風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

高次脳機能障害、鹿児島県阿久根市竹原市長へ

2009年12月20日 10時51分05秒 | エッセイ、随筆、小説




高度医療が実現したため、機能障害を負った子供や人間が存命している。
だから、施設などの経費が嵩んでいく・・・・・みたいな発言を行い、謝罪はしないそうだ。
上記はタイトルにもある「鹿児島県阿久根市竹原市長」の見解なのだが・・・・・

機能障害を負った私にも向けられた言葉なのだ・・・・・と報道を観て唖然とした。
誰の責任でもない。
先天性、後天性含め、障害を負うリスクは同一に、誰にでもあると思うのだが。

ときどき私は言葉を失ってしまう。
こういう類の人間を目前としたとき。
ハンセン病の人たちに国家がしたことを、薬害問題を、他の驚愕した事実を、思い出してしまう。
まるで健常でなければ生きる資格がないと平然という無知さに、狂気を感じてしまう。
一見、あなたは健常かもしれないが、内面の、心が病んでいるのですよ、と笑いたくなる。
そして、こういう人間こそ、公の立場の、市民の生活を左右し兼ねない立場にいると思うと、
背筋が凍る思いがしてしまう。
素直に嫌悪感を抱いてしまう。
唾を吐き出したくなる。
できるなら、傷つけてやりたいとさえ。

どうしてこうした人間を見抜けないのかと。
いつか自分が病気にでもなったときに、その発言の本質を突きつけられるのだろう、
そのときを機会があれば立ち会いたいと悪い趣味を持つ私もどうかと考え物であるが。

いくら高度医療が実現しても、それを扱うのは人間である。
そして、障害者にも心があり、感情があり、一生懸命に生きている、生き抜いている毎日を
ほんの少しでもよいので、知ってもらいたいと希う。





高次脳機能障害、銀座のママになります

2009年12月20日 00時36分51秒 | エッセイ、随筆、小説



ひょんなことで、2日間だけ銀座のママになる。
1日3時間弱、ギャラは悪くはない。
リハビリがてらに手伝ってよ、とのママの口説きにNOとはいえない私。
80歳のママがバリバリ働いている姿を見ていると、負けてられないと思わされる。
去年までは上海やNYなど世界4カ国に展開していたものの、一気に撤退の決断を下す。
ということで、今冬、NYの凍える街でママとお会いしていたのだが、
まさか銀座で再会できるとは思わず、しかも、障害をわかった上で、
いずれ社会復帰せにゃあかんでしょ、と。

教育をつけてもらおうと思う。
あの元気やパワーや人間との付き合いや構築、すべてが勉強になる。
朝まで・・・・・・とは言わないけれど、休日の前の夜は弾けて遊びまくろう。