きょうは、、と言っても
あと10数分で、日付が変わるけれど。
若婦人研修会に行って来た

朝、起きられん。。。
低血圧・低体温・貧血・かつ面倒くさがりの、わたし。
でも。
研修会に行って、たくさんの方とお会いして
ご講師の先生のお話を、お聴聞すると
『あ~・・・来て本当に良かった
』
と心から思う。
自分がどれだけ望んでも、ご縁が整わなければ
きょうの研修会に、参加できないもので。
わたしは自分の人生において、いろんな方々とのご縁に
とても恵まれていると思っているんだけれど。
新たな出会いをいただく度に、
「こんな素晴らしい方がおられたのだなぁ・・・」
と、いつも驚かされる。ご縁に終わりはない。
S寺さんが「わたしの大好きな先生で、、」
と、ご講師のO先生をご紹介下さったのだけれど。
初めてわたしもお聴聞させていただいて、
なるほど、、、
と、深く納得。
O先生のお話が、お人柄が、響いた。
なんなんだろうなぁ、、
言葉では、うまく言えないんだけれど。
先生の「本気」と「あたたかさ」を通して
阿弥陀様の願いが、ストレートに響いた。
講題は「旅的途上(たびのとじょう)」
以下、先生のご法話→メモより。
『人はみんな旅の途中で。
自分で解決しようとしていることを、迷いと言う。
阿弥陀様から、わたしに届けられた道がある。
自分ではどうにもできない、人間の限界を超える道がある。
必ずたどり着かせるぞという、お喚び声を聞かせて頂く。
仏様となる為に、生まれて来た
仏様の願いを聞く為に、生まれて来た。
南無阿弥陀仏は、一切を平等に必ず救う。
老いも病も、すべてを引き受ける力をいただき
与えられた命を、生ききる世界。
あたりまえのことを、あたりまえじゃないと
気づかせていただくこと。』
メモのままの掲載で、すみません。。
今日はちょっと、お疲れモードで頭がはたらかず。。。
もっと先生のお話を、お聞きしたかったなぁ、、、。
座談会では、参加者90名弱が
4つの班に分かれて、40分間話し合った。
わたしは1班(19名)の進行係だったので、とても緊張した。
みなさん、わたしより年配でおられて大先輩。
失礼のないようにと思いながら
しっかり話し合いを進める、責務もあり
みなさんからの、ご質問に
お答えさせていただいたり。
これもまた、宗派や地域や時代の違いなど
いろんなものを考慮しながら、
決して否定したりせず、
でも真宗のお荘厳や作法などを、知っていただこうと。
質問される方のお気持ちに
寄り添えるように、、、わたしのできる限りで、、。
同じ班におられた坊守さんに、支えていただきながら。
みなさんに、自由に発言していただきながら。
なんとか最後には、場もあたたまって、
結果、貴重な話し合いがなされました。
・・・いい勉強になったなぁ~。
お寺に身を置いていると、どうしても
自分よりも、上の世代の方々との交流が多いので
これから、もっと、しっかりせんとなぁ~。。
みなさんに、安心していただきたいからなぁ。
ちなみに、話し合いのとき
真宗では、穢れ(ケガレ)ということを言わないこと
亡くなった方が、たたるとか、災いをもたらすとか
一切なく。むしろ、その方の死を通して
わたし自身の命を考えさせていただく
尊いご縁であること
参加者のみなさんが、不安や恐れを抱かれないように
「安心していただくこと」だけを考えて
ほんの少し、お話させていただきました。
帰宅後。
O先生の言葉を思い出しました。
「100歳の人も、3歳の人も、今日という日は初めてである」
「初めて」
わたし達は、知識や経験をあてにして
生きているけれど
いま目の前にいる人との対話は
いつも会う人でも、初めて会った人でも
「初」なのである。
きょうの自分も「初」で
きょうの人との出会いも「初」
いつも、何事も、昨日と同じに思える自分も、
「初」なのである。
いま、この「初」をいただくこと
それ以上に、大切なことはないのだと
阿弥陀様が、わたしに教えて下さっている。
話があちこち、まとまらなくて、すみません。。。
もう、ねむい
おやすみなさい・・・
あと10数分で、日付が変わるけれど。
若婦人研修会に行って来た


