風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

フランス版「よい気」「悪い気」

2013年04月13日 11時10分24秒 | エッセイ、随筆、小説

地中海を遠くに眺めるアパルトマンに引越し。
交通事故の後遺症であるMTBIの悪さに一憂することなく浮かれていた昨夜、とうとう事件が起こる。


わたしの荷物はスーツケース20個にもおよぶ服、
また服、時々靴、着物といった日本から持ち出した最低限の私物。
旦那はといえば、子供時代に使っていたボロい寝具からはじまり、なにせ物を捨てない。もとい、物を
大切にしている。と言っておこう!(笑)


漂白剤で食器の白さを保つ習慣がないせいか、おいおいこれはすでに捨てる代物だろうというものが、ざっと見積もりダンボール箱50個。引越してから数日が経過するものの、日曜大工しながら収納を作っていくため、なかなかはかどらない。


で、事件は紛れ込む。



フランス人、なぜか気の話が大好きな人たちがわたしのわまりにはやたらと多い。
しかも、交通事故の後遺症を抱えて、ストイックなほどに場所や地域にこだわるわたしの生き方を絶讃してくれる。わたしはただただ自分の体が楽になりた一心でしかないのだが、フランス人はその自己主張を興味深く見守ってくれる。
ある箱を開けると、二体の彫刻が現れた。で、その夜、体調を崩した。
彫刻の作り手は女性なのだが、生活が荒れ、大変だと聞いた記憶がある。
作品はわたしも好きなのだが、そこに宿るエネルギーがなんとも厄介なのだ。

腹痛や吐き気はじゅのくちだった。
このままではうちの家庭が崩壊する危機感さえひしひしと感じた。交通事故以来、そうした第六感的な能力がさらにパワーアップしたことは間違いないものの、安易に古い人形や大仏の頭だのモチーフが日本好き家庭からいただくのが、なんとも迷惑な話なのだ。
わたしは健康を理由に好意を断わることにしているが、ものに魂が宿ると信じてあるわたしは、ああ、わたしは日本人だと実感する瞬間でもあったり。清潔感の違いとまぁ食生活は置いておくとして、オカルト的感覚は慣れないだろうなぁと思わされる。うちの旦那もよくわたしの主張を許してくれるものだと感心させられる。

よい気の集まるコート•ダ•ジュールに、ドロドロした人間の欲や業は似合わない。
彫刻をダンボールへお戻りいただくこと、旦那の後ろ姿がなんとも哀愁深く、可笑しい。





フランスでの生活と日本

2013年04月12日 06時37分53秒 | エッセイ、随筆、小説

シャガールが住んでいた場所にわたしたちは移住した。
広いバルコニーからはニースの海が遠くに眺められ、標高1500mという土地柄、山も空も真近に見渡せる。
シティ(この地域の繁華街)へは徒歩10分も満たなく到着するのに、静かな環境が約束されている。
フランスでも芸術家が集まるせいか、洗練された人たちをよく見かける。
明日はマルシェ(毎週金曜日の露天朝市)でソーカを食べよう。

東京に住む母へ連絡をした。
わたしの部屋にある本棚から何冊かの本を指名し送ってもらうために。

少しずつフランス生活も慣れ言葉を覚え出すと、去年フランスの家族や親戚宅を回ったときにはなかった余裕が自分にあることに気付いた。国際結婚に憧れて外国人と結婚する日本人が多いことに驚くも、彼女たちがそうならざるを得ない土壌が日本には根深くあることも事実。
人間を幸福にしない日本というシステム、という一冊を読み直して、いまの自分ならどのような感想を持つのか自分を掘り下げてみたくなったのだ。

フランスは週36時間労働、年間5週間の休暇が法律で決められている。
日本に慣れたわたしは当初、フランス人が怠け者にみえた。
スーパーのレジはは常に長蛇の列で、効率の悪さが目に付くためだ。

