風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

映画「フラッシュバックメモリーズ」

2012年11月22日 08時08分32秒 | エッセイ、随筆、小説

God,
Please do not just erase this memory
神様
この記憶だけは消さないでください
Dieu
S'il vous plaît ne pas simplement effacer cette mémoire
映画「フラッシュバックメモリーズ」より
from Film flashback memories
http://flashbackmemories.jp/



わたしも神様にお願いしました。
どうか、この記憶を消さないでください、と。
わたしが愛するひとの顔を、声を、感触を、思い出を。
すこしくらいひとより体が痛んでも、そのことで傷つけられることがもしあったとしても、愛するひとの顔を、声を、感触を、思い出を記憶できているという事実が、わたしには大切なことなのです。

I also have to ask God.
And please do not erase this memory, please Please do not steal from me.
the feel of his boby, the voice of his, the face of the people that I love.In fact if any, my body even if the pain more then others and someone somebody make me hurt from talking about my condition or car accident,something.
my most important is......
Stores of memories with him that I had,I know myself how much I love him also How much I love my family and soul friend.my most important is very simple,very clear.thank you my love Fabrice.

軽度外傷性脳損傷(MTBI)

2012年11月21日 08時02分19秒 | エッセイ、随筆、小説


わたしが「軽度外傷性脳損傷(Mild Traumatic Brain Injury)」と診断されたのは、
交通事故から丸7年が経過したある春のことだった。
その後、主治医となるその医師と最初に交わした言葉がわたしは気に入ったのだ。

「軽度」だなんて誤解を生むようなネーミングにした奴に僕は腹が立って仕方ないのです。あなたのように事故からずいぶんと時間が経過して、その時間が決して快復へ結び付いていくわけではないのに、なにが軽度だなんて言えたものかと。

わたしは笑った。
笑うと筋肉が強張っている箇所が鈍痛のように痛んだ。全身の骨が軋むような音をたてた。
けれど、そこに存在する細胞のひとつひとつが、ぱっと花開くように、喜んでいることがわかった。

笑うと気持ちがいい。
笑うと幸せを感じられた。
笑うと生きていてもいいんだよと抱きしめられるような気持になった。

被害者に重く圧し掛かる立証責任は、医師や弁護士などの味方をつくる困難さに、その障壁の高さに途方に暮れる。けれど、必ず道は拓けるときがくる。その時をじっと待ち、その時がやってくるように祈り、その時のために準備を整える。

軽度外傷性脳損傷を生きていくことは決して容易な道だとは思わない。けれど、生きていても悪くはないと思えるときがくる。必ず。


月の癒し

2012年11月21日 07時59分02秒 | エッセイ、随筆、小説


希望は強い勇気であり、新たな意志である。
Hope is a strong courage,Will be a new
L'espoir est un courage fort,Sera une nouvelle


という言葉と出会ったのは、帰路の途中だった。東京の空、消炭色の夜の中であまりにもその月は黄金色の光を放っていた。ふと「希望」というメッセージがわたしの内側にすっと入り込んだかと思うと、ガラス張りになっている会社内にあったこの言葉が、わたしの視線に止まった。


I met the word, it was the middle of the way home. Tokyo sky, the moon was radiantly beautiful golden color in the middle of the night Charcoal gray. And I think the message "Hope" and suddenly penetrated straight or on the inside of me, is this word that was in the company that is the glass, caught my gaze.

幸福な性 Fortunate Sex

2012年04月29日 12時28分04秒 | エッセイ、随筆、小説

幸福な性
Fortunate sex


※ここでいう「性」や「Sex」という表現は性交を指しているのではなく、あくまで「愛」を基本とする概念であることをご理解ください。


ひとりひとりの人間はたいへん孤独なもの、その自覚があろうがなかろうが寂しがりやなのです。なんらかの相手、対象が必要なのです。なにも体のふれあいとか挿入だけの話ではありません(幸せな性、著者 松本文絵 講談社1988年第一刊発行)

