遅ればせながら「白い巨塔」に夢中になっている
話題になっていたのは知っているけれど
原作(本)もドラマも、これまで見たことがなかったので。
DVDを借りて来て、ひたすら見ている
いまやっと、12話が終わったところ。
泣いたり、笑ったり、ドキドキしたり。
人間の弱さや汚さを、実にうまく描いてある
自身の煩悩の海に溺れながら、もがく。
そこに果たして「ほんとうのしあわせ」があるのだろうか。
求め続けた理想の場所に
あの手この手で、必死にたどり着いたかと思うと
それは瞬時に色あせて、更なる欲望が生まれる。
また新たな苦悩と対峙することになり
どこまで行っても、しあわせにはなれない。
それはまるで、自分の「周りの出来事」が
思うように進まず、苦しんでいるように見えるけれど
一番の原因は、実は苦を生み出している
「自分」そのものである。
いまここにある自分が、すでに幸せであることに
気づくことができない
それを、不幸と言う。
・・・なんていうことが、ドラマを通して見ていると
客観的に、とてもよくわかる。笑。
自分のことは、なかなか見えないものですが。
ドラマを見ていると、
「だから、あかんのやわぁ~」
「もう、そんなに求め続けるからやぁ。全然幸せじゃないやん」
なんて、言えたりする。
ドラマは誇張してあるけれど、
人間の「煩悩」を凝縮している事に、間違いはなく。
自分は違うつもりでいても。
実はこれが、そっくりそのまま自分にも、あてはまる・・・
はずで。そう思うと、恐ろしいものだなぁ~。
走って逃げても、煩悩も一緒について来るからなぁ~。
思うに。いろんなものに降参をすることで、
逆にそこから、開けてくる世界がある。
自我に囚われてある、自分であることを知らされる。
茂木さん、ひささんが、コラムに「無知の知」を
書かれていたように。
知ろうとすることで、知り得たと思う殻を割り
かつ、知ろうとしても、知り得ないことがあるのだと
さらに知らされるところに、光が差す
大峯顕さんの本にあった。
『上へのぼったら助かると思っていた、仏教の常識を破ったのが
親鸞聖人であり。
煩悩を持った罪悪衆生の凡夫を、
そのままで救うという阿弥陀様のお心に、おまかせするのみと。』
あらゆる命は、もうすでに、光の中でありました
もったいないことだなぁ・・・。
話題になっていたのは知っているけれど
原作(本)もドラマも、これまで見たことがなかったので。
DVDを借りて来て、ひたすら見ている
いまやっと、12話が終わったところ。
泣いたり、笑ったり、ドキドキしたり。
人間の弱さや汚さを、実にうまく描いてある
自身の煩悩の海に溺れながら、もがく。
そこに果たして「ほんとうのしあわせ」があるのだろうか。
求め続けた理想の場所に
あの手この手で、必死にたどり着いたかと思うと
それは瞬時に色あせて、更なる欲望が生まれる。
また新たな苦悩と対峙することになり
どこまで行っても、しあわせにはなれない。
それはまるで、自分の「周りの出来事」が
思うように進まず、苦しんでいるように見えるけれど
一番の原因は、実は苦を生み出している
「自分」そのものである。
いまここにある自分が、すでに幸せであることに
気づくことができない
それを、不幸と言う。
・・・なんていうことが、ドラマを通して見ていると
客観的に、とてもよくわかる。笑。
自分のことは、なかなか見えないものですが。
ドラマを見ていると、
「だから、あかんのやわぁ~」
「もう、そんなに求め続けるからやぁ。全然幸せじゃないやん」
なんて、言えたりする。
ドラマは誇張してあるけれど、
人間の「煩悩」を凝縮している事に、間違いはなく。
自分は違うつもりでいても。
実はこれが、そっくりそのまま自分にも、あてはまる・・・
はずで。そう思うと、恐ろしいものだなぁ~。
走って逃げても、煩悩も一緒について来るからなぁ~。
思うに。いろんなものに降参をすることで、
逆にそこから、開けてくる世界がある。
自我に囚われてある、自分であることを知らされる。
茂木さん、ひささんが、コラムに「無知の知」を
書かれていたように。
知ろうとすることで、知り得たと思う殻を割り
かつ、知ろうとしても、知り得ないことがあるのだと
さらに知らされるところに、光が差す
大峯顕さんの本にあった。
『上へのぼったら助かると思っていた、仏教の常識を破ったのが
親鸞聖人であり。
煩悩を持った罪悪衆生の凡夫を、
そのままで救うという阿弥陀様のお心に、おまかせするのみと。』
あらゆる命は、もうすでに、光の中でありました
もったいないことだなぁ・・・。