ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

イラン・アフガン紀行

2008年09月21日 | Weblog
 アフガンに学校を作ろうとの事で、2002年10月、イランからアフガンのへラートに向かった。

 JIKASCHOOLプロジェクトと題して、イランは北西部のチューゼという村に学校を作り、その後イラン側の協力を得て、アフガンに向かった。
当時、イランはアメリカのテロ支援国家と名指しされ、西側諸国から敬遠されがちな国と思われ、その国へ関与すること自体、白眼視されがちであったが、阪神大震災での被災体験から、何か出来ることはないかとの思いと、悠久なシルクロードの歴史の循環地点への訪問は、単に、ボランティアへの思いだけではない、アジアの人間として、その大地にいつしかのめり込んだのが始まりである。
 無謀な計画だと揶揄され、マスコミを賑わすこととなったが、建築を通じて、自分の職能が、この不毛の大地で、そして同じく、震災と戦災で疲弊した地域の人たちが喜んでもらえるのであれば、その労苦は惜しむことなかったことを、いまでも鮮明に覚えている。

以下次号   写真 アフガン ザードシャヒ村の子供達 毎日新聞写す