けれど、同時に思う。
希望がないとはこういうことなのだろうと。
そして、日本も間違いなくフランスと同じ道を歩んでいる。
ただ違うのは、家族や大切な人たちと過ごす時間を重んじるフランスでは、日本のように誰かの意見に流されることは少なく、仕事に追われ人生を犠牲にするということも稀なような印象を持つ。
フランス人が怠け者にみえたように、日本人がロボットに見えるのは、日本では人間らしい生活を送り難い状況に置かれていることすら気付けないほどに皆が何かに追われている。

政権が交代した途端、アジアはきな臭さに包まれた。
福島第一原発の報道も朝鮮半島の緊張も、国内と国外では報道自体がまるで違う。
テレビや新聞はある一部の人たちにとって都合よいものなのだとあらためて痛感する。

フランスが好きで移住したわけではないが、ここなら人間性を回帰できるような気がする。
そして、人間らしい生活を取り戻したいと希求する日本人へもメッセージが届けられたら本望だ。
さて、マルシェへ行こう。
生活のフランス語に触れ、知り合ったおじいちゃんの笑顔に出会うために。






軽度外傷性脳損傷(MTBI) 愛と障害を語る

2013年03月13日 05時07分57秒 | エッセイ、随筆、小説


最近、朝方の疼痛と麻痺がひどいなぁと思っていたら今日の強風で納得。
気圧などに体が影響を受けることなど、健康なときには考えもしなかった。
健康を他者の過失によって損なったことは残念だけれども、
「日本のクレイジーさ」から一抜けることができたのは、本当に有難いことだと思っている。

「普通」ってなんだろう・・・と思う。
だれを基準とした「普通」が語られてしまうのだろうかとしばし考えてみる。
空気を読めない、他者とのコミュニケーションに問題が生じると「発達障害」として判断されてしまうから。

霞が関ビルのペントハウスにある会社の元上司であり代表取締役社長は
怒鳴る、罵るは日常化していたし、コンプレックスの強さ、気の小ささも尋常ではなかった。
しかも、面接に来た女性を昼間からホテルに連れ込み、同伴した新人のみ採用。
「普通」じゃない(笑

いまならパワハラ・セクハラで訴えられることもできるだろうが、当時は耐えるしかなかった。
社用車のわずかな傷を見つけ、夜中の2時3時でもわたしの携帯電話を鳴らした。
まるで、ストーカーのように、出るまでかけ続けるのだ。

さて、日本を外から、特に「愛の国」といわれるフランスから眺めると
正直、日本人がロボットのように映る。
家族を大切にする時間など持てるはずもなく、ただ会社と自宅との往復でその一生を終えていく。
フランスのすべてがいいわけではないが、少なくとも「家族優先」という考え方は
「愛の成せる技」だとわたしには思えてならないのだ。
だから、日本ではなく渡仏の選択をした。
会社の犠牲になるのはもう懲り懲りだから。

考えてみれば「空気を読む」などということは、
その人材や人物を都合よく扱いやすくするための口実なのではないかとあまのじゃく的に受け取ってしまう。
愛に飢え、愛を希求する反面、経済活動に知らずうちに巻き込まれていく様は、
日本にいるといつしか焦りを感じてしまい、社会の都合よい「普通」を強要されているとすら感じるのはわたしだけなのだろうか。

23階にある自宅マンションは、この強風によって凄まじい騒音を部屋中にまき散らしている。
明日も痛みが強いのかと思うと正直げんなりするが、それも人生、楽しんだもの勝ちなので、
痛み以外に目を向けよう。





軽度外傷性脳損傷と日本社会とこれからのこと

2013年03月08日 09時36分27秒 | エッセイ、随筆、小説


軽度外傷性脳損傷(MTBI)という診断が下された後、その裏付けのための検査が一通り終わった。
神経眼科、泌尿器科では排尿障害などを神経的な異常を調べ、脳神経の画像から高次脳機能障害を証明するというものだ。
味覚や臭覚がなくなっていることもショックだったし、四肢麻痺不全のためよく転ぶことも
生活の中で感じてきた「なんでだろう?」が理解できたので、自分的にはもやもやがすっきりした感がある。
けれど、あの事故さえなければ・・・と思うと悔しいし、補償交渉の大変さをもって
日本の被害者救済という観点が欠如しているために、加害者天国である実状や
もっともっと残酷な「この世の本当のこと」を垣間見てきたことで、社会や世界を見る目が以前とは違ってしまっている。
詳細は「ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました」(徳間書店)著者 田村珠芳


