高度医療が実現したため、機能障害を負った子供や人間が存命している。
だから、施設などの経費が嵩んでいく・・・・・みたいな発言を行い、謝罪はしないそうだ。
上記はタイトルにもある「鹿児島県阿久根市竹原市長」の見解なのだが・・・・・
機能障害を負った私にも向けられた言葉なのだ・・・・・と報道を観て唖然とした。
誰の責任でもない。
先天性、後天性含め、障害を負うリスクは同一に、誰にでもあると思うのだが。
ときどき私は言葉を失ってしまう。
こういう類の人間を目前としたとき。
ハンセン病の人たちに国家がしたことを、薬害問題を、他の驚愕した事実を、思い出してしまう。
まるで健常でなければ生きる資格がないと平然という無知さに、狂気を感じてしまう。
一見、あなたは健常かもしれないが、内面の、心が病んでいるのですよ、と笑いたくなる。
そして、こういう人間こそ、公の立場の、市民の生活を左右し兼ねない立場にいると思うと、
背筋が凍る思いがしてしまう。
素直に嫌悪感を抱いてしまう。
唾を吐き出したくなる。
できるなら、傷つけてやりたいとさえ。
どうしてこうした人間を見抜けないのかと。
いつか自分が病気にでもなったときに、その発言の本質を突きつけられるのだろう、
そのときを機会があれば立ち会いたいと悪い趣味を持つ私もどうかと考え物であるが。
いくら高度医療が実現しても、それを扱うのは人間である。
そして、障害者にも心があり、感情があり、一生懸命に生きている、生き抜いている毎日を
ほんの少しでもよいので、知ってもらいたいと希う。