これから1頭ずつねこどもを紹介していきます。
カロンタンの5頭の子は50音順で、最初はおとなしもの オディール(メス、くろとら)から。
正式名はオディール・カリーナ。オディールはJ・L・ゴダール監督『はなればなれ』のヒロインです。まだ名前が決まっていない頃、イマジカでやっていた大好きなこの映画をHDに収録、仕事の合間にちょっとみていたらひざに上がって画面に目をやったのでヒロインの名オディールと、苗字はわからなかったので女優アンナ・カリーナからもらいました。
もとよりオディールは、一番静かな、おとなしものです。
一度、将来動物病院に行くことを考え、もっともうるさいカミーラと車に載せてみたことがありました。動き出したとたんに近寄って来て「ニャーニャー」うるさいカミーラに対し、オディールはじっと後方待機。カミーラが疲れて休むと、短く「ニャー」と存在を伝えるだけでした。
控えめな性格なのかやる気がないのか、おとなしく時間の流れのままに暮らすのがオディールです。くろとらの毛色は母カロンタンに似ていますが、カロンタンもあまり自己主張しないそんな佇まいのねこでした。
ナイスレスポンスのねこもいいですが、おとなしい、物言わないねこにも、とくにこっちが静かな気分の時に心ひかれます。ぴんと張った布の真ん中を少しだけへこませ、そこに水を落とすとその窪みに集まる、そんな心ひかれ方です。
やって来ても、何もいわずにちょこんと座るだけ。「おお、来たんな」となでても、目を細めるだけ。離れれば静かに動き、キャネットのところに行ってカリカリ食べるだけ。そんな様子は生まれてからずっと変わりません。
「犬は自分のことを人間と思っている。猫は自分のことを神だと思っている」という言葉を読んだことがあります。なるほどここでいう神というのは、オディールのようなねこかも知れません。
遠藤周作の代表作『沈黙』。特に宗教を持たない私はこの本を宗教と人間を考える時のベースにしていますが、作中の「神よ、なぜあなたは何もいわないのか」というパドレのリフレインに神というものの本質を感じます。
決して語らないがゆえに人をひきつける。神と世界の片隅で暮らす一匹のねこを並べてはなんですが、この点において両者はよく似ています。
しかし現在のオディールは、まるでよそのねこのようです。
ほかの三姉妹に遅れてお腹が脹らんだオディールは、6月の中頃の土曜日、こねこどもあふれる部屋に入って来ました。何やら探しているような様子に、いよいよ産むのだなと思ったものです。
その晩、ほかのこねこどもと私と寝たオディールのお乳に、甥や姪であるこねこが吸いつきました。最初はまとわりつくこねこをフーッと威したオディールでしたが、その時はもうどうでもいいように静かに吸わせていました。まったくどこまでも流れに身をまかせっぱなしのオディールです。
しばらくすると姿を消したので、ほかの姉妹と同じく部屋の中の見えないところに産んでいるのだろうと思っていました。ところがそうではなかったのです。
月曜だったか、ドアのところに現れたオディールは、テレビで見る妊娠中の牝馬のように横に広かったお腹を少しぽこんという程度にへこませていました。何か何頭か出てまだ入っているというような感じでしたが、いつもと同じようにキャネットを食べ、またどこかに消えていきます。
もう2週間ほど経っていますが、オディールの子はまだ見つからず。近所の人何人かにきいてみても、わかりません。追跡もしてみましたが、狭いところに入り放題のねこをまさか人間が追い切れるものではありません。
ただ、いつも東の方向から現れるところから、そっちに子どもがいるのではないかとにらんでいます。オディール自身はしばらく部屋に入って来ず、庭にいて以前と変わらぬ静かさで過ごしています。
最近オディールに会うたびになでながらきくのは、「おめえ、子どもどこにいるんだよ」。もちろんオディールはだまってなでられているだけです。
風呂上りにつまみの「ごちそう」を持って来る時、オディールがついてくるとほかより上等なアジの頭などを投げてやるのですが、なぜかそうするとアジから離れてキャネットをかじりだし、ほかのねこどもにアジを奪われます。控えめなのか、それともキャネットの方が好きなのかはわかりませんが、ねこの行動はこういうところがよくあります。
これからオディールの子が出てくるのか来ないのかはわかりません。
そんな中、子どもの頃から蛇口から水を飲むのが五きょうだいで一番うまかったオディールの子がするすると流し台を駆け上がる姿を思い浮かべると、何だか少し楽しくはなるこの頃です。