先日、MTBI支援団体の理事がある雑誌に記事を寄稿していたものを読んだ。
ある女性が交通事故被害に遭い、その後、夫との営みの最中に失禁や脱糞などでそれ自体が困難となり、最終的に離婚したという話だった。
それだけが大切なわけではないが、そうしたことが離婚原因になってしまうのは、どちらが悪いともいえず、切なくて切なくていたたまれなくなってしまった。


わたしは結婚をした。
夫は年下のフランス人で、わたしの体調のことも話抜き、双方が抱える問題になりうることを乗り越え、結婚をするという決断に至った。
わたしが今後どのようになるかもわからず、記憶が消滅してしまいやすいために身内だけのささやかな結婚式を挙げ、
カメラマンの方に写真や映像で残してもらうことで、記憶の代役をになってもらおうということになった。
結婚することを躊躇してきたものの、結婚も結婚式もとても感動的で、笑いが絶えない素敵なものだった。
フランス人の母も着物を着たいと言い、母の初めての着物姿もなかなか美しいものだった。


さて、つらつらと近状を書いても仕方ないので・・・


来月から本格的に渡仏する。
その後、フランス側の軽度外傷性脳損傷の支援団体や専門家・医師と会うことになっている。
その辺の詳細もここでお知らせできればと考えているので、もしMTBIで苦しまれている方やご家族が読んでくださっていたなら
なにかお役に立つ情報をお届けできればと切に願う。


加害者加入保険会社損保ジャパンと第一回目の協議を先日終了したわけだが、
支払い済の200万程度の医療費で支払いは終わっており、微々たる慰謝料の支払いで解決するスタンスでいるようだ。
大企業はひとの犠牲の上に成立していることを10年も突きつけられてくると、企業のよし悪しを違った視点でしかみれなくなる。
余談ではあるが念のため。





軽度外傷性脳損傷(MTBI)とそれにまつわるあれこれ

2013年01月17日 07時02分18秒 | エッセイ、随筆、小説


物事が動き出すということはこういうことなのだろうか・・・


岐阜県にある脳画像読影で唯一の病院から検査日時の連絡が入った。しかも突然に。
現在、その病院は「初診」は受け付けていないという。
わたしは初診が済んだ数日後に携帯電話が破損したことで連絡先や予定が一切わからなくなってしまった。
どうしたらいいかと思いつつも、交通事故処理を諦めようと考えていたところ、
主治医のI氏から「責任のある者に責任を負わせる必要があるのですよ」と説得を受けた。
交通事故処理は苛酷で孤独な戦いだ。
同じ被害者同士でも理解し合えないし、当事者にならない限りわからないのだと思う。
だからこそ、その切羽詰まり感が加害者を追い込んでいくことも可能なことを追記する。


交通事故から8年が経過した現在でも、全身は痛むし、健康な状態がなんであるかなどわたしにはさっぱりわからない。
いまのことはもちろん理解できる。が、一週間前の記憶はほとんど引き出せないし、
時間も季節の感覚もわたしには乏しいものでしかない。


先日もオーガニックネイル(所在 新宿)と謳うオーガニックなんて嘘の小さなネイルスクールに騙されたし、
雪道で転倒しそうにもなった。
オーガニックネイルなんて存在しないことも雪に足元が掬われてしまうという当たり前のことすら、
わたしには時に気付きずらい出来事のようで、なぜ気付けないのかがわたしにもさっぱりわからない。
だから、交通事故被害はやっぱり甚大なのだと毎日痛感させられるのだ。


