称名寺
侘び茶の祖珠光ゆかりの寺
珠光忌
珠光は文亀2年(1502)5月15日に亡くなったとされており、毎年この日に称名寺では法要が営まれています。
珠光木像と位牌
珠光竹
珠光手植の竹で、主に茶杓造りに用いられた。
獨盧庵(俗称:珠光庵)
元は珠光が設けた茶室。1700年代二度の大火に遭い焼失。現存する建物は享和二年(1802)の再建。
内部は四畳半上げ台目切・洞床となっている。
茶書「南方録」によれば四畳半の座敷を考案したのは珠光とされる。この茶室最大の特徴は取り外しできる仕切壁を用いる事で三畳と一畳半の「鞘の間」に分割でき、四畳半茶室としても三畳茶室としても使用する事が可能な点。
この様に茶室の拡大・縮小を行なうのは、織部の燕庵形式からで獨盧庵も江戸時代の好みを反映していると言えます。
珠光肖像
珠光の碑
蹲
井戸
珠光が茶の湯に用いたとされる
千体地蔵尊
松永久秀が多聞城築城の為集めた石像。落城後放置されていたが、称名寺第十九代観阿上人が合祀した。
客殿では呈茶があり抹茶が頂けました。
次なる場所は
奈良国立博物館
特別展「国宝 信貴山縁起絵巻」
「平安絵巻の傑作として名高い国宝・信貴山縁起絵巻の全貌を公開。信貴山朝護孫子寺の寺宝の数々を信仰の歴史とともに紹介します。」(公式より)
楠木正成所用 菊水の兜
二十六間星鉢で鍬形台には菊水の模様の金具が付く。
菊水の旌旗
元弘元年九月十日の年号と楠木正成の花押が墨書されている。
護良親王所用 喉輪
黒漆塗、赤糸威。
その他には武田信玄や松永久秀の書状がありました。
さてさて、奈良博の敷地内には茶室があります。
八窓庵
元は興福寺の大乗院庭内にあった茶室「含翠亭」と呼ばれていた。大和三茶室のひとつ。
内部は四畳台目となっています。
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