きょうが最後の「ぽえ茶」(私が月に一度やらせてもらっていた自由参加の朗読会)だった。
たくさん参加してくださった上に、三重朗読ジム・ヴォイスの青木さんに花束をいただいたり、私なんかの追っかけをしてくださっている宮島さんにお菓子をいただいたり、皆様本当にありがとうございました。
で、これは「詩のあるからだ」主催者の若原君がくれた亀セット。小さいが非常にリアルに出来ている。
「ぽえ茶」のことは、また朗読会の記録の方に詳しく書く予定。
たくさん参加してくださった上に、三重朗読ジム・ヴォイスの青木さんに花束をいただいたり、私なんかの追っかけをしてくださっている宮島さんにお菓子をいただいたり、皆様本当にありがとうございました。
で、これは「詩のあるからだ」主催者の若原君がくれた亀セット。小さいが非常にリアルに出来ている。
「ぽえ茶」のことは、また朗読会の記録の方に詳しく書く予定。
読むはずのテキストは、長田弘さんの『すべてきみに宛てた手紙 』(晶文社、2001.04 ISBN 4-7949-6484-6 )より「手紙 1」でした。せめて図書館で読んでみてください。今でも僕にはこれは身にしみる散文詩です。手紙という形式がまたいいんです。
この場をお借りして、今までどうもありがとうございました。また、なにかの形でお会いできることを楽しみにしています。
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2002/07/22
「はじまりというのは、つねに何かをやめること。」
長田弘『記憶のつくり方』晶文社、1998.01 ISBN 4-7949-3531-5
長田弘『すべてきみに宛てた手紙 』晶文社、2001.04 ISBN 4-7949-6484-6
長田弘さんを初めて読んで、この人は好きだと思った。詩集やエッセイ集のタイトルは、どれもいい。こういう人が学芸賞や出版文化賞を与えられて、広くうけいれられるのはうれしいことだ。これは経験則なのだけれど、あとがきの美しい本、自分のことばで考えぬかれた謝意でしめくくられた本は、全篇つうじて強い読後感をもたらしてくれることが多い。反対に、あとがきに形式的な、オリジナルでない謝辞のことばをみると、一気に興醒めしてしまう。そういうこともあって、本をえらぶときは最初と最後のページをまず先に確かめることにしている。長田弘さんの詩集は、あとがきも冒頭の詩も美しい。(ちなみに、いまでも強く印象に残るあとがき名文家は、『わが心の宮沢賢治』の畑山博さんと、ケルト文化・装飾芸術の鶴岡真弓さん。)
すべてきみに宛てた手紙、これはすべて「きみ」に宛てた手紙なのです、目の前にいない「きみ」、そのときどきに受け取り人になってくれた「きみ」に。手紙の意匠で語りかけるそのエッセー集の、さいしょの一篇をひらいたとき、まるで自分が書いたもののように感じられた。そこに自分がいる、どきりとさせるのも、すぐれた書き手の力だろう。
明らかに同じ内容の場合はこちらで削除しますから、大丈夫です。
その本は探してみますね。ハナミ君はたくさん本を読んでおられるんですね。いろいろなことに詳しいので本当に感心してしまいます。
またお目にかかれる機会はいくらでもあると思います。またいつかどこかで、ね。