この記事にたどり着く方々の中には、きっと「交通事故被害者」や「軽度外傷性脳損傷」という診断を受けたり
自分の不定愁訴や体調の不具合の原因を見つけたいと思ってネットサーフィンしてたどり着く人もいるのだろう。
体調が本当に悪い時期に書いた記事は、怒りが充満していたり、逆に現実逃避した内容が多く読みずらく本当に申し訳ないと思う。
けれど、記事を残すことに決めたのは、もしかしたら些細な情報がだれかのために役に立つのではないかと考えたからだ。
そして、もし闘っている人が読んでくださっているのであれば、情報が必要であれば連絡してください。
少なくとも交通事故処理に関わる一連のこと、法曹界や医療界の内情はわかっているつもりなので。


昔の日記を初めて読み直した。
交通事故を専門とする行政書士(当時、千葉県松戸市)や損害保険被害者を救済する団体(当時、北海道)など
弱者を救済するふりをして詐欺行為を行っているひとの多さに驚きながら、交通事故処理がスタートしたのだった。
そして、損保会社から送られてくるすべては「死亡した人の遺族が記載する診断書などの一式」であり、
生きている被害者に行う卑劣な行為が日本を代表する大企業が平然と行っている事実に出会った。


なぜ、自殺をしなかったのだろう?
なぜ、生き抜けたのだろう?と当時を振り返るものの、あまりにも必死過ぎたのか、それとも記憶の問題なのか、
当時のことをよく覚えてはいない。
あるひとことを除いて。


あなたは自殺をするか、よくて寝たきりの人生なのですよ、と詰られたのは、損保会社担当者や損保側顧問弁護士だった。
けれど、わたしはまだ生きている。
しかも、事故前と同じ人生は二度と歩めないけれど、からだには泣かされるけれど、
それでも明るく楽しく毎日を過ごしている。
それは、悔しい思いをさんざんしてくると、最終的に人間は開き直れるのだと自分をみていて思う。


悩んでいた頻尿や尿失禁は、知人から紹介された「ゲイシャボール」というものでだいぶ改善できた。
道はある。





本当のスピリチュアル What is true spiritual

2012年12月24日 06時15分01秒 | エッセイ、随筆、小説


窓外に浮かぶ月との逢瀬にこころが洗われていくよう。
満ちてゆく月は、なにを想うのだろう。人間の営みをみて、なにをみるのだろう。

本当のスピリチュアルは自分の内側での変化であって、決して外側のそれではありません。
また、神秘的な至福体験というよりも、
自己の破壊に伴う喪失体験に近いものなのに…と独り言ちているわたし。
これは言語化することが出来ないものです。
だからか、いろいろなひとがそれぞれの思惑でスピリチュアルを語る所以になっているのでしょう。
本当のスピリチュアルは他者への強制的な押し付けも不安の押し売りもなく、ただただ静寂に満ちているのです。

月光の下、美しい東京の夜景を眺めながら、こころもからだもたましいも整えることに時間を費やしています。
そろそろ大切な人からの連絡が入るはずですから。
今日はクリスマスイブ、皆様幸せなひとときを。



As we have been laid bare in mind tryst with the moon floating outside the window.
What month is full Yuku, would think. Look at the life of human beings, what you would see.
A change in their inner, spiritual truth is not outside it in any way. In addition, rather
than mystical experience bliss, my monologue ... and of course I have to be close to such loss experience associated with the destruction of the self. This is something that can not be verbalized. So either, it would have become a different reason why people talk about their spiritual in their speculation. The real spiritual anxiety without hard sell to others also impose compulsory, are you full of nothing but the silence.
We spend time while admiring the moonlight, a beautiful night view of Tokyo, even spirit mind and body trim. Report from an important person because soon you should enter. Moments happy Christmas Eve, everyone today.


