木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

野球少年物語

2008-10-31 18:13:51 | Weblog
「おい、この前の仕事の分集金に寄ってくれるか?」
小学校のチームメイトからさっき電話があった
Iという
小学校の時、僕はショート Iはキャッチャーだった
彼はむちゃんこ運動能力に長けていた
そりゃ動きは抜群 ほれぼれとするような身のこなしをする
走り高跳びで名古屋市の大会で優勝してる
いつも野球の練習しかしてないやつなのにこの結果。
もう一人100m走で3位になった奴も野球部にいた Wという
こいつも同じ 野球しか練習してない
もっとも僕らの小学校には当時運動部は野球部しかなかった
言ってみれば運動が出来る奴は野球部だったわけだ

Wは足の速さを認められて野球の名門中学へ特待生で入学
Iは特待の話はなく 中高一貫のおぼっちゃま中学へ進学した
大人は見る目がないと思ったね
Iの方がWより数段できる奴のはず
うまく使えば甲子園にだって行けただろうに
でも勿体ない事にIは普通の弱小野球部の一員になっただけ
そこで一緒に進学したYとお坊ちゃま野球部を盛りたてただけだった
なにがあったのか・・そのままおぼっちゃま大学には行けず(?)行かずか?
京都のS産業大学 あ、言っちゃった へ進んだ
ここでもお遊び野球クラブへ入っただけ
野球部だったらすごいんだけどね
「おれには無理だ」って言ってたけど いや自分にふたをしてるだけだ


Iも親になった
娘の後、息子も生まれた
うちの息子より一つ下で 小学校では女の子たちのあこがれの的だったようだ
勉強は知らんが運動は抜群
親父が付き添って付き添って立派な野球少年に育てた
中学は野球で決めた しっかりした指導者のいる所へ戸籍を操作してでも入り込んだ
その効果はあったようだ
高校は世界一ヒットの数を記録する可能性のあるあの人の後輩になる
そして一年の時同学年の中ではただ一人一軍メンバーに選ばれて甲子園の土を踏んだ
順風満帆の船出・・・・
しかし 故障に追い込まれ
2年から約束されていたようなエースの座にはつけなかった
それでもまた控え投手として甲子園へは行くことができた
後輩がドラゴンズに入団
彼は日大の選手になる
でも大成はできなかったようだ
ただ責任ある地位を与えられてはいたようで現在は野茂ベースボールクラブの所属だ

少し期待してた昨日のドラフト
148kmを出したことが小さな望みだったが残念な結果だった
同級生の長野(ちょうの)選手は世間を騒がせてるけれど 世間のほとんどの人は彼を知らない
ずっと歴史を重ねてきて プロの投手を夢見てきた一人の青年の最後の望み・・年齢的(24)・・は断たれてしまったのだろうか。


さぁ、ため息ついてるかもしれん親父から集金してくるか
コメント (10)
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