昨夜はいくらか、まともな
睡眠を確保できた気がする。
5時間は眠れた。
量より質が大事だと思っている。
バス🚌の中で暇なので、
先日の「ゴリラ発言」について、
考察を深めてみた。
「ジャングルでバナナを貪っているゴリラ」
↓
「バナナタイムに浮かれてるゴリラ」
に、変更してみてはどうか?
という案が浮かんだのだ。
どちらがより屈辱的な言葉か、
深掘りする。
「バナナタイム」は、
ゴリラの、単純で無邪気な性質が
強調されただけで、
屈辱感が薄れる気がした。
むしろ、対象者に対して、
滑稽でありつつ、
温かな気持ちが向けられた
表現になってしまわないか?
対象者は、自分の欲望を制御できず、本能の赴くままに生きる
自由すぎる人間。
極めて原始的、衝動的であり、
大人の人間として終わっている。
配慮に欠けたその言動に、
発言者はブチ切れた状態で、
激しい殺意を抱いてしまった。
その上での発言なので、
「バナナタイム」とか、
「浮かれてる」などという
平和で柔らかな言葉が
出るとは考えにくい。
やはり、これは、
侮辱的発言としては
弱い気がする。
それに対して、
「ジャングルで」の方は、
ゴリラの野生味が強調され、
人の理性や品格を否定する
ニュアンスが強い。
さらに、貪るという言葉が、
品位を一気に蹴落とす印象を
与えてくれる。
動物以下の存在として
扱うことで、
人としての尊厳を傷つける、
直接的な侮辱の言葉だ。
発言者は、
徹底的に相手を貶めたい上に、
はじめから、
世間の常識や倫理観が
ぶっ飛んでいる人間だ。
自分の発言で、
どれだけ相手が傷つこうと、
死に追いやろうと、
気にしない。
逆に死んでくれとさえ
思っているので、
これくらいの過激な発言は
全く厭わない訳だ。
さらに、
「貪っているゴリラ」
↓
「貪り食うゴリラ」に置き換える。
後者は、バナナを食べるゴリラに、
焦点が当てられ、
その行動の、執着や、貪欲さが
より強調される。
さらに、
「食う」→「喰う」に変えてみる。
ガツガツものを喰らう、
野生動物のイメージが
加味された。
決まったな。
これでいい。
文章を訂正して、
iPhoneを閉じた。
🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌
面会前に、いつもの温泉へ行き、
久しぶりに熱いお湯につかった。
温まると一気に眠くなり、
そのまま湯船で
永眠するところだった。
異様に身体がダルい…。
年末年始に暴飲暴食したので、
いちお体重を把握しておこうと
測ってみると、
50キロを切っていた。
あれだけ食べて?
もしか、本当に
どこかに病気が隠れているのかと、
一瞬、不安になる。
最近は、コーヒーのお供に
コンビニスイーツを
食べまくっている。
さらに、
色んなお店で展開している
いちご🍓フェアに、
完全に踊らされ、
いちご🍓のチョコやお菓子を、
食べまくっている。
あ、まさか。
その反動で、
食事が疎かになっている?
よくよく考えてみると、
…甘い菓子と、コーヒーばかり。
そして、摂取量を上回る、
消費量。
職場で馬車馬のように
こき使われて、
家では、睡眠を削って
脳細胞を酷使していた。
私は、無限に行けると錯覚していたが、現実は違うのかも知れない。
その結果が、これだ。
🍓🧁🍓🧁🍓🧁🍓🧁🍓🧁
その後は少し反省して、
近所の蕎麦屋に向かった。
いつもは、院内の数字のコンビニで軽く済ませるが、
今日はスタミナをつけようと
思い直した。
考えが、極端なんだよ…。
私は良くても、
多分、胃袋は許さない。