満天横丁に住まう妖怪のひとり言

満天横丁に住む満天と申します
最近、猫妖怪化してきており更新は不定期ですが…
ひとり言にお付き合い頂ければ幸いです。

終戦記念日

2006-08-16 | 日々のハチャメチャ
純情きらり
NHKの朝の連続ドラマ見てますか?
私は毎朝コレを見て出勤しています(笑)

8月15日の朝の「純情きらり」は昭和20年2月でした。
この年の8月が終戦なんですよね。

昭和20年以降、復員兵の方々が日本に戻ってこられて
奥様と再会し…合体の結果…お生まれになった方々が「団塊の世代」
ウチのダンナ様は昭和23年生まれなので「団塊」ですね。

私の父は終戦当時12歳なんで戦争へは行ってませんが、
終戦時の混乱の話は良く聞かされました。
母(継母)は当時4歳
4歳ですが、旭川にあった家の裏手の工場が
空襲で燃えた事は強烈な印象があったらしく
覚えているそうです。

ダンナ様のお父様(義父)とは一眼レフのカメラの趣味が一緒で
よく、カメラ談義に花を咲かせますが、
義父のカメラコレクションのケースの中に
厚みが5~6cm位の四角いガラスが入っています。
義父は終戦時に技術者として陸軍におりまして
このガラス板は戦車の窓だと、教えていただきました。
小さい物で横は12~3cm、縦は10cmは無い位です。
覗いて見ても透明度が悪く、多分…敵の戦車の陰影が見えたかどうか…?
ただ、とても大切な部品だったそうです。
ボディは木で作れても、ガラスは相当な貴重品だったらしく
空襲の時などはコレを抱えて逃げたそうです。

小さな不透明なガラスの板を覗いた時に
なんとも言えない切なさがこみ上げて来たのを覚えています。
こんなガラスが戦車という小さな箱の世界での
命綱だったんですね。

「純情きらり」の番組の中でも
妻や娘らが「千人針」をして夫や息子を戦地へ送り出す場面がありました。
戦地に赴く方々は本当に小さな小さな命綱を握り締めていたのですね。
「絶対に生きて帰る!」という「ささえ」でしょうか。
日本を勝利に導き、日本にいる妻や子供を守るという「決意」でしょうか。

靖国問題や自衛隊の派遣問題などの是非は
それぞれの議員さんの抱えている背景等の問題があるようで…
どう転んで行くのか見守る他にしようがありませんが

絶対に譲れないことが一つだけ…あります。
「戦争はしない・させない・参加しない」事。
今、お子さんをお持ちのお母さん達が
悲しむ世界は絶対に作らないでください。

一国を背負って立っているとの自覚を是非
再認識する日としてくださいね。国会の議員さん。お願いしますよ。