20代の頃、白人の女性によくモテた。それはニューヨークのクラブで声をかけられたり、誘われたり、尻を触られたりしていたからではあるが、当初、その意味がまったくわからなかった。ある日、あるテレビ局のNY支局の番組に出演することがあり、そこにダンサーとして出演していたアメリカ人女性の旦那が「うちの妻がどうしてもあなたと食事をしたいと言うのでご一緒にいかがですか?」と声をかけてきた。そのことで、そこにどのような目的があり、どのような意図があるのかという概要をなんとなくつかんだということが過去にあった。日系会社からの仕事の時間的余裕があるときに、イタリア人映画会社令嬢のうちによく呼ばれ、セラピストとして報酬を得るようになる。そして、彼女は「ひとりで来てほしい」と度々口にした。それはわたしが常にアシスタントと称して日本人の後輩を連れ立っていたことで、彼女にいろいろな準備を手伝ってもらいながらクライアントとふたりきりにならないように気遣っていたことを知っていたためだ。その令嬢を紹介してくれた当時のルームメイトのイタリア人男性も、彼女が相当熱を入れていると言っていたし、旦那さんがいない日中を好むのは、きっと隙あらば・・・だからだと不要な説明をことあるごとにしてきた。わたしはふうん、と興味がないので聞き流していたのは、そのような誘いへの無知さと無関心さから。けれど、今回はいささか相違するのだ。

なぜ、そのような20代の頃の話をまったく関係のないバリ島で思い出したのかというと、美しい女性に誘われたからである。そして、その彼女が今朝、わたしのアパートから去る後姿を目にしたとき、寂しさに包まれた。わたしにパートナーがいなければその誘いに乗っていたかもしれないと脳裡を過ったとき、NYの思い出が鮮やかに蘇ってきたのだった。彼女は女性ふたりでバリに滞在していた。20代後半から30代前半だろうか、ウェーブのかかった金色の美しい髪、焼けた褐色の肌、長身ですらりと伸びた手足、わたしをみかけると必ずウインクをして合図する。お互いのパートナーに気付かれないようにそっと。

性というものを真剣に考える著書を2冊読み終え、シャーマンズボディへの道を歩む過程において、この歳にして最後のチャンスである再度の妊娠出産に備えたいのか、それとも性への最後のあがき、抗いか。性があるからこ人間には生きる力があふれ出してくるとでもいわんばかりに、はたまたこの熱気や開放的な南国の雰囲気が背中を押すのか、美しいその女性をもうすこし眺めていたかったと思う自分に気付く。性がおろそかになったことが人間性の荒廃や人間性の欠如につながったと、産婦人科医である松本氏の見解。本当の愛を、本当の性をだれが知っていて、だれが語ればそれが本当のものなのだろう。ふと思う。





放射能の心配がない海の音が聴こえる町、浪江

2012年04月26日 09時54分24秒 | エッセイ、随筆、小説


放射能の心配がない海の音が聴こえるいい町
We nothing worry about Radioactivity and Nuclear power generation, marine sound hear from good town name is Namie


浪江町が元に戻ると僕はうれしいです。絆を深めた元気のいい町に戻ってください。
上記は福島県浪江町の小中学生全生徒の7割、1,200名の子どもたちに自由記載中心のアンケートに答えたものだそうです(浪江町の職員、玉川さんからシェア)

昨日、フランスからある海外メディアの記事が送られてきました。「ここは地獄だ」との短いタイトルに続く内容は、日本の現実や経済システムの本質を考えさせられるものでした。日給8000円、健康被害についてはなにも知らされていない人も多いとのこと。それから印象的だったのは、自分たちが「神風になり日本を救うのだ」とインタビューに答えた男性は言うのです。

責任を、リスクを負うべき人間は、原発を推し進めてきた方々です。東京電力他電力会社はもちろんのこと、政府や他大企業も例外ではないでしょう。また、わたしたち消費者もそのひとりとして原発依存ではないなにか別の方法を選択し、それを消費することで意思表明できないのでしょうか。使わない人が多ければ稼働する理由にはなりません。国や東京電力側の主張は通らないことは明らかです。さも多くの人が原発を望んでいるかのような嘘も誤魔化しも通用しなくなります。これは原発だけに限らず、他製品にも言えることです。エコを商売にするような真似ではなく、エコという言葉に振り回されるのではなく、エコという本来の意味にもう一度立ち戻り、わたしたちの生活を、今を、明日を、未来を、世界の視点から考えてみたいと思いました。そして、考えるだけではなく行動へ。

