次は本郷の駅をはさんで反対側にあるL Gallery,F-1へ。『杉浦誠展』を見に行く。さっきはガラスと陶器だったが、今度は木彫。でも普通の木彫ではない。さっきのガラスの小さな小さな食器に負けないくらい、小さな小さな木彫の風景。
これは小さな街並み。一軒ずつばらで売られているので、日に日に街が寂れていく。私の宝くじが当たっていれば、街並みまるごとそっくり買って、部屋に飾るのだが。(そのようなスペースがいったいどこに?)
これもすごい。比較するものがないのでわからないのだが、とにかく小さい。まるで鳥のように見下ろす風景。以前この画廊で豆盆栽の展示を見たときにも感じたのだが、この作品を見ていると自分がその世界の中に入り込んでしまうような気がする。自分自身がこの作品の中に立っていて、世界が果てしなく広がっている。自分の血の流れる音が聞こえてきそうな静けさ。
これは風景ではないけれど、何だか知り合いの誰かに似ているような気がしたので、思わず撮影。愛嬌があって可愛い。
他にも断崖の上に立つ灯台とか、コロセウム(いったんきちんと作り上げてから崩していくらしい。崩すではなく彫るのか。どっちにしてもすごい労力)とか、いったいどんな道具を使ったらこんなに細かく彫れるのだろうというような作品が並んでいる。
私が一番好きだったのは、最初にあげてある砂漠の風景。この木で出来た砂漠に夕日があたると、まるで本物の砂漠のように見えるのだそうだ。私が帰る頃、砂漠に少し影が出来ていたので写真を撮りなおす。自分が砂の中に立っているのを感じる。足の下の砂が熱い。砂が音もたてず風に流されていく。私の身体が少しずつ砂に埋まっていく。
これは小さな街並み。一軒ずつばらで売られているので、日に日に街が寂れていく。私の宝くじが当たっていれば、街並みまるごとそっくり買って、部屋に飾るのだが。(そのようなスペースがいったいどこに?)
これもすごい。比較するものがないのでわからないのだが、とにかく小さい。まるで鳥のように見下ろす風景。以前この画廊で豆盆栽の展示を見たときにも感じたのだが、この作品を見ていると自分がその世界の中に入り込んでしまうような気がする。自分自身がこの作品の中に立っていて、世界が果てしなく広がっている。自分の血の流れる音が聞こえてきそうな静けさ。
これは風景ではないけれど、何だか知り合いの誰かに似ているような気がしたので、思わず撮影。愛嬌があって可愛い。
他にも断崖の上に立つ灯台とか、コロセウム(いったんきちんと作り上げてから崩していくらしい。崩すではなく彫るのか。どっちにしてもすごい労力)とか、いったいどんな道具を使ったらこんなに細かく彫れるのだろうというような作品が並んでいる。
私が一番好きだったのは、最初にあげてある砂漠の風景。この木で出来た砂漠に夕日があたると、まるで本物の砂漠のように見えるのだそうだ。私が帰る頃、砂漠に少し影が出来ていたので写真を撮りなおす。自分が砂の中に立っているのを感じる。足の下の砂が熱い。砂が音もたてず風に流されていく。私の身体が少しずつ砂に埋まっていく。
木の香りがよくて、ギャラリーにいると和みます。玄関先の教会のカヤの香りの甘いこと、甘いこと。
自分が作品の中に入り込む感覚、特に『砂漠』の作品でワタシも感じます。旅人になり、熱い砂に足を取られながら歩く、その先に崩れかけた建物。影を求めて目指す・・・物語がそこにある気がします。
ブログにも書いていただいて、作家もギャラリストも励みになると思います。ありがとうございました。
お忙しいとは思いますが、お体には御気をつけくださいまし。
もし東京の方で展覧会をされる時は教えてほしいです。東京ならば新潟からでも見に行けるかもしれません。
八月に、日本橋三越で薮内佐斗司工房のグループショウがあるそうで、杉浦誠さんも出展されるそうです。『鳥の視点風景シリーズ』を出されるそうですが、何せグループショウ。ワタシがお話を伺った限りでは一点のみの出展のようです。
杉浦さんは、来年か再来年に、またLギャラリーで個展をされると思います。もしその時にでも、お時間が合えばよいのですが・・・鬼も笑えやしないほど、ズイブン先の話で恐縮ですが。
またご案内が行くと思いますが、よろしくお願いいたします。
またたくさん展示されるときは、ぜひ教えてください。よろしくお願いします。