ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

イラン北西部大地震

2008年09月22日 | Weblog
 
 2002年6月25日、当時日韓共催のワールドサッカーがあった年だった。
私は阪神大震災から7年目。建築工事の事業が思わしくなく、日々支払いに終われて、仕事の方も年を重ねるごとに減っていて、被災当時に借りた借金が既に1億を超えていて、毎日が、支払に追われる日々で、頭が朦朧とし、いつ事業を閉鎖しようかなどと、まさに後ろ向きな気持ちと、そのままこの世から消えてしまいたい、また何故生き残ったのかと、悔やんだもので自信も勇気も、いつしか生きる力を失せていたころだった。
そうしたところ、ワールドサッカーの韓国対イタリヤ戦で、韓国が奇跡とも言える逆転勝利を飾った試合を見て、「遣れば出来る」との大きな勇気をもらい、その夜、事務所の隣の店でビールを買って一人祝杯をあげ、酔っ払ってしまい、そのまま、家に帰らず眠りこけ、朝まで床の上で眠ってしまった。

 以下次号