違っていた。
しかし、どうしたってかなり悲劇的なストーリーだ。
子どもの自殺が増え続けた近未来が舞台。
自殺を抑制する研究のため、無作為に選ばれた子どもたちが心臓にある機械を埋め込まれ、
10歳になった時点で国の研究機関に連れていかれて、とある施設で生活させられる。
そこではあらゆる自由が束縛され、娯楽もない。
どういう状態になったら人は自殺したくなるのか、
というデータを集めるための実験材料として、子どもたちは連れてこられたのだった。
子どもたちは「スイッチ」を持たされていて、
絶望した子どもがそれを押すと、痛みもなく心臓が止まり死ぬことができる。
そういう状況の中で、ほとんどの子どもたちが自殺していくのだけど、
ある4人の子どもたちは7年間も生き続けたのだった。
彼らは極限状態の中で、
どうして生きることを選んだのだろうか、ということに焦点を当てた物語。
この小説、発売されて5日で第二刷が出されるくらい爆発的に売れたという。
あくまでも私の感想。
最後があまりに悲劇的、
というか小説版があまりにヒロイックすぎてうーん。。。。かっこつけすぎ!
って思ってしまった。
死ぬって、別にかっこよくないよ。
・・・子どもが結局、全員死んじゃうこのストーリー。
中学生は好きなんだろうけどなあ・・・こういうの、って思いながらも、
あまりにクサい(すみません・・・)展開に正直悩んだ。
てか、荒涼としている。底冷えすらする。
・・・選んだ子どもたちの『心象風景』なのかなって思った。
それで、というかだからこそ、悩みながらラストを変えた。
そのままにしておきたくない。
小説の世界と、もう一つ、それに介入してくる並行世界を物語の中に入れ、
オリジナルストーリーに影響を与えて変えていくことにした。
演劇は、時間も空間も自由に超えられる。
「希望」をテーマにした、救いと未来のあるラストにした。
キャストは22人。かなり多くなった。
改変して書いたストーリーを気に入ってくれるだろうか・・と心配したけど、
賛同を得られた。キャストもスタッフもすぐに決まって、
夏休み直前の金曜日、初の立ち稽古をしてみた。面白くなりそうだった。
夏休み前最後の学級通信で、どうしてこういうラストにしたかを説明した。
「すげえ熱い担任だな!」と同僚に言われた。
でも生徒への願いって、どうやって伝えればいいんだろう。
いろんな主義主張を行うことが制限されている、「教員」というこの立場の中で。
いつでも希望を持って、明るい方に心を向けて生きていって欲しい。
脚本を書いていく中で、
「これは生徒たちが演じるんだ。」と思ったとき、
どうしても願いを込めたくなった。
「・・でもその前向き加減に支えられてんの、生徒だけじゃないから。」
これは、同僚のセリフ。
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