落書き日記のススメ

毎日、日記をつけるのもいいけど 簡単な絵を描き続けるのもいいですよ。絵のある生活(落書き)のすすめ。

アイマスク状態…

2015-03-16 23:22:47 | Weblog
ここ数日 風邪ひき気味の娘に 感染防止や保湿の効果も兼ねて マスクをしながら寝かせてるのだが、今朝 起きてみたらマスクが口元からずれてしまっていて アイマスク状態になっていた(笑)

そんな状態でも 本人は全く気にならないようで、ゆすって起こそうとしてもなかなか起きない。

生後まもない頃から ずっと早起きな子だったのになぁ…(早起き娘の主張なんて日記を書いたこともあったな)と思いながら、すっかり寝坊助になってしまった娘を強制的に起こすことにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災より4年…

2015-03-11 23:26:20 | Weblog
東日本大震災から今日で4年が経過した。

震災より1年
震災より2年
震災より3年

駅前の交番には半旗が掲げられ、テレビやラジオでは朝から特集が組まれていて“風化してはいけない”という強い思いみたいのを感じた。

復興!復興!!と盛んに叫ばれていたわりに(テレビでみる限り)被災地域の多くに更地が目立ち、とくに海に近い場所の復興は全然進んでいないのがわかる。

復興が遅れている原因は様々なもの(原発事故の影響や人材不足などなど…)があるだろうが 一番の原因は“また何時起きるかわからない…”という漠然とした不安ではないかと思う。

被災した方々は当然ながら、テレビなどを通して経験した多くの人たちにとっても 震災はトラウマとなっており、それからくる漠然とした不安が 積極的な行動を鈍らせ、結果 復興のスピードも鈍化しているのではないか。

不安が消えるようになるには まだまだ時間がかかりそうだ…となると 復興への道も長引いてしまうのだろうか…何とも頭が痛い問題だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上手くいかない日…

2015-03-10 00:08:47 | Weblog
だいぶ過ぎてしまったが…3月1日の日記。

奥様と娘が近くの児童館である催しに行くというので 珍しく朝からフリーな身となった。
久しぶりに一人で出かける事ができるなぁと思い 普段子守りしながらだと行けない(行きづらい)トコに行こうと考えた。美術館や博物館がいいかなと思い、ネットで上野界隈の施設を検索してみたが心揺さぶられる展示会がない。しばらくネットサーフィンしていたら…毎月1日の映画サービスデーである事に気がついた。

映画といえば、機会があれば観たいと思っていたKANO(カノ=台湾の民族混在チームが甲子園に出場する話)があったなと思い、上映時間を調べると すぐに家に出ればぎりぎり間に合う時間であったので 思い立った10分後には家を飛び出していた。

ハリウッド映画ではない外国作品のため、もともと大規模には公開されてなく、しかも公開時期がだいぶ経過しているので 未だに上映しているのは映画館が多い東京都内でも3箇所くらいしかなく、そのなかからアクセスの良い有楽町の映画館に向かった。

有楽町に到着すると駅前の吉野家で腹ごしらえしたのち、上映15分前に映画館があるテナントビルに入ると なんと受付階は人でごった返している。「えっー!」と思いながらも ここは映画の街 有楽町。これだけ混雑するのは いたって普通なのかもしれない。とりあえず冷静になり長蛇の列に並ぶ事にした。しかし いよいよ上映間近という頃になると 焦り出しているのは皆同じで 「どうなってんだァ」と一部のお客さんより怒号があがる。

まぁ この段階になると僕は半分諦めていたのだが 上映がちょうど始まろうという頃、受付より「今回の上映は満席となった」という旨のアナウンスがエントランスに虚しく響いた。

失意のうちに映画館を後にして、お隣の交通会館内にある北海道のアンテナショッブでソフトクリームを食べながら 今朝の敗因を分析した。
映画サービスデーが日曜日と重なり、さらに天気も悪かったことから、皆 屋内で過ごせる映画館に人気が集中したのだろうと考えた。小規模の上映作品は こうなるリスクは必然だよな~と思うと 何だか吹っ切れて その後は小雨がパラついているにも関わらず 皇居周辺をぶらぶらして、東京駅でカツ丼(また丼もの)を食べて家路についた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄帰省録 その6…

2015-03-07 00:10:57 | 沖縄帰省録
(つづき)
弟と別れたあと、僕らは本家に顔を出すことにした。父の実家にあたる所で、本来ならば盆正月に顔を出すべきところだが、そのタイミングで帰省するのがなかなか難しいため、時期はずれだが少しだけお邪魔させてもらい仏壇に手を合わせてきた。

伯父さん、伯母さんは むかし教育関係の仕事に従事したいただっけあって、田舎のおじいさん、おばあさんであるわりに何だか品が良い(うちの)奥様が沖縄方言を聞き取れないことに、しっかり配慮して終始 標準語で話してくれていた。

どうも父や兄貴から 僕が三線をはじめた事を聞いているようで、伯父さんは会話を遮るようなカタチで三線の話をし出した。まだまだ初心者なのでと言ったのだが それでも「ちょっと ひいてみなさい」と言うので(本家にある三線をお借りして)上手くないものの三線を奏でてみた。

本番に弱いタイプの僕が急に言われて、上手にひける訳もなく、いつも以上に散々な演奏となった。当然 伯父さん、伯母さんは苦笑いしていたが、上品な人達だけに「今度 来るときに また聴かせなさい」としっかりフォローしてくれた。

今度来るときまでに しっかり練習しとかないとなぁと思いながら本家を後にした。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄帰省録 その5…

2015-03-03 07:42:35 | 沖縄帰省録
(これは 昨年の7月上旬に故郷である沖縄へ 帰省した際の回想録です…)

(つづき)
普段は帰省する度に友人らに連絡し、夜は飲み屋あたりに繰り出していたのだが…今回は久しぶりに弟と会えたため、できるだけ 弟との時間を優先しようと思い、友人らには連絡しなかった。

弟の方も さすがに翌朝から結婚披露宴に出席しなければならないため(友人らとの飲み会の)予定を入れずにいたようだ。

この日は夜遅くまで、弟とゆっくり泡盛を酌み交わした。

弟がいる小さな島での生活は 釣りするか、酒を飲むかくらいしか娯楽めいたものはないらしく、日々 度数の高い地酒を飲んでいるせいか 僕などとは比べようにならない程 酒豪になっていた。

深酒したせいで、翌朝になっても 酒が抜けきっていなかったので、クルマの運転を奥様に託し、弟を結婚式会場近く(弟の友人との待ち合わせ場所)まで送っていった。

「またね」と言い残し、さらりと車を降りていった弟の後ろ姿を見ながら 今度はいつ会えるのだろうなぁと思った。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする