三代目桂三木助の「芝浜」によると、
「ねぇ~、お前さん、起きておくれよ」、と起こしたが、休みついでだからもう少し休ませろ、とか、出し抜けに起こすなよ。
とグズグズしている勝五郎。
男らしくないね、明日から出るのでイッパイ飲ませろと言って呑んだのに、その上釜の蓋が開かないよ。
「行くけど半月も休んで飯台がゆるんで水が漏るだろ」、
「魚屋の女房だよ。ヒトったらしも水は漏らないよ」、
「包丁は」、
「そこまでは腐っていなかったね。研いだ包丁が蕎麦殻に入っていて、秋刀魚のようにピカピカ光っているよ」、
「ワラジは」、
「出ています」。
「やけに手回しが良いな」、
「仕入れの銭も飯台に入っています。やな顔をしないで行っておくれよ。ワラジも新しいし気持ちがいいだろ」、
「気持ち良かない」。
グズグズしながら出かけて行った。
「磯臭い匂いがしてきたな。これだから辞められない」。
しかしどの店も閉まっていた。
増上寺の鐘が鳴っている。
カミさんが時間を間違えて早く起こしてしまったのだ。
仕方がないので、浜に出てタバコを吸っていると、陽が揚がってきた。波の間に間に何か動いている。
引き寄せてみると、革の財布であった。
慌てて家に帰ってきた。
カミさんが謝るのも制止し、水を一杯飲み、
「浜で財布を拾った。中を覗くと金が入っているので慌てて帰ってきた。いくら入っている?」。
カミさんと数えたら82両あった。
「早起きは三文の徳と言うが、82両の徳だ。釜の蓋も開くし、明日から仕事に行かないで、朝から晩まで酒飲んでいてもビクともしないよな。金公や虎公には借りがあるんだ。存分に飲ませて食わせて借りを返さなくては・・・。」、
「夜が明けたばかりだから、昼過ぎになったら声掛けるワ」、
「昼まで起きていられないから、残り酒をくれよ」。
と言う事で一杯やって寝込んでしまった。
「ねぇ~、お前さん、起きておくれよ」、
「何だ」、
「商いに行っておくれよ」、
「何で?釜の蓋が開かない? 昨日の82両で開けとけよ」、
「82両って何だよ」、
「昨日、拾った革財布に入っていただろう」、
「何処で拾ったの」、
「おい、82両渡しただろう。少しイクのはイイが、82両そっくりイクのはヒドいじゃないか」。
「悲しいね。お金が欲しくて、そんな夢見たのかい」、
「おい、夢!? 一寸待てよ。こんなハッキリした夢見るか。芝の浜で財布拾って、お前と二人で数えただろう」、
「お前さん、私の格好を見なさいよ。この寒さの中、浴衣二枚重ねて着ているんだよ。まるで乞食だよ。しっかりしておくれよ。お前さんは昨日芝の浜なんかには行ってないんだよ。起こしたら怒鳴られたので、手荒な事をされるとイヤだから放っておいた。昼頃起き出して湯屋に行き、帰り際に友達大勢連れてきて、酒買ってこい、天ぷら誂えろ、と言ったが、顔を潰す訳にも行かないから黙って回りで工面して買ってきた。一人ではしゃいで、さんざん飲んで寝てしまったんじゃないか。芝の浜には行ってないよ」。
「一寸待て。増上寺の鐘は何処で聞いたんだ」、
「ここでも聞こえるよ。今鳴っているのがそうだろ」、
「・・・夢か、・・・、子供の時からやにハッキリした夢見る事があるんだよ。82両は夢で、友達と飲んだのは本当なのか。やな夢見たな。借金もずいぶん有るだろ。おっかぁ~、死のうか」、
「馬鹿言うんじゃないよ。お前さんが死ぬ気になって商いに行けば何の事もないよ」、
「そうか。分かった、商いに行く。それに酒が悪いんだ。止めた。一ったらしも呑まないよ」。
これから行って来るよと出かけた。
人間がガラッと変わってよく働いた。元々腕がイイのでお客も戻ってきた。
3年経つか経たない内に裏長屋から表通りに店を持つまでになって、小僧も置くようになった。
丁度3年目の暮れ。
湯屋から戻ってきて、正月の手配を小僧にするが、全部払いは済んでいるから掛け取りは来ないし、その上、もらいに行く所もあるが行かないと言う。
畳も取り替え、サラサラと門松が触れ合う音が聞こえた。
ゆっくりしろと優しいカミさんであった。
小僧を湯屋に出してカミさんが言うには、
「お前さん、これから話す事、最後まで怒ったり、手荒なまねはしないで聞いて欲しいんだよ。約束してくれるかい。そ~、聞いてくれるかい。では見せたい物が有るんだよ。これなんだけれど見覚えは無いかい」、
「汚い財布だな~。ヘソくりかい。イイんだよ。何処のカミさんだってやるんだ。でも、こんなにやるなんて女は恐いな。で・・・・82両も有るぜ」、
「その革財布と82両に覚えは無いかい」、
「・・・、ある。先年芝の浜で82両入った財布を拾った『夢』を見た事がある」、
「その財布だよ」、
「なにぃ。あの時の金ぇ。お前は夢と言っただろ」。
「だから怒らないで聞いてくれと約束しただろ。最後に殴ると蹴ると好きにしてイイから。ホントはね、拾ってきたんだよ。悪いことした金かと思ったが、そうでもなさそうだし、お前さんが残り酒を呑んで寝てしまったのを幸いに、大家さんに相談した。その金はお上に届けなければ勝の身体が大変な事になる、勝には夢だ夢だと騙してしまえ。で、夢だと騙したら、酒も断って仕事に精を出し、3年経ったらこの様な店も出来た。ず~っと騙してた私も辛いが勝つぁんには申し訳ないと思っていた。このお金も、と~に下げ渡されていたが、元の勝つぁんに戻られたらと思うと見せられずいたが、今の様子を見ていると大丈夫だと思った。ごめんなさい。女房に騙され悔しかったでしょ、ぶつなり蹴るなりしてください」。
「手を上げてくれ。お前の言うとおりだ。あの時使っていれば、お仕置きになって、良くて戻ってきてもコモを被って震えていなければならない。お礼は俺の方で言う。ありがとう」、
「なんだね~、女房に頭下げて。許してくれるんだね。今日は機嫌直しにお酒と好きな料理が二三品用意した有るんだよ」、
「ホントだ、好きな物が有るわ。やっぱり女房は古くなくてはいけねぇ~。なんだ、お燗がついてる? どーもさっきからいい匂いがしてると思った。畳の匂いだけではないと思っていたんだ。ホントに呑んで良いのか。俺が言い出したんじゃないよ」。
女房にお酌をしてもらって、3年ぶりの盃を口元に運んで感激していたが、
「ん。止めておこう。夢になるといけねぇ~」。
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