バリ島の南端、続く海の向こう側に日本があるのかと思うと、なぜか切なくなってきます。日本で地名表示のない農産物海産物をスーパーで普通にみかけるとき、「風評」という名の下で物事の本質をすり替えることを繰り返し続けている国だということに怒りを覚えます。成熟した消費者である日本人になぜ選択の機会が与えられてこなかったのでしょうか。戦後、日本の辿ってきた道のりは、神風からなにも変わってはいまぜん。立ち上がろうと努力をした人たちは抹殺され続けた歴史があります。生きながらに抹殺するには冤罪をでっちあげるのがいいでしょう。過去、失脚させられた政治団体に所属する人、失脚せずに生き延びている人たちの党派をみれば、それは一目瞭然です。

放射能の心配がない海の音が聴こえる町。
胸に突き刺さる子供たちの声、シンクロするバリの騒音、コミュニティを変容させる新しいシャーマニズムという一冊の本が目前に。心身の健康、人間関係、継続可能な社会を目指して。



バリ島ネガティブ通信

2012年04月25日 23時41分42秒 | エッセイ、随筆、小説


バリとの相性
Affinité avec Bali・ Affinity with a Bali



ベトナムよりもカンボジア、インドネシアよりもタイとの相性がよ​い。
というか、わたしはベトナムとインドネシアとの相性があまりよく​ないらしいということが今日よくわかった。

バリに移住した知人からのメールに納得。
ふむふむと唸りながら思​わず読んでしまったではないか。



今朝の雨は、すごかったです。久しぶりに本降りになりました。 インドネシアもベトナムも、長い間欧州の植民地であったため、気​質が欧米人に似ているところがあります。また長い間搾取されてい​たため、それに対する反発やずるさも垣間見えます のんびりしていて、楽しい人たちですが、沈黙を嫌います。 見ているとお分かりかと思いますが、彼ら、ずっとしゃべっていま​す。黙ることがありません。
黙っていると何を考えているのか疑われるのが嫌なのでしょう。
植民地時代の気質がのこっているかもしれません。



どこに行っても「どこから来たのか?」「ハネムーンか?」
「どれ​くらい滞在するのか?」「ところでうちの店を見て行くだろう?」​と
誰とすれ違っても同じセリフと出会う。
2日目にしてうんざりし​ているわたし、彼はいささか気の長い様子で、
いい人と出会えばき​っと印象が変わるよ、とのんきに構えている。
わたしにはできない​。
だって、本当にうるさいし、ゆっくりと食事もできないし、
読書​も執筆もできたもんじゃないのだから。

31か国目の国、インドネシア。
ここは神々の国かもしれないが、
わたしはこの国ともこの国の人たちともあまり相性がよくないらしい。
ベトナムへは二度と行きたくないと​初めて思った国だったが、
インドネシアもそれに近い印象を持っている。
それから比べると、微笑みの国タイはやっぱり住みやすいし​、人との相性が合うのだと思う。



ネガティブバリ島通信は今後も続く予定、こうご期待を!笑




リハビリ散歩 

2012年04月16日 09時25分51秒 | エッセイ、随筆、小説





リハビリ散歩
take a pleasant rehabilitation walk with him
Je fais une promenade


Forgive me that my condition is like today.
I would like to tell you that forgive me.

閉店の時間を知っている?
恋人は満面の笑みを浮かべて握る手のひらを二回、ぎゅっぎゅっと力を込めながらわたしを覗き込む。いたずらな表情、左側の眉を上下させ鼻腔を広げると、わたしに笑いが戻ることを知っている。

このわかりづらい優しさの持ち主は、今日もそのわかりづらい優しさでわたしを労わることに一日を費やそうというのだろう。料理のすべてはいつしか彼の役割となり、洗濯も彼がそのほとんどを。わたしは物書きや読書、彼の足りない部分が目に付いたときだけ、ときどき部屋の片づけに手を貸す。それがわたしたちの毎日のリズムになって久しい。

わたしたちが住む豊洲のサービスアパートメントからららぽーと豊洲までは歩いて3分も満たない。にもかかわらず2歩、3歩程度歩いては痛みに顔を歪めるわたしを横目で確認しながら、休憩のため立ち止まったグランドの一角で、恋人は何時間かかっても今日はリハビリに付き合うと言うのだった。子供たちが大声援を送り、野球の練習試合を盛り上げていく。ほら、子供たちもあなたを見て「頑張っている、そう思っているよ」と。歩けることは幸せなこと。痛みがあることは神経が死滅していない証拠、歩けない友達をたくさんみてきたよね?

