満天横丁に住まう妖怪のひとり言

満天横丁に住む満天と申します
最近、猫妖怪化してきており更新は不定期ですが…
ひとり言にお付き合い頂ければ幸いです。

両国大相撲殺人事件 作:風野真知雄

2008-01-22 | 本の紹介


以前に紹介した
「赤鬼奉行」耳袋秘帖シリーズ
コレの第6弾です

今回の舞台は両国です
大川に架かる両国橋は武蔵と下総の二国を結んでいたので
両国橋と呼ばれていました
江戸の地図を見ても両国という地名はないのですが
江戸の人々は、この両国橋の界隈を「両国」っと呼んでいたようです
当時の両国橋は現在のソレより少し下流にあったようです

この両国に今も昔も同じ場所にある「本所回向院」があります
この境内で江戸の庶民を楽しませた
勧進相撲の本場所が行われていたのです



昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に
この回向院に「力塚」という碑を建立しました
今も若手力士達が「力をつける碑」として祈願しているそうです

さて、今回のお話は
江戸相撲最強と言われた大関「雷電為右衛門」
その雷電に若手力士を殺害した嫌疑がかかってしまいます
殺しの手口は鉄砲、かんぬき、張り手
どれも雷電の得意技です

雷電為右衛門は出雲松前藩の松平不昧公のお抱え力士でした
この松平不昧公と並んで相撲に熱心だったのが、
肥後熊本藩藩主の細川斉玆公です
ココに深いナゾが潜んでいるのです

今回も奇談集「耳袋」を書いた赤鬼奉行こと
南町奉行の根岸肥前が裏の裏までキッチリと解明していきます

このナゾ解きも面白いのですが
本書では江戸時代の相撲についても色々と書かれていました

現在、相撲で一番強いのは「横綱」ですが
江戸当初「横綱」は強さを示す位ではなく
名誉職のようなものであったようです
当時の強さの位としては「大関」が最高峰でした

横綱は初代「明石志賀之助」
二代「綾川五郎次」
三代「丸山権太左衛門」と
深川八幡の横綱力士碑に記されているそうですが
吉田司家によって与えられる横綱の免許は、
(現在にまで続く形式の免許)
四代「谷風梶之助」と五代「小野川喜三郎」を最初とする説が
有力だと書いてありました

吉田司家とは後鳥羽上皇の時代から
相撲行司としての勅命を得たという家系なのです
現在知られる行司職の「木村庄之助」や「式守伊之助」も、
吉田司家の弟子だそうです

吉田司家から横綱の免許が与えられるという慣習は
明治以後も続いていました
戦後に相撲協会が横綱免許を与える事になりましたが
横綱は熊本にある吉田司家に挨拶に行くという習慣は
現在も続いているそうです

江戸の頃は強いだけでは「横綱」にはなれなかったようです
強いだけでなれるのは「大関」まででした
「横綱」になるには横綱としての品格が必要でした
心技体を備え始めて
後鳥羽上皇の時代から相撲行司としての勅命を得たという
吉田司家より「横綱」の称号を拝命し
大勢の贔屓の前で太く大きな注連縄(しめなわ)を付け
土俵入りを披露するのです

昨年から相撲界を賑わせている話題にタイムリーな内容でした
江戸時代と違い、強いだけでなれる横綱を作り上げた現在の相撲協会
それならそれで良いと思います
もし、横綱に江戸時代のような品格を求めるのなら
また違った称号の与え方を模索するべきかもしれません

面白い本なので暇なときに一読をオススメします

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