この間の、見田宗介先生の話をツラツラと
考えていて、時が時間になり、間が空間になる、
といったところのことを思いながら、
図書館にぼ~をしに行きました。
見田先生の本を一冊借りて、
帰りに子どもが小さい頃よく通った
公園の横を通りながら、突然浮かんだフレーズ。
「子どもは時間だ」
子どもが生まれるまで、私にはあまり「時間」という
感覚が無かったんですね。「時」はあったんです。
その場、その場の「時」は。
けれども、子どもが生まれて毎年、洋服が小さくなる
ことや、毎年、違う学年になることなんかを
目の当たりにして(ってあたりまえのことなんだけど)
「時の流れ」なるものを感じるようになった。
先祖のことを考えたり、昔話を聞いたりしたこともあって、
時が時間になって流れていくっていう感覚を
妙にリアルに感じたのでした
考えていて、時が時間になり、間が空間になる、
といったところのことを思いながら、
図書館にぼ~をしに行きました。
見田先生の本を一冊借りて、
帰りに子どもが小さい頃よく通った
公園の横を通りながら、突然浮かんだフレーズ。
「子どもは時間だ」
子どもが生まれるまで、私にはあまり「時間」という
感覚が無かったんですね。「時」はあったんです。
その場、その場の「時」は。
けれども、子どもが生まれて毎年、洋服が小さくなる
ことや、毎年、違う学年になることなんかを
目の当たりにして(ってあたりまえのことなんだけど)
「時の流れ」なるものを感じるようになった。
先祖のことを考えたり、昔話を聞いたりしたこともあって、
時が時間になって流れていくっていう感覚を
妙にリアルに感じたのでした