木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

端くれの喜び

2012-05-05 23:58:57 | 音楽
iPhone触ってたらアプリのベスト25なんてのが出てきた
そこに85円で合法的に曲アップロードし放題なんてのがあったんで
昨夜何気なしに息子に言ってみた
少しばかりの解説をしてくれるんかと思ったのだが
「そんなの合法的であるはずがない
 ちゃんとお金払ってゲットしなくっちゃ 仮にも
 アーチストの端くれだったんだから」
なんか余分な言葉まで言ってくれちゃったわ
「アーチストって誰のこっちゃ?」
「歌作ってたんでしょ?」
「端くれのアーチストに言われたくないな
お前だってさっきビッグバンとかの音を友達にもらって
妹にやってたじゃないか」
「あれはシェアしただけだから」
「どう違うんだ? あ~~?」

とかなんとか、場末の家庭内ひとこま

端くれでもなんでもアーチストかぁ
そんなことすこしも思ったことなかったな
別にいい気になってるわけじゃないが・・

アーチストにとって自分の曲を取られるということはどんな気持ちなんだろうか
もし自分が作った曲を他の人が「私が作りました」なんて言われたら
そりゃ腹も立つだろうけど
自分の曲としていい曲だと思って聞いてくれてたら
それはすごくうれしいことに違いない・・・と、素人アーチストは思うのだ

独身の頃、バンドサークルやってて
その中で一緒だった子が他の場所で違う仲間とコンサートをやるって時に
「かっつんさん、時間作りますから一人で2.30分やってくれませんか?」と言ってきた
彼は風貌はともかくギターの腕はなかなかのもんで、サークルの中でも一種次元の違うものを持っていた
だからどこかしら他の仲間を上から見下ろしてた部分もあった
そんなやつが僕に出演依頼?
それがうれしかったものだ
オリジナルを3・4曲用意して話を交えてその緊張の時を過ごした
その時一曲だけピアノが欲しかったんで
もともともメンバーだったカナちゃんに僕の友達が作ってくれたテープを聞かせて
半音下のキーでコピーしてもらってそれを歌った覚えがある
一生懸命練習してくれた
ピアノで半音下だと黒鍵ばかり使って面倒だろうなと思いながら、感謝しながらの思いは忘れてはいない

さてサークルの例会には月一で順番に決まった人が最終週に発表会というかミニコンサートをすることになっていた
その僕が出たコンサートの直後のそれはカナちゃんの順番だった
彼女はいくつかの歌の後、最後の曲にそれを取り上げてくれて
自分の声で僕の歌を歌ってくれた
聞いてて恥ずかしかったけど、ああそのフレーズちょい違うんだけど・・
とおもうところもあったけど
これが結構うれしかった
おまけに聞いてたサークルの子たちの評価がなかなかだったんで
それも僕の気持ちの後押しをしてくれた

立派に曲が売れて経済的にも潤って来ると
ただでダウンロードされて権利を侵害された
という言葉になるのだろうけど
勿論それも当然わかるのだけれど
最初の最初は自分の作ったものが認められる喜びしかないはず
「端くれ」のうちはそれしかない
僕はそのまま終わってしまったけれど、小さな喜びは決して忘れはしない




   
  

   


コメント (6)
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