恋や結婚は常にわたしの傍にその出番を待ちわびていたものの、わたしがその気にならずにきた理由、それが今日よくわかった。闘病にだれかの存在がもしあったなら、わたしはこの痛みを、この不具合を、この不甲斐なさを大切だと思っているはずのだれかにぶつけてきたはずだからだ。それはある意味、幸せなこと。ある意味、贅沢なこと。けれど、わたしにそのだれかの存在があったとき、きっとこの痛みにも突き落とされた奈落にも、耐える自信がなかった。だから、恋や結婚は厄介ごととしか思わないように、言い聞かせてきたのだった。無意識のうちに、自分でも気づかないうちに。

小エビとグレープフルーツのカクテルサラダ、バジルを散らしたイタリアンボロネーゼ、バケットに添えたブルーチーズの蜂蜜がけ、イタリアンソーセージに焼いたマッシュポット、リンゴのバター炒めを同時に口元へ運ぶ。この男を抱きしめない理由がどこにあるというのだろう。



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2012年04月15日 15時53分28秒 | エッセイ、随筆、小説


わたしのからだ
About my body


突然の不正出血、今週は歩行困難となりからだ的には多忙な一週間となった。
夜中に見舞われた大量出血。
さすがに血や痛みに慣れているとはいえ、久しぶりの惨事に自分でも驚いてしまった。

慌てたわたしはトイレと風呂場とリビングを何度も行き来しておろおろするものだから、
ベッドが血まみれになっていたこともあり、結局彼に隠せるわけもなく。
茫然と闇を目撃するような彼の姿を目前にして罪悪感が再現、本当に申し訳ない。
ごめん、こんなからだで。

8年間前からこんなからだになってしまって以来、わたしはこの状態と友達になるしかなかった。
だれよりも元気なわたしの姿しかみてこなかったチェンマイでの日々を思うと、
いまのわたしにきっと愕然とするでしょう。

台風みたいなものだから一週間もすれば歩けるようになる。
わたしはこのからだになってしまったのだからそれで済むかもしれない。
けれど、あなたにこの状況を押し売りするような真似は、やっぱりわたしにはできない。

こんなわたしで、こんなからだでもいいの?
それすらいまのわたしには怖くて聞けない問いなのよ、わかる?

右側の身体の感覚が鈍くなってしまっているせいで、
四肢の、指先の感覚まで今日はいつになく借り物感が強い。
恋人とつなぐ右手、触れる右側の肩、あなたの頬に手を伸ばすのも決まって右の掌。
そのわたしの大切な感覚をどうか返してほしい。
もう8年も痛みや不具合に耐えてきたのだから、わたしを放っておいてほしい。
Leave me alone、わたしが叫び狂う前に。

昨夜、皮肉にも彼が強く視聴を奨めた映画は2006年11月公開のTHE FOUNTAINだった。
映画のコピーには「僕は君をなんど失えばいいというのだろう」とある。
輪廻転生をテーマに、幾度となく運命に翻弄されてしまう男性を俳優Hugh Jackmanが演じた。
彼は3つの異なる時代を生き、そのたびに魂の伴侶を失うというカルマを抱えていて、
うちの彼もその主人公に自分を重ねているようだった。
また彼が失う女性の今世は病気を抱えていて、体の感覚がなくなるというもの。
わたしに酷似している設定であるため、わたしは彼と一緒にみていることが途中から辛くなり、
どうしていいのかわからなくなってしまった。

これから近所の公園まで「歩くリハビリ」に出かける。
それを提案してくれたのは彼だった。
けれど、こうしたリハビリに付き合わせることが、わたしは当たり前だとは決して思ってはいない。
むろん、もし彼のからだに今後なにか不具合が生じたとしても、わたしは変わりなく彼の傍にいるでしょう。そうしたことは当然だと思えたとしても、わたしにかかわること、
特にからだのことについては罪悪感という二文字が消えず付き纏う。




雨の土曜日、都会の片隅で

2012年04月14日 20時40分17秒 | エッセイ、随筆、小説



雨の土曜日、都会の片隅で
Rainy Saturday, in a corner of the city Tokyo
Un samedi pluvieux dans un quartier de Tokyo