Comme nous l'avons été mis à nu dans l'esprit rendez-vous avec la lune flotter en dehors de la fenêtre.
Quel mois est Yuku plein, ne le pense. Regardez la vie des êtres humains, ce que vous voyez.
Un changement dans leur intérieur, la vérité spirituelle n'est pas en dehors d'elle en aucune façon. En outre, plutôt que le bonheur l'expérience mystique, mon monologue ... et bien sûr je dois être proche de l'expérience telle perte lié à la destruction de soi. C'est quelque chose qui ne peut pas être verbalisé. Alors soit, il serait devenu un motif différent, pourquoi les gens parlent de leur vie spirituelle dans leur spéculation. La véritable inquiétude spirituelle sans difficile à vendre aux autres imposent également obligatoire, vous êtes pleine de rien mais le silence.
Nous passons du temps tout en admirant le clair de lune, une vue belle nuit de Tokyo, l'esprit et l'esprit même carrosserie. Rapport d'une personne importante, car bientôt vous devez saisir. Moments heureux la veille de Noël, tout le monde aujourd'hui.



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2012年12月22日 22時10分51秒 | エッセイ、随筆、小説


ここはシャアハウスのはずなのに、わたしはひとり暮らし以上に好き勝手に暮らしている。
中国人の王さんとは生活リズムが似ているのか、一番顔を合わせる。
けれど、今日は友達と約束があるとかいって、朝から出かけて行った。
二度寝をしてぼさぼさの髪のまま冷蔵庫に直行、冷え冷えのルイボスティーをグラスに注いでいると、悠子さんが帰ってきた。
「おはよう」と言って笑顔を浮かべている。

タワーマンション内で早速友人ができ、ずうずうしくもわたしはその家にお邪魔をした話をしていると、
「そのコミュニケーション能力と縁の力は才能ですね」と言いながら、また笑っていた。
洗濯と掃除をそそくさと終えると、悠子さんは「じゃあね」と言って部屋を後にした。

今日はいつもよりも真剣に「スピリチュアル」の話をしたせいか、
ずっと押し殺していた寂しさがふっと水面に浮上したかのように旦那に会いたくてたまらなくなった。
久美子さんが日本へ戻ってくる話や、
オーガニックじゃないのにオーガニックだと嘘を言ってネイルスクールをやっている人たちの信じられない対応、
結婚祝いを寿司屋や焼き鳥屋やおしゃれなバーでしてもらったこと、
そこに知人の俳優さんも来てくださり楽しかったことなどを話したいのだ。
だれかではだめで、旦那に話したい。聞いてもらわないと死にそうになる。
それは窒息しそうな感覚によく似ていると思った。

フランスへ行く前にできることはやっておこうと思い、
肌の手入れも妊娠出産の準備も体調を整えるための針きゅうの治療、
来月からは寿司職人見習いの学校へも通い、昨日は茶道会館の偉い人を紹介してもらった。

スピリチュアルな生活を言葉で表現する難しさと直面したせいか、ふとよしもとばななさんの作品が頭に浮かんだ。
家庭環境の複雑な登場人物が物語を構成していく彼女の作品の深さがわたしは好きなのだ。
彼女が人気者として騒がれた頃はまったく興味がなく作品も読んだことがなかったのに、交通事故に遇ったころから、
彼女の作品と遠藤周作の作品を貪るように読んだことを思い出した。
そして、いつしか大好きな作家になり、あんな文章が書けるようになりたいと思いながらも、嫉妬している自分に気付いたりもした。

それがなぜだろうといまになって思えてきた。
遠藤周作さんの本にもよしもとばななさんの本にも、なにか大切で、きらきらとした宝石がいっぱいつまっている。
けれど、それは読んだからってすべてのひとにその大切ななにかや宝石がきらきらとまばゆく映るというわけではなくて、
必要なひとや時期がタイミングを選んで、ふとこころの奥底にいつの間にかおさまっているような感覚。
探して見つかるというものではなくて、ああ、こんなに近くに大切なものがあったんだと気づかせてくれるようなもので、
それがあまりにも日常に溶け込み過ぎているせいか、目の下にできたおできが自分では見えないような感覚に似ていると思った。

