風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

南房総

2009年02月17日 15時45分21秒 | エッセイ、随筆、小説






これからのこと。
たとえば、体調がこのままよくなっていって、社会に再度放り出される日のこと。

主治医から以前、私は「少女期の欠如がありますね?」と言われたことがある。
少女期の欠如?とその語弊に驚きはしたものの、確かにそのとおりだと思った。
それはなぜかと問われれば、友達が大学へ行っている時期に私は妊娠出産を経験し、
友達が大学院へ進学するか否か・・・と悩んでいるときに、
私は「子育てと仕事の両立」に悪戦苦闘し、結果、自分で飲食店を開業する決断をしたためだ。

すこし先を行っていた・・・と言えば格好はよいだろう。
が、現実は友達たちのような青春や年恰好にあった経験のみしていればよかったものの、
私に用意された人生は、その青春や年恰好にあった経験以外にばかり費やされていった。
それが良かったのか悪かったのかは別として。

そして私は今年40歳になる。
娘は私とは違い、当時の友達たちのように「大学進学」を果たした。
これで責任がなくなったわけではないが、
ようやく「私の人生」を歩めるような気がしたとき、ふとひとりになりたくなった。
ひとりになってこれからの人生や仕事や健康や恋愛について、じっくりと考えたくなったのだ。

南房総はお天気に恵まれていた。
南側一面には太平洋が見渡せる。
黄色の菜の花が、右に、左に、風の機嫌に寄り添うように優しく揺れる。
じっくりと考える場所に選んだ南房総の地で、
ひとりで「これからのこと」を吟味したいなど、ここに来るための理由に過ぎないのに。