風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

八正道についての語らい

2011年05月08日 22時12分24秒 | エッセイ、随筆、小説


航空公園駅にほど近いあるカフェのテラス席で、
東京友禅絵師である知人と人間を語った。

こころを正しく整えること、
身体を正しく整えること、
言葉を正しく整えること、

そこから人間の器を推し量り、
自分の棲む水を間違わないようにと助言いただく。
そうしなければ、大切なエネルギーを無駄に消耗するだけだ、と。

正見、正しい知見
正思、正しい考え
正念、正しい思念
正定、正しい瞑想
正業、正しい行為
正命、正しい生活
正精進、正しい努力
正語、正しい言葉

悪行から離れることで、苦を消滅させるメカニズムを知見することからはじめる。
美しいものを描き、見えない世界を、力を、時を味方につけたいのであればまず、
八正道を日常で実践してみよう。
五蘊盛苦に振り回されないために。



意味から離れること

2011年05月08日 07時42分36秒 | エッセイ、随筆、小説


人間には意味を探し彷徨うDNAがインプットされているのだろうか。
だれかを好きになるときの意味、
だれかを嫌いになったときの意味、
これをやる意味、
これを考える意味、
生まれた意味、
生きる意味、
死ぬ意味や生まれ変わる意味までいくと、
意味のないこと、意味のない人や存在を、
糾弾したり罵声の対象にしたりできるため、
対立の構図が要因に生み出すことが可能だ。

あの人は感性が乏しく、人間的な頭のよさに欠如する。
そうして、わたしとあなた、または、わたしたちとあなたたちは違うのだと表現することで、
優性的な物言いが物事の本質をすり替えてしまうように思う。

人間はなにか意味のあることに関与していると思えるときに
自分の存在意義や
自分の無力さを強い光の中で隠し込む恍惚に浸れる。
それは熱狂が一時的に様々なものを忘れされたり、
繋ぎ合わせたり、仕舞い込むだけのことで、
そこには可視化できる意味などない。
そもそも意味だとおもっているもの自体が意味ではないかもしれない。

わたしが意味から離れたいと痛切に思ったのは
わたしの身の上に起きた出来事が土台とはなっていたものの、
今回の震災、特に原発問題が決定打となった。
人を、社会を変えるために立ち上がり、意味を探し彷徨うのではなく、
そこで一喜一憂するのではなく、
わたし自身のために、目前にいる大切な友達のために、
わたしのできることをひとつ、またひとつと積み重ねることこそが
おそらく生きることだと気付かせてもらえたからだと思えてならないからだ。

わたしに意味が必要だったとき、
わたしはその意味に振り回され、消耗することが多かった。
だからこそ、もっとシンプルになりたいと希んだのだろう。

意味から離れたい。
そこから、見えてくるもの、感じるもの、与えられることにだけ精を尽くしたい、と。

鳥たちの会話に起こされ、清々しい気分で朝を迎えるとき、
わからないものはわからないままにしていていいのですよとの教授を
ふと思い出す。
意味を探し彷徨うから、世の中が複雑に見え、騙されてしまう危うさが付き纏うのだと。