それでもそのおできをみたくてたまらないのだ。
わたしはそれこそが人間の「エゴ」だといまは思っている。
それが悪いということではなくて、なにかがどこかにあると思い込んだままでは、自分の人生など送れはしない。

だから、そのおできが空の彼方やパワースポットといわれるような場所や、特別な日に触れられるとひとは信じてやまない。
本当に大切なものこそ身近にあるとわかるようになったことを某社長に昨日は褒められて、結婚して角が取れて、
日本とフランスのためにあなたが尽力するテーマがみつかったことは幸せですねとおっしゃってもらった。
今日も朝から角が取れたとか、柔らかくなったとか、けれど、お寿司のお土産を5人前も注文していくところなんかは、
なかなか生き抜く図太さが窺えてたくましいですといったメッセージが届いた。
褒められているのかけなされているのかよくわからなかったけれど、
ひとりでお寿司はいただきました。しばらくお寿司は恋しくならないと思いますので、ご安心くださいねと返信にあてた。

わたしが大切にしていることは、とても身近なひとたちだ。
とてもシンプルなことに落ち着いたのは、旦那や知人や友人の力添えがあったからこそ。
来年のクリスマスは一緒に過ごせますように。そして、大切なひとたちを大切にできる自分であり続けられますように。

ふとありがとうと伝えたくなった。
そして、フランスの家族に、友人に会いたくてたまらない。


結婚前にする大切なこと

2012年12月20日 07時44分39秒 | エッセイ、随筆、小説


年下のフランス人と結婚をすることに決めた。
とはいえ、わたしはこの一年、相当悩んだし、相手にも何度も確認した。
「本当にこんなわたしでもいいの?」という問いを。

わたしは「軽度外傷性脳損傷」という交通事故受傷から負った後遺症があり、
ときどき、いまでも歩行困難になってしまう。
全身に点在する痛みは自分だけが我慢すれば済みそうだと思うものの、
脳が「これ以上活動することはあなたの体負担を考えると・・・」というような指令を出すと、
トイレに行くにも這っていくザマになる。

もちろん、そんな姿を見てきた彼だけれど、当初は相当戸惑っていた。
それはどのようにわたしの体をケアすればいいかというとこであって、付き合いそのものではない。
だからか、わたしはそんな彼の思いの強さに任せるようになり、
人を信用する、人と生きてみたい、人を愛したいと思えるようになった。
交通事故処理で傷つきまくっていたこころが、すこしだけ緩んだような気持になった。

とはいえ、喧嘩ばかりを繰り返す日々。
なんでこんなに怒りを内包した人を好きになってしまったのかと空を仰ぐ日も続いた。

このまま結婚しても喧嘩を繰り返してしまうだろうことは容易に想像できたので、
わたしたちはわたしたちの抱えるそれぞれのテーマを
個人、ふたりというカテゴリーで分けることにした。
ふたりで克服するものはふたりで、けれど、結婚前に自分自身が向き合わなければならないものは
自分だけでその課題をクリアするということに。
結果、それぞれの時間を得て、それぞれの課題に向き合い、それぞれの大切さを再確認。
結婚前のこうしたワークは、結婚の本質を考え上でもとてもいいかもしれないと自画自賛。

21歳で未婚の母になったわたしが、40歳を過ぎて結婚をするとはまさかだったのだ。
しかも、これから妊娠出産を計画しているなんて。
先日も慶応大学で婦人科の検査を受けた際、いろいろなことを乗り越えてきたからこそ、
あなたを応援したいと思います、と担当医師に言われ、とても嬉しかったのだ。

なぁ~にひとつ興味関心のなかったフランスへ移住する。
結婚も家族をつくるということも、すでにある家族も、こんなにほっこりとしたいいものだとは思いもしなかった。
感謝。


気づきの扉

2012年11月28日 10時02分17秒 | エッセイ、随筆、小説


気づきの扉
Timothy Freke(UK)の著書より引用(サンマーク出版)

