(これは 2014年7月上旬に故郷である沖縄に帰省した際の回想録です…)
(つづき)
奥様は常日頃から水平線に沈む夕日がを見てみたいと話していた。
周りを海で囲まれた沖縄で育った僕としては よくわからない感覚だが、確かに関東からだと西方に海がないので海に沈む夕日は見れない。
奥様がその話をする時は決まって 長野出身の元同僚が「上京して初めて海を見たときにすごく感動した」と話していたのを思い出した。
それで帰省する度に 夕日を見る機会を伺っていたが これまでスケジュールが合わなかったり、天候に恵まれなかったりして見れぬままでいた。
今回の帰省では わざわざ夕日鑑賞の時間をスケジュールに組み、今度こそはと意気込んでいたが…帰省3日目は海岸まで行ったものの、ちょうど太陽が沈む方角にのみ コッペバンみたいな雲が浮いていて邪魔したために 太陽が沈むのを見れなかった。期待というか殆ど見れる!と確信していたたため、奥様は明らかにガッカリした表情を浮かべていた。
そして帰省4日目。父や兄と早めの夕飯を一緒しながら、前日のガッカリ話をすると「いまから西海岸まで行けばまだ間に合うだろ」と兄が言ってくれた。
たまにしか帰れないのだから少しでも多く父や兄との時間を持つべきと思ったが 兄がそうやって助け舟を出してくれたので、その言葉に甘えさせてもらって 夕飯を食べたあと 二人と別れると急いで西海岸へと向かった。
上がったり下がったりの山道を抜け西海岸が見えると そこには真っ赤な太陽がまだ丸いまま水平線より少し高い位置で輝いていた。すぐさま僕らは車を停めて車外に出て、太陽がゆっくり沈みいくのを鑑賞した。
最初 海岸沿いには 僕ら家族しかいなかったのだが、僕らにつられ観光客たちがどんどん集まってきて、完全に太陽が沈み薄暗くなり帰ろうと思い振り返ると 人集りは20人くらいまで増えていた。
奥様は初めてみる(念願の)水平線へ沈む夕日に大変感動したようで、目にはうっすらと涙を浮かべていた。翌朝は夜明け前から帰京の途とに就かなくてはならない。あっという間の帰省の旅だったな。そう思いながら実家へ向かいクルマを走らせた。
(沖縄帰省録 おわり)
(つづき)
奥様は常日頃から水平線に沈む夕日がを見てみたいと話していた。
周りを海で囲まれた沖縄で育った僕としては よくわからない感覚だが、確かに関東からだと西方に海がないので海に沈む夕日は見れない。
奥様がその話をする時は決まって 長野出身の元同僚が「上京して初めて海を見たときにすごく感動した」と話していたのを思い出した。
それで帰省する度に 夕日を見る機会を伺っていたが これまでスケジュールが合わなかったり、天候に恵まれなかったりして見れぬままでいた。
今回の帰省では わざわざ夕日鑑賞の時間をスケジュールに組み、今度こそはと意気込んでいたが…帰省3日目は海岸まで行ったものの、ちょうど太陽が沈む方角にのみ コッペバンみたいな雲が浮いていて邪魔したために 太陽が沈むのを見れなかった。期待というか殆ど見れる!と確信していたたため、奥様は明らかにガッカリした表情を浮かべていた。
そして帰省4日目。父や兄と早めの夕飯を一緒しながら、前日のガッカリ話をすると「いまから西海岸まで行けばまだ間に合うだろ」と兄が言ってくれた。
たまにしか帰れないのだから少しでも多く父や兄との時間を持つべきと思ったが 兄がそうやって助け舟を出してくれたので、その言葉に甘えさせてもらって 夕飯を食べたあと 二人と別れると急いで西海岸へと向かった。
上がったり下がったりの山道を抜け西海岸が見えると そこには真っ赤な太陽がまだ丸いまま水平線より少し高い位置で輝いていた。すぐさま僕らは車を停めて車外に出て、太陽がゆっくり沈みいくのを鑑賞した。
最初 海岸沿いには 僕ら家族しかいなかったのだが、僕らにつられ観光客たちがどんどん集まってきて、完全に太陽が沈み薄暗くなり帰ろうと思い振り返ると 人集りは20人くらいまで増えていた。
奥様は初めてみる(念願の)水平線へ沈む夕日に大変感動したようで、目にはうっすらと涙を浮かべていた。翌朝は夜明け前から帰京の途とに就かなくてはならない。あっという間の帰省の旅だったな。そう思いながら実家へ向かいクルマを走らせた。
(沖縄帰省録 おわり)