雨の東京は色とりどりの傘の花が咲き、灰色に黒を差し込んだような色の雲が北から南へ流れていく。鳥たちに交ざる2機のヘリコプター、空に影を映し出すように南下する。休日のオフィスビルには平日となにひとつ変化ない大勢のワーカーたちの姿、工事現場の入り口にある白と赤のコントラストが鮮やかなポールが車の入出に合わせて上下運動を繰り返す。新緑の中に桜の淡い色彩が右へ左へと風と共に肩を揺らし、華麗なダンスを踊っているような光景の中、そこに店内のBGM、Maxwellの確か「Lonely’s the only company」という曲が音を差し込む。彼の甘い歌声はあらゆる体液や汗涙、抜血のそれまでもが...蜂蜜よりも甘いと錯覚させるから不思議だ。このねっとりと肌に纏わりつくようなそれは、どのようにして生まれるのだろう。渋いのに甘く、甘いのにどことなく渋さや苦さを味わう声色の才能。


来週末から一か月間、恋人とバリ島で過ごす。
こんなに贅沢な人生の時間の使い方をしていていいのかと良心の呵責に苛まれないわけではないものの、ずっとこうして旅をするように生きてきたのだから、いまさら時間売りをするような仕事を得たところで息が詰まるだけ。普通に生きられるわけがないと自分に言い聞かせてみる。けれど、妙な罪悪感を抱くのは、自由に護られるということがどれだけ一般的ではないのかをもしかしたら知っているからかもしれないとも思った。すると、いつの間にか近くにいたと思われる年のころ3歳から4歳の小さな男の子が叫び始めた。自由を奪われたとき、本当は大人だってあなたのように激しく感情を露わにしたいはずなのに、それを社会が許さないのよ。だって、大人らしくないとか社会性がどうのとか、普通という枠組みの中で、意思を殺してでしか生きられないシステムが日本には根付いてしまっているのだもの。大人になることで得られると信じてやまなかった自由、その自由を奪われることをわたしたちはもしかしたら大人になるというのかもしれないわね。


あなたが大きくなる前にいまよりももっと世界は小さく狭くなっていくのでしょう。
これからの世界は国籍や人種など従来の括りではなくて、意識がキーワードになるだろうと、空からちらちらと地上に降り注ぐ雨に濡れていると、ふとそんなことを本気で思い始めた。雨は肌や髪を濡らし、服を濃い色彩に染め上げていく。働き方、生き方、生活スタイル、趣味や趣向、価値観や考え方など。なににその焦点や視点を向け、どのようなことを愛と呼び、またなにに怒り狂うのか。


幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。
アランならなんというのだろうか。幸せや人生や世界やわたしたちの今について。
Because the laugh precede the happiness.
Parce que le rire précède le bonheur.


闘病生活と嫉妬 live fighting against one's disease for eight years and envy

2012年04月13日 06時26分19秒 | エッセイ、随筆、小説


闘病生活と嫉妬
live fighting against one's disease for eight years and envy



ご結婚おめでとうございます。
先日、ある寺で厄除けの火祭りに参加してきましいたので、貴女のご祈祷もお願いしておりました。
お幸せにお暮しください。では。


友人というよりも「闘病友達」との表現が正解だと思います。
とはいえ、本当に大変な状況を共に闘ってきた盟友のはずだったのですが、途中から足並みが揃わずに、友人としての関係が困難に。それはわたしの恢復と非常に密接な関係があるのです。


ようやく返信がきたのは3通目に出したわたしからのメールに対するものでした。今年は日本にいる時間が少なくなりそうなので時間が合えば会えないか、との打診をしてみたのです。彼女は鎌倉山の一角、閑静な住宅地に居住しているので、鎌倉に行く予定に合わせてランチでも、と。メールは一見無機質に見えますが、デジタルにもしっかりと感情は溶かされるのか、受信した内容でわたしは彼女との距離感を自覚しました。また、わたしの名前ではなく「貴女」との表現に、悲しみとも怒りともつかない彼女自身が抜け出せずにいる混沌を即座に感受してしまったのでした。


