☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

【 実相世界の七徳 ③ 】 実在宇宙は 無限創造の世界

2016-12-23 00:45:55 | 今日の光明法語
つぎに、実相の世界の第三の特徴は、宇麻志阿斯詞備比古遅神(うましあしかび
ひこぢのかみ)といわれるこの神の名(みな)によって現れておりますように、
無限創造の働(はたらき)、無限のものを産出(うみだ)す働(はたらき)、
これが実相の世界の特徴でありまして、

この実相の世界を単なる空(くう)の世界であって何もない‘からっぽ’のもので
あると考えてはならないのであります。感覚をもって見ると実相の世界は見えない
のでありますから、『空(くう)』と云(い)ったりしますけれども、
『空(くう)』の奥に『無限相(むげんそう)』無限の創造があることを
知らなければならないのであります。

若(も)しその奥に妙有(みょうう)の無限相がないところの『空(くう)』が
実相でありましたならば、吾々が実相に一致したら‘からっぽ’になって
死骸のように灰身滅智(けしんめっち)(編註・身を灰にして、智を滅して涅槃に
入ること。小乗仏教の理想とされる)を喜んで山へでも籠(こも)るほか仕方がない。
それを吾々が実相を体得することであると考えるのは間違(まちがい)であります。

実相に一致するのには、宇麻志阿斯詞備(うましあしかび)の働(はたらき)、
無限創造の働(はたらき)というものがなければならないのであります。

病気療養に安静療法というのがあります。安静療法でじっと静かにしているのは
この空(くう)の働(はたらき)でありますけれども、その空(くう)に捉(とら)われて
しまっては駄目であって、病気の或る期間は安静を必要とする時期もありますが、
やがて安静から動き出して来る働(はたらき)、無限創造の働(はたらき)がなければ
ならないのであります。

吾々は動静(どうせい)調和することによって生命を獲得し、価値を発見するという
事が出来るのでありますけれども、唯(ただ)じっとしているという事によっては、
生命は生きて来ないのであります。生命の本体は動(どう)であることに注意しなければ
なりません。

空観(くうかん)によって空(くう)を観(かん)ずるのも動(どう)を
招(よ)び出すためであります。『生長の家』の実相観(じっそうかん)を
修(しゅう)していますと、生命の実相(ほんとのすがた)は動(どう)であって
静(せい)でないという事が判(わか)って来るのであります。

これは‘ちゃん’と『古事記』にこの通り書いてあるのでありまして、
『独神(ひとりがみ)成(な)りませる神』即ち絶対の神というのは
単なる『静(せい)』ではない、無限創造の『動(どう)』なのであります。

何だか絶対と申しますと『静(せい)』見たいに思っている人が多いようですけれども、
絶対は 動(どう)である、ベルグソン(編註・一八五九年生まれ。フランスの哲学者。
「生の飛躍」を唱え、その哲学は「生の哲学」と呼ばれる。
一九二七年ノーベル文学賞受賞)の説いたように創造的進化の世界なのであります。

無限に創造して無限に活(い)き活(い)きと活機(かっき)臨々(りんりん)として
生きているのが実相の世界なのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 85~87頁 )  谷 口 雅 春 先 生



【 実相世界の七徳 ② 】 実在宇宙は 陰陽(いんよう)揃(そろ)う世界

2016-12-23 00:24:45 | 今日の光明法語
高天原(たかあまはら)即ち実在(じつざい)宇宙の特徴の第一は
今申しました通り中心に帰一(きいつ)することでありますが、

その第二には高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)と
陰陽(いんよう)両方の神様がお現れになったことによって示されているのであります。

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は陽(よう)の働(はたらき)であり、
神産巣日神(かみむすびのかみ)は陰(いん)の働(はたらき)であります。

この高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)と
お二方(ふたかた)の神様がお生れになって、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は
陽(よう)の方(ほう)、神産巣日神(かみむすびのかみ)は陰(いん)の方(ほう)を
お司(つかさど)りになりましたが、

その陰陽両方の働(はたらき)の調和は、どういう風にしてとれるかといいますと、
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の表現神(あらわれのかみ)であられる
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、神産巣日神(かみむすびのかみ)様の
表現神(あらわれのかみ)であるところの伊邪那美命(いざなみのみこと) ― 
このお二方の働(はたらき)がどういう風に主従(しゅじゅう)の関係になって
調和するかは既に申上げた所であります。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の陽(よう)の方の働(はたらき)というものは
主(しゅ)であって、伊邪那美命(いざなみのみこと)の陰(いん)の方の
働(はたらき)は従(じゅう)であります。日本の道徳は夫唱婦和(ふしょうふわ)、
陽主陰従(ようしゅいんじゅう)によって調和が得られるのであります。

これは単に現在の現象的に現れている東海の小島国(しょうとうこく)としての
倫理道徳ではないのでありまして、『 実相(じっそう)日本 』即ち
『 実在(じつざい)の宇宙 』 に於(お)ける生命の真実の動きがそうなっていると
いうことを、古事記には人格的、物語風に書いて表現してあるのであります。

女神(めがみ)の方から『阿那邇夜志(あなにやし)、愛袁登古袁(えおとこを)』
(噫(ああ)美しい男である)と讃歎(さんたん)して、そうして霊交(むすびかため)を
せられた時には良い国が生れなかった。

ところが、あべこべに今度は男の方から『噫(ああ)美しい乙女子(おとめご)である』と
讃歎して結婚(むすびかため)されたら良いお国が生れたということが書いてある。
それが夫唱婦和(ふしょうふわ)の天地の法則、実相の世界秩序の人格的、物語的
表現なのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 83~84頁 )  谷 口 雅 春 先 生