☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

完全なる生命が病む理由

2015-01-26 22:38:46 | 今日の光明法語


神は 完全なる生命である。その生命を人に与えたのである。

自分の生命は 神の生命である。


然(しか)しそれが必ずしも各人に完全に実現していないのである。

それは第一には、 「 人間は物質である 」という迷信による。

第二には、神に与えられたる生命を 神の子らしく使わないによる。


それを愛のために使わず、慈悲のために使わず、人の助 けによるために使わず

ただ我慾(がよく)のために使い、人を憎むために使い、人を怒るために使いなどするから

神の完全な生命が実現しないで 病気になっているのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年一月号  二十一日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





神に全托(ぜんたく)すれば最も善いものが来る

2015-01-26 22:00:13 | 今日の光明法語


「 私の意志が 神様にきかれますように」と祈るよりも、

「 神さまの意志が、み心の通りに私の中に行われますように 」 と

祈る方が正しき祈りであるのである。


自分の欲するものが その祈りの結果として実現して来なくとも、

それは 却(かえ)っていいことなのである。


自分の意志よりも、神さまの み心の方が、

何が一そう善いかということをよりよく知り給うからである。


神への無条件降伏は 宗教の極致であり、幸福の源泉であるのである。

無条件降伏が無条件幸福である。



『 生長の家 』 昭和二十五年一月号  二十日の法語  谷 口 雅 春 先 生 



敵意を以(もっ)て祈ることは成就せぬ

2015-01-26 21:44:01 | 今日の光明法語


自分に悪意をいだいているもの、反対する者等(ら)に対して、

彼等を罰し給えと祈ることは、決して叶(かな)えられる祈りではないのである。


もし相手の悪意をなくし、敵対行為をしずめてしまおうと思うならば、

「 彼を罰 し給え 」 と祈るよりも、「 この問題を神さま あなたに委(ゆだ)ねます。

吾が意志をなそうとするのではございません。

彼があなたに造られたる そのままの姿に み心の通りにならしめて下さいませ 」 と

すっかり相手に対する 執着と憎みと敵意をはなして、神に委せてしまうことである。



『 生長の家 』 昭和二十五年一月号  十九日の法語  谷 口 雅 春 先 生 





神は霊であるから霊を求むるべきである

2015-01-26 12:23:35 | 今日の光明法語


祈りの効果は、その祈りによって、物質的な何ものかが 与えられるということではなく

神の智慧を与えられ、神の愛を与えられ、神の力を与えられるということが

祈りの最大の効果であるのである。


神の世界に於(お)いては、 「 物質 」 は存在しないのであるから、

「 物質 」 を求めることは、存在しないものを求めるにすぎないのである。


それよりも必要なのは、神は霊であるから

その霊なる生命と、智慧と、愛とを求めることであるのである。


神の生命を得た時に 健康になるのは当然のことである。( 新著 「 祈りの科学 」 参照 )。



『 生長の家 』 昭和二十五年一月号  十八日の法語  谷 口 雅 春 先 生 







傲慢(ごうまん)は自分と神とを晦(くら)ます

2015-01-26 12:04:31 | 今日の光明法語


どんな発達した人間でも、尚(なお)神の全相が現われているなどと

傲慢になってはならないのである。


「 幸いなるかな、柔和なるもの。彼は地を嗣(つ)がん 」 と

キリストが教えているように 

吾々は 心が柔和に謙遜(へりくだら)なければならないのである。


傲(たかぶ)るものには 神の智慧は入って来ないのである。

それは丁度一ぱいに溢(あふ)れているコップには

新しい水を入れることができないようなものである。


吾々はどんなに自分の智慧が発達していても、

常に 「 神よ あなたの智慧を与え給え。よき導きを与え給え 」 と

祈ることを忘れてはならないのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年一月号  十七日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




人を強制する事を祈るな

2015-01-26 11:44:03 | 今日の光明法語


吾々は、他の人の自由を束縛したり、

人それぞれの事件に こちらの考えを強制して

それを変化せしめようなどと祈ってはならないのである。


「 あの人が神の み心を理解し、神の計画し給いし

その完全なる姿に於いて生きますように 」

と祈ることは いいのである。


自分の思いを 他の人に強制 してはならないのである。


彼が神に造られたるままの 「 本当の彼自身 」 であり得るように祈ってやれば

彼の本当の相(すがた)(善)が実現するのである。


「 彼が神の子の完全な姿を現わしますように

神の愛は 完全に彼をとりまいて彼を守っている 」 と念ぜよ。



『 生長の家 』 昭和二十五年一月号  十六日の法語  谷 口 雅 春 先 生