可哀想に。
どれだけ辛かったのだろう、と思った。
たかが一年前に写真館で撮影した一枚の写真を前に、
この7年を振り返る。
わたし、笑うよりも泣くことに時間がかかった理由がわかる。
それは、身体の痛みに耐えるだけで精一杯で、
泣くことにエネルギーを使えなかっただけだということだ。
ESTEBANのブラウンノートというフレグランス系の香を焚く。
ひらひらと舞い上がる白煙、
愛犬がすやすやと眠りながら、時々、もごもごと口元を動かす仕草、
知人からの誘いのメール、
母との口論、
風に遊ばれるカーテンの音、
そうした他愛ないことがわたしの日常で、
すべてが愛おしく、大切で、思わず抱きしめたくなる。
ぎゅっと、まるで恋人を包み込むように。
物事には光と影がある。
その相反する存在同士が実はこの世の成りたちの最初であり最後でもあり、
生や死を考えていくときに似ているとふと思う。
だから笑いが尊く、幸せである時期を存分に味わいたいと願うのは、
この一瞬一瞬が、二度と出会うことのない出会いの積み重ねだからだと気付いた。
さよなら、可哀想なわたし。
そして、こんにちは。
去年よりは明るくなれたわたし。