風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

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言葉へ置き換えていけたら・・・

医療の本質

2009年07月15日 07時49分06秒 | エッセイ、随筆、小説


 


おばけみたいなものなのだろう、と思った。
おばけは誰でもがみえるものではないが医療という科学は、
診ようとする人間にはみえるし、診ようとしてもみえない人間もいる。
そもそも診るつもりがない人間には、なにか・・・があってもみえないものだと。

それは所属する医局の大きさ(大学病院など)や経験年数など関係なく、
ある意味、その医師の育った環境や感性や素質、人間性という部分が重きを置く。
しかし、医療者はまさか患者が病院へ足を踏み入れたところから
さまざまな医療関係者の機微を読み取っているなど考えてもいないだろうし、
立場ある役職という盾を持った医者という自分へ
患者が瞬時にそれら医師の背景を感じ取っているなど想像にもしないだろう。
患者が無能だと思い込めた時代はとうに終焉を迎えたのだ。

声の高低、速度、表情、姿勢、雰囲気はもちろんのこと、
ある意味運命共同体として、
治療者とそれを受ける側との信頼関係を構築する気持ちがあるか否かなど。

医療を語るとき、私は複雑な心境に陥る。
それは医師が「私」に対して躓く部分が
未婚の母という生き方を否定する態度であったり、
交通事故被害者に追い討ちを与える言動であったり、
元気そうにみえる(内部障害者は全員そうだ)から
なんのために病院に来て、なにを求めているのかと詰め寄られたりするたびに
疑問だけがまた私の頭なのか心なのかはよくわからないけれど、
でも確かに蓄積をして、そのために体重がほんのすこし増える感覚を覚える。
上記は「普通の人」がいうのではなく、
「医者」という専門家の言葉だからややこしく絡まる。

多くの医師は真摯な態度で患者と接しているのだと信じたい。
ただ運悪く、私が出会ってきた十数人の医師たちが
たまたま「おばけを診ようとしなかっただけ」なのだと。