道端に咲く名もなき花
深冷の便り、紅葉する木々、肌をきゅっと引き締める北風
路地を横切る野良猫
中東で止むことなく鳴り響く不穏な空気
南仏の青々とした空、景観のよい美しい眺め
赤いワインの一滴
不躾で傲慢な隣人も、笑顔を投げかけてくれた通りすがりの見知らぬ人も
一瞬にして人々の生活を呑み込んでいった津波
善も悪も
死んでいった大切なひとも、ここに残されているひとたち
悲しみも喜びも
すべてが「わたしの内側に存在する意識」なのです。

意識という領域を本格的に「意識」したワークを行うようになったのはフランスとの縁がわたしへもたらしてくれた恩恵です。ありがとう。こころから愛を込めて。

Door of the notice
From the book of Timothy Freke (UK) quote (Sun Mark Publishing)

Nameless flowers blooming by the roadside
Tightening of the cold north wind squeaking news, foliage tree that we, the skin depth
Stray cat across the alley
Air without disturbing ringing stop in the Middle East
Lush sky in southern France, beautiful scenic view
Drop of red wine
Neighbor also rude and arrogant, but also passing stranger who had cast a smile
I went in tsunami engulfed the lives of people in an instant
Also be good evil
Also important that people were dying, people are still here
Joy and sorrow
I'm all about the "consciousness exists inside of me."

Came to do the work that "consciousness" in earnest the realm of consciousness is a boon to the edge of the French have brought to me. Thank you. With love sincerely.




映画「最強のふたり(原題Intouchables)と幸せ過ぎるわたしの1日

2012年11月23日 09時07分31秒 | エッセイ、随筆、小説



映画「最強のふたりと幸せ過ぎるわたしの1日
(フランスでの原題は"Intouchables(untouchable)"は「触れられないもの」、「社会ののけ者」の意)


物語のあらすじ
大富豪のフィリップが交通事故で頚椎損傷になった。そこへ介護人としてスラムで育った前科者のドリス。ふたりの間で育まれる友情や人間愛をテーマにした作品。


フランスでこの映画と出会い、フランス語に英字スーパで観たのが最初だった。細かい訳まで理解していなかったわたしはどうしても日本語で観たいと思っていたものの、多忙を理由に公開最終日まで映画のための予定調整が絶望的だと思い込んでいた。


それが昨日、ミラクルな展開となり(詳細は割愛)、自宅近所にあるシアターへ向った。1日1上映のこの映画館、5分前に到着した。わたしが映画館で映画を観る際、着席するお気に入りも空席のままだった。


映画を観ながらフランス語をノートに書き記した。
そして、わんわんと声を出す寸前の状態で、涙が止まらなくなっていた。あんなに辛かったはずのフランスでの日々が、走馬灯のように懐かしく別のスクリーンに映し出されていって、フランスでわたしを待つ家族が、93歳になる祖母のMe'Me(メメ)'が笑っていた。


「フランスでの生活だってそう悪くはないってことがわかったでしょう?」
Me'Me'とフランスパンの端っこを取り合いした日々が懐かしく思い出された。EricもMuMU(姉夫婦)もPaPe(実父)もMiMiもRoge(母と義父)も柔らかな白い光の中にいた。フランス時間の深夜、日本時間の朝に大好きなStephanieと電話で話をした。その余韻が未来の幸せな姿を映像でわたしに届けていた。


[Jannyにも言われたじゃない?
日本人であるあなただからこそできるフランス社会が求める大切な仕事のこと。忘れたなんて絶対に言わせないんだから」


幸せな出会いはイタリアにもおよび、映画作品に使われていた美しいピアノソナタはイタリア人ピアニストLudovico Einaudiのもの。子供のころからなぜかわからないものの、わたしはピアノの調べに魂が震えてしまう。http://www.youtube.com/watch?v=cg_dRAmSzvA&feature=autoplay&list=PL9712D53EAAE058A4&playnext=4


映画の終了と同時にとなりに座っていたご婦人と目が合った。
「人との温かなつながりを求めて、それを信じて生きるって素敵よね?」
わたしは深く頷いた。