カロンタンの5頭の子は50音順で、最初はおとなしもの オディール(メス、くろとら)から。
正式名はオディール・カリーナ。オディールはJ・L・ゴダール監督『はなればなれ』のヒロインです。まだ名前が決まっていない頃、イマジカでやっていた大好きなこの映画をHDに収録、仕事の合間にちょっとみていたらひざに上がって画面に目をやったのでヒロインの名オディールと、苗字はわからなかったので女優アンナ・カリーナからもらいました。
もとよりオディールは、一番静かな、おとなしものです。
一度、将来動物病院に行くことを考え、もっともうるさいカミーラと車に載せてみたことがありました。動き出したとたんに近寄って来て「ニャーニャー」うるさいカミーラに対し、オディールはじっと後方待機。カミーラが疲れて休むと、短く「ニャー」と存在を伝えるだけでした。
控えめな性格なのかやる気がないのか、おとなしく時間の流れのままに暮らすのがオディールです。くろとらの毛色は母カロンタンに似ていますが、カロンタンもあまり自己主張しないそんな佇まいのねこでした。
ナイスレスポンスのねこもいいですが、おとなしい、物言わないねこにも、とくにこっちが静かな気分の時に心ひかれます。ぴんと張った布の真ん中を少しだけへこませ、そこに水を落とすとその窪みに集まる、そんな心ひかれ方です。
やって来ても、何もいわずにちょこんと座るだけ。「おお、来たんな」となでても、目を細めるだけ。離れれば静かに動き、キャネットのところに行ってカリカリ食べるだけ。そんな様子は生まれてからずっと変わりません。
「犬は自分のことを人間と思っている。猫は自分のことを神だと思っている」という言葉を読んだことがあります。なるほどここでいう神というのは、オディールのようなねこかも知れません。
遠藤周作の代表作『沈黙』。特に宗教を持たない私はこの本を宗教と人間を考える時のベースにしていますが、作中の「神よ、なぜあなたは何もいわないのか」というパドレのリフレインに神というものの本質を感じます。
決して語らないがゆえに人をひきつける。神と世界の片隅で暮らす一匹のねこを並べてはなんですが、この点において両者はよく似ています。
しかし現在のオディールは、まるでよそのねこのようです。
ほかの三姉妹に遅れてお腹が脹らんだオディールは、6月の中頃の土曜日、こねこどもあふれる部屋に入って来ました。何やら探しているような様子に、いよいよ産むのだなと思ったものです。
その晩、ほかのこねこどもと私と寝たオディールのお乳に、甥や姪であるこねこが吸いつきました。最初はまとわりつくこねこをフーッと威したオディールでしたが、その時はもうどうでもいいように静かに吸わせていました。まったくどこまでも流れに身をまかせっぱなしのオディールです。
しばらくすると姿を消したので、ほかの姉妹と同じく部屋の中の見えないところに産んでいるのだろうと思っていました。ところがそうではなかったのです。
月曜だったか、ドアのところに現れたオディールは、テレビで見る妊娠中の牝馬のように横に広かったお腹を少しぽこんという程度にへこませていました。何か何頭か出てまだ入っているというような感じでしたが、いつもと同じようにキャネットを食べ、またどこかに消えていきます。
もう2週間ほど経っていますが、オディールの子はまだ見つからず。近所の人何人かにきいてみても、わかりません。追跡もしてみましたが、狭いところに入り放題のねこをまさか人間が追い切れるものではありません。
ただ、いつも東の方向から現れるところから、そっちに子どもがいるのではないかとにらんでいます。オディール自身はしばらく部屋に入って来ず、庭にいて以前と変わらぬ静かさで過ごしています。
最近オディールに会うたびになでながらきくのは、「おめえ、子どもどこにいるんだよ」。もちろんオディールはだまってなでられているだけです。
風呂上りにつまみの「ごちそう」を持って来る時、オディールがついてくるとほかより上等なアジの頭などを投げてやるのですが、なぜかそうするとアジから離れてキャネットをかじりだし、ほかのねこどもにアジを奪われます。控えめなのか、それともキャネットの方が好きなのかはわかりませんが、ねこの行動はこういうところがよくあります。
これからオディールの子が出てくるのか来ないのかはわかりません。
そんな中、子どもの頃から蛇口から水を飲むのが五きょうだいで一番うまかったオディールの子がするすると流し台を駆け上がる姿を思い浮かべると、何だか少し楽しくはなるこの頃です。