・・・・・ 愛の範囲が、「自己中心の愛」から「恋人への愛」、それから「父母への愛」、
それから「祖先への愛」となってくるのであります。
それから更には、その祖先の、祖先の、更に祖先ということになってきますと、
それは一方においては 即(すなわ)ち「 神 」に達する。
こうして、縦に広がっては、神に対する愛となり、無限の原始(げんし)において 自分の生命は
神につながって出発し、そして今 現(げん)に ここに神につながって生かされているのであると
いう自覚が起ってくるのであります。
そして、神の御心(みこころ)に適(かな)う生活をしなければならない。そして神の御心に適って
何をしても神が 「 お前はすばらしいことをしたぞ! 」 といって、神様が褒(ほ)めて下さるような
生き方をした時に その時に喜びを感ずる。
神が喜んだら自分が喜ぶというような 内からなる実践道徳の理性 ― または 規範が 内部から
押し出して来て、自分の生命が 縦に拡大して 神の意志と一体になる行動にまで発達することに
なるのであります。これが 「 神を愛する 」 ということであります。
併(しか)し神から発(はっ)し 神につながる我が生命が具体的に生きるためには、
その生きる “ 場 ” がなければならない。それが国であります。
日本の国があって吾々は生き、吾々の祖先も生きて来ている、神武天皇の建国は神話であると
いう人もあるけれども、ともかくわれわれの祖先たる 天照大御神 → 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) →
そして神武天皇という風(ふう)に我々の生命の続きの祖先が日本の国を建てた。
吾々の住んでいる日本の国は、祖先と自分と一体の自覚においては、日本の国は吾々の祖先の
生命の展開であり、正(まさ)に自分の生命の続きなんです。だから自分を愛する者は日本国を
愛しなければならないということになるのであります。
若(も)し神武天皇が日本国をお建てにならなかったら、現在の日本人は存在しないということに
なるのであります。そこに 「 生命の本源 」 を知ることによって、天皇家に対する恩愛の情(じょう)、
報恩の心というものが自然に発生して来(こ)なければならない。
そして吾々自身と吾々の祖先とが生き、かつ生かされて来た日本国を愛さなければならない
必然の要求がでて来(く)るのであります。これが本当の愛国心であります。
谷口雅春 先生
『 人生を前進する 』 ( 168 ~ 169頁 )