朝、起きられん。。。

低血圧・低体温・貧血・かつ面倒くさがりの、わたし。
でも。
研修会に行って、たくさんの方とお会いして
ご講師の先生のお話を、お聴聞すると
『あ~・・・来て本当に良かった

と心から思う。
自分がどれだけ望んでも、ご縁が整わなければ
きょうの研修会に、参加できないもので。
わたしは自分の人生において、いろんな方々とのご縁に
とても恵まれていると思っているんだけれど。
新たな出会いをいただく度に、
「こんな素晴らしい方がおられたのだなぁ・・・」
と、いつも驚かされる。ご縁に終わりはない。
S寺さんが「わたしの大好きな先生で、、」
と、ご講師のO先生をご紹介下さったのだけれど。
初めてわたしもお聴聞させていただいて、
なるほど、、、

O先生のお話が、お人柄が、響いた。
なんなんだろうなぁ、、
言葉では、うまく言えないんだけれど。
先生の「本気」と「あたたかさ」を通して
阿弥陀様の願いが、ストレートに響いた。
講題は「旅的途上(たびのとじょう)」
以下、先生のご法話→メモより。
『人はみんな旅の途中で。
自分で解決しようとしていることを、迷いと言う。
阿弥陀様から、わたしに届けられた道がある。
自分ではどうにもできない、人間の限界を超える道がある。
必ずたどり着かせるぞという、お喚び声を聞かせて頂く。
仏様となる為に、生まれて来た
仏様の願いを聞く為に、生まれて来た。
南無阿弥陀仏は、一切を平等に必ず救う。
老いも病も、すべてを引き受ける力をいただき
与えられた命を、生ききる世界。
あたりまえのことを、あたりまえじゃないと
気づかせていただくこと。』
メモのままの掲載で、すみません。。
今日はちょっと、お疲れモードで頭がはたらかず。。。
もっと先生のお話を、お聞きしたかったなぁ、、、。
座談会では、参加者90名弱が
4つの班に分かれて、40分間話し合った。
わたしは1班(19名)の進行係だったので、とても緊張した。
みなさん、わたしより年配でおられて大先輩。
失礼のないようにと思いながら
しっかり話し合いを進める、責務もあり

みなさんからの、ご質問に
お答えさせていただいたり。
これもまた、宗派や地域や時代の違いなど
いろんなものを考慮しながら、
決して否定したりせず、
でも真宗のお荘厳や作法などを、知っていただこうと。
質問される方のお気持ちに
寄り添えるように、、、わたしのできる限りで、、。
同じ班におられた坊守さんに、支えていただきながら。
みなさんに、自由に発言していただきながら。
なんとか最後には、場もあたたまって、
結果、貴重な話し合いがなされました。
・・・いい勉強になったなぁ~。
お寺に身を置いていると、どうしても
自分よりも、上の世代の方々との交流が多いので
これから、もっと、しっかりせんとなぁ~。。
みなさんに、安心していただきたいからなぁ。
ちなみに、話し合いのとき
真宗では、穢れ(ケガレ)ということを言わないこと
亡くなった方が、たたるとか、災いをもたらすとか
一切なく。むしろ、その方の死を通して
わたし自身の命を考えさせていただく
尊いご縁であること
参加者のみなさんが、不安や恐れを抱かれないように
「安心していただくこと」だけを考えて
ほんの少し、お話させていただきました。
帰宅後。
O先生の言葉を思い出しました。
「100歳の人も、3歳の人も、今日という日は初めてである」
「初めて」
わたし達は、知識や経験をあてにして
生きているけれど
いま目の前にいる人との対話は
いつも会う人でも、初めて会った人でも
「初」なのである。
きょうの自分も「初」で
きょうの人との出会いも「初」
いつも、何事も、昨日と同じに思える自分も、
「初」なのである。
いま、この「初」をいただくこと
それ以上に、大切なことはないのだと
阿弥陀様が、わたしに教えて下さっている。
話があちこち、まとまらなくて、すみません。。。
もう、ねむい

おやすみなさい・・・
