わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
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地球のこと

2022-10-16 21:07:14 | 地球とか命とか
大仰なタイトルかもしれないけど、儂、どうしてもこういうことが気になってしまう。

儂がよく勉強させてもらってるブログで、こんな記事が紹介されてた。
今までにも、これら以外に同じような出来事があったみたい。例えば、

儂、以前の記事で「環境保護団体ってなんだかなあ・・・」って書いたのは、こういうことなんだよねえ。
どうしてこう極端というかドラスティックというか独善的というかなんというか、、、なのかなあ。
欧米人だけ?とも思ったりするんだけど、日本の動物保護なんちゃらでもこういう人達いるしなあ。
確かに温暖化の問題なんかだともう待ったなしだから、悠長なことやってちゃ絶対にダメだと儂も思う。ただ、それがこういう芸術作品につながるというのが、儂にはまったく理解不能。

と、思って手がかりを探してたらこんな記事に辿り着いた。

この中で活動家とかいう人が、
政治は常に文化に追随する
文化施設が掲げた理想
とか言ってるんだけど、こういう方面の勉強が足りない儂には、「へ~、政治って文化に追随するんだ」とか「文化施設って理想掲げてるんだ」としか思えんかったw。そもそも、申し訳ないんだけど、この人達って“活動家”じゃなくて、ただのパフォーマーじゃね?と思っちゃったwww。

それ以外にも、
私たちは確実にファシズムへと向かっています。
そうかもしれないけど、この人達のやってることもある種のファシズムじゃないのかな? 自分達の考え方だけが正しくて、それ以外は排除するというのはそういうことじゃないの?

有限のシステムの中で無限に成長していこうとする文化に破壊されてきたんです。
無限に成長していこうとしてきたのは文化だけではなく、人類の営みすべてがそうなのでは? 特に経済がそうでしょ。人間の営みすべてを“文化”という言葉であらわしているんだとしたら、なぜ絵画だけが標的になるの?

この先数十年、文字通り地獄を見ることになる若者たちを支援することです。
グッドアンセスターにも通じる意見だなと思う。でも、そういう考え方自体が人間の思い上がりなのかも、と、松本紹圭師も言われてるけど、今は儂もそうかもしれないと思ってる。これって、要するに現代の基準とか価値観とかでしかものを考えていないということなんだよね。

私たちが国家に立ち向かうのは絶対に必要なことなんです。 
これは確かにそうだと思う。でも、やっぱりなんでそれが文化に、それも美術作品につながるのかがどうしてもわからない。スポーツでもやったみたいだけど、じゃあ次はクラシックの演奏会の途中で大声で叫んでみるかw。

自分たちの行動は気候変動という現実を無視し続けようとする市民の注意を引くために必要
確かに注意はひくだろう。でもこういうのって、きっとただの“ニュース”で終わっちゃう。多くの人の賛同につながるとは思えないし、それをきっかけに環境保護の運動が広がって行くとはまったく思えない。むしろ逆効果だと思う。こういうやり方以外で環境保護活動をしてる人達の邪魔をしているとしか、儂には思えない。
そもそも、こういう芸術作品に興味があるとか嗜好するっていう人は、すでに環境問題をきちんと考えているか、あるいは逆に環境を破壊している張本人達が多いんじゃないのかな。そして後者だと、自分達がやっていることを省みることはなく、こういう行為をただ叩き潰そうとするだけじゃないのかと思ったりする。

そして、インタビューの一部をそのまま引用する。
──活動家たちが発表した声明文を読むと、同じような言葉が何度も出てきています。「私はアートを愛しています。この絵のことも愛しています。でも、地球と人間をもっと愛しています」。私たちはアートか気候変動への配慮か、どちらか一方を選択しなければならないのでしょうか。こうした声明文をどう捉えていますか?

これはとても挑発的で、こうした考え方には共感できない部分もあります。私は比較的恵まれた時代に育ちましたが、今、目の前にある状況を見ると、若者たちがそのような比較をしてしまうのも理解できます。彼らが言わんとしているのは、優先順位をはっきりさせ、地球上の生命の存続に関して現実的な目標を定める必要があるということです。
この「共感できない」とか「理解できます」が何になのかイマイチよくわからないんだけど、どうしてこういうゼロイチ発想になるのかなあ。優先順位とかじゃなくて“両立”という考え方ができないのかなあ。確かに優先順位っていう考え方も必要だけど、なんでもかんでもそれに当てはめていいっていうわけじゃないよ。

と、ここまで反対意見や疑問ばかり書いてきたけど、儂は決して「何でも反対」じゃないし、なにより気候の問題は喫緊の重々々々々大事。
私たちが住む地球には既に火がついている
これはまったくその通りだと思う。先にも書いたように、悠長なことを言ってられる状況じゃない。ただ、正確には「住む」ではなく「住まわせていただいている」だけどな。何度も書いてるけど、地球は人間の所有物じゃない!
でも、その、住まわせていただいてる地球に火をつけたのは我々人間なのに、未だに戦争だなんだかんだってやってる。おまけに、なんか世界中どんどんバラバラになって行ってる感じがするし、このままだとやっぱりダメじゃね?と思ってしまう。
だから、こういう強硬手段っていうのも、実はわからんでもない。ただ、どうせやるなら、こんなパフォーマンスだけの無駄なことをやってないで、もっともっと実効性があることを、それこそ命がけでやったらどうなんだろうね、とも思うんだわ。以前の記事で「少し考えが変わって来てる」と書いたのはこういうこと。

掟破りの力業は、こういった“活動家”なる皆さんにお任せするとしても、地球のことは自分達にとって絶対他人事じゃない。
まず今すぐにでもできることは、少欲知足じゃないかなと思ってる。これ、口で言うほど簡単じゃない。でも、SDGsなんていうことじゃなくても、もし世界中の一人一人がこれをやれれば、実はそれだけでずいぶん違ってくると思うんだけどなあ。


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