彼女の闘病も交通事故受傷を背景に持っています。
すでに12年、医療を放浪し続ける人生が彼女の日常として存在しています。わたしの元主治医である兄を持ち、彼女自身も結婚前までは看護師として医療従事者でした。家族全員が交通事故時同じ車両に乗車していたものの、彼女だけが後遺症を請負うことになるのです。しかも、医療が旬とする病名による未承認でしかない手術を二回も受け、また医療者側の視点ではなく患者がどのような扱いを受けるのかを痛感させられたとき、彼女の心身は崩壊していくのです。自分が信じてきた医療という世界、その世界の禁忌を彼女は身を持って経験させられたからでしょう。けれど、わたしからすると、交通事故前に抱えていた問題や彼女自身の甘え、共依存という性格傾向などが快復の大きな支障になっていることは明らかでした。すべてが彼女にとっては「だれもわかってくれない」に結びついてしまうために、関係の構築がわたしの恢復が進めば進むほどに本当に難しいものになってしまったのです。最後にかかってきた電話は彼女からでしたが、頭頂葉が蒸すように痛むとか、海馬や小脳が・・・と言われても、その会話には残念ながら付き合えないのです。当然のことながらその痛みは十二分に理解できるのですが、わたしは痛みに焦点を当てることをやめ快復に結びついているので、痛みに同調できないのです。なぜならば、それはわたしの恢復の妨げとなり、痛みや体調の増悪に直結するからに他なりません。医療が悪い、日本の福祉制度が悪い、あの医者が、あの治療法が、あの薬が、あの担当者が・・・と言い続けても、何の解決にもならないのです。環境的なものが悪いのはわたしも納得です。けれど、みな、それと向き合い、闘い続けていくことがその改善に一歩でも近づける道なのだとも思うのです。酷だとわかっていても、闘わない者はこの国では救済されないシステムなのです。


わたしはあえてタイトルに「嫉妬」という表現を使いました。なぜなら、障害や病気の家族会といわれるものが日本には多数存在するのですが、最悪な状態ならともかく、その最悪な状態であっても「医療費にかけられる金額の差異」から、よくトラブルを目撃してきたのです。わたしもその標的にされることはありました。自分よりも高額な医療費をかけられるから、コネがあるからこの医者につながったんだ、製薬会社の治験に参加でもしていい薬をわけてもらっているのではないか、など挙げればきりがありません。そのどれもは快復途中にある人から聞こえてくるものではなく、医療や治療の悪循環にはまり込んで抜け出せない人たちからの声や反感でした。闘病は依存しあえたとしても快復は同様にはいかないというのがそのときに痛感した闘病に対する印象でした。他人の快復や社会復帰は、焦燥や嫉妬になるので口にすることには細心の注意が必要になるのです。本当に残念なことですが、本人が気付くことでしか、この混沌からは抜け出せないのでしょう。


以前、作家の柳原和子さん(著書 百万回の永訣)と何度かお話した機会がありました。わたしは彼女の生前最後となる会話の中で「医療になにを期待しているの?」と叱責されたことがいまでも忘れられずに、その問いが日常の傍に存在していることに気付かされるのです。柳原さんはがんの闘病をしていた最中でした。余命宣告されたも同然の彼女と余命宣告はされないまでも、生き地獄であったわたしたちの共通点は、どちらにしても残りの時間を生き抜くことは大変だとの結論となり、「本当に大変よね、生きるって」と笑い合ったものでした。おそらくご体調が悪化したと思われるある日の電話でのやり取りの際、「あなたは医療になにを期待しているの? なにを求めているのよ?」と初めて声を荒げた彼女が受話器の向こう側にいて、受話機を持つことにも体力を消耗していたのではないか、声を発する、だれかと会話をするだけでもしんどかったのではないか、いまはそう思えて仕方ないのです。その会話を交わしたわずか数か月後に聖路加病院の緩和ケアで逝かれてしまうのですが、新聞紙面で彼女の死を知ったとき、わたしはなんとも言えない気持ちに苛まれたのです。それはまさに宿題をもらったような心境でした。


人間には自分でもどうすることのできない制御不可能な「感情」という魔物が、血や肉や骨の中に息づいています。もちろん、わたしにも嫉妬心も負の感情もあります。けれど、それを露骨に向けられたとき、無力な自分と出会うのです。わたしは彼女を救済できないという自責に駆られてしまうのですから。