北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

'17出雲旅行記 そのⅠ

2017-11-30 17:20:00 | 旅行
俳人「松尾芭蕉」は「おくのほそ道」序文に「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」と書いた。

私も旅人として、11月26日(日)~29日(水)「ご夫婦で行く神話の国・出雲4日間」に行って来た。

C社のツァーは4回目である。今回の案内には「化粧台トイレ付足元ゆったりシートバス利用。勾玉(まがたま)製作・神話講座・貸切列車で魅力探訪」とあり、出雲大社に一度は行ってみたかった。

私にとって未踏だった「島根県」と「鳥取県」に行ける、絶好の機会となった。

このツァーは最少の人数が14名のところ、12組の夫婦24名も集まった。

26日は天気も良く、我々は新横浜発10時29分の新幹線に乗り込んだ。先ずは岡山駅を目指す。

早速、行先の「山陰遊悠絵図」が配られた。
当然、出雲地方を探すのだが、突然松本清張の「砂の器」を思い出した。

最初に映画で見て感動して小説も読んだのだが、その中に亀嵩が出て来たのだ。

探すと雲州そろばんの近くに亀嵩温泉を見つけた。ここだ!
近くに「砂の器記念碑」の表示があった。

映画では国電蒲田操車場での殺人事件から始まる。東北なまりと出雲の方言が似ており、「カメダ」がポイントとなり、犯人を追った。天才ピアニスト・作曲家を加藤剛が演じた。

是非「砂の器」を読んでいただきたい。



添乗員は若くて美人のIさんで、さらに情がこもっておりラッキーだった。11時過ぎて銀座大増の弁当とお茶が配られる。

3種類のご飯が見える。美味である。

岡山駅には13時27分着。その後は「特急やくも」に乗り、玉造温泉駅に向かった。
新幹線に慣れていると「特急やくも」の揺れる事、はなはだしく感じる。
山陽から山陰の距離間隔が大体分かった。「特急やくも」は約3時間かかった。

玉造温泉駅からはマイクロバスにて、「佳翠苑皆美(みなみ)」に着いた。
ここは島根県松江市の玉造温泉で、大きなホテルだ。



部屋についてテレビをつけると白鵬の優勝表彰式の最中だった。
早速9階の露天風呂に入る。もう暗かったので、外はほとんど見えなかった。
ここの温泉は、ちょうど良い温度の温泉だった。弱アルカリ性温泉である。



夕食には先ず冷酒を注文。「皆美」の吟醸酒だった。
この三角ビンと全く同じものを、自宅で花瓶として使っているので驚いた。
(実は娘が結婚披露宴の引出物でいただいた酒ビンを、再利用で花瓶としている)

ここの料理は旨かった。
ずわい蟹、十六島(うっぷるい)岩のり、鯛、エビ餅、カレイゆうあん焼き、クリーム茶碗蒸し、島根牛焼きしゃぶしゃぶ、松前ご飯、デザートと盛りだくさんだった。



午後8時30分から近くの会館で「どじょうすくい」の演芸が見られると言うので出かけた。
入場料は500円。 最初にオジサンの民謡と、女性二人の演舞は銭太鼓。




最後は太鼓をたたいていたおじさんが、素早く着替えて「安木節」にのって「どじょうすくい」の名人芸を見せてくれた。

どじょうを捕まえるしぐさが上手い。
その後、会場から5人の希望者に、どじょうすくいの芸を教えるコーナーがあり、私もしたかったが、積極的なおばさんパワーに負けて、手を上げられなかった。

ワザとらしいおばさん芸に、連れのおばさん達はやんやの喝さいを、浴びせていたが、私は出られなかった悔しさで、とてもカメラを向けられなかった。



母の新盆と駒ケ根

2017-08-17 17:48:00 | 旅行
母の新盆のため、8月13日に八王子駅発11時30分の特急あずさに乗り、岡谷で飯田線の各駅停車に乗り継いで、飯田駅に15時49分に着いた。

4時間以上かかる程、飯田は都心から遠いのである。

通常は中央高速バスで行くのだが、お盆の渋滞を避けるため電車にした。私は気が早く、一ケ月前の朝7時前に自転車を飛ばして、西八王子駅まで予約に行ったのである。

その努力が実り、帰りもあずさに乗り無事に帰宅した。やはり中央自動車道は大変混雑したようだから、正解である。

新盆供養は17時30分から行われ、親類筋が15~16人集まり供養後は、酒が入った。
通常はあまり飲まない私も、ついビールに日本酒を飲んでしまった。

妻も一緒だったのでその夜はホテルに泊まり、翌日はせっかくだからと駒ケ根を見学することにした。

乗車券は3日間有効のため、八王子まで買って駒ケ根に途中下車をした。
飯田線は今では1時間に一本である。車掌が通常の10倍の乗車率だと言う。

若い頃、父親が連れて行ってくれた「光前寺」のひかり苔を是非見たいと妻が言った。

駒ケ根と言ったら千畳敷きカールである。しかしお盆の時期は大変混んでおり、ロープウェイは2時間待ちだと言う。何回か行ったし、子供を連れて混んでいる中、宝剣岳まで登ったこともあるので、今回は避けた。

「光前寺」までは不便なので、先ず駅前にいたタクシーを飛ばして「光前寺」に行った。
その丸八タクシーの運転手は親切に、駒ケ根と有名ソースかつ丼の分かり易いマップをくれて、それがすごく役立った。

あらかじめ調べていたとおり、「光前寺」の目の前の「やまだや保翁(やすおう)」で蕎麦を食べた。気が付いた方はおられますか。何故「やすおう」に行ったかを。
そうです。私は「やすお」です。その関係です。



ここでは私は「天ざるそば」をいただいた。天婦羅に何と「りんご」があって珍しかった。

レジ精算時に若主人に、私が「やすお」であることを言って、身分証明書を見せ、その関連性で「縁だからサービスは無いの?」と言ったら、笑って「それは無いですね」と言下に断られた。

道路をはさんで、光前寺はある。



先ずは光前寺の仁王門。参道は修理中。



参道の石垣には「ひかり苔」が光って見える。分かるかな?



参道は立派な杉並木となっており、ここは参道の脇道だが、一面に苔が生えている。



ここは本堂。
正式名称は天台宗 別格本山 宝積山 光前寺とある。不動明王をまつる。
天台宗の本聖上人が清和天皇貞観2(860)年に開基した。

光前寺には「霊犬早太郎伝説」がある。小学生の時、学芸会でこの早太郎の物語を見たことがある。

光前寺を後にして、駒ケ根高原散歩マップにより、ホテルまで散歩することにした。

どんよりとした天気の中、光前寺通りの道なりに進む。
やや坂道を上ることになったが、道路は自動車ばかりでほとんど人に会わない。
車は頻繁に通るので車道と歩道は明確に、ブロックで分離されている。

うっすらとした杉木立の中、登り始めて割とすぐだった。先頭の私は、とぐろを巻いた蛇を目の前に見つけて「ギョッ」とした。蛇の名前は分からない。
マムシか、ヤマカガシか、青大将か?しかし恐れながらも見ると死んでいて、ハエが群がっていた。

歩いて10分程度で旧竹村家住宅に着いた。
国指定の重要文化財である。



ここも以前親父に案内してもらったところである。
写真は長屋門で、その奥に主屋がある。肝心の主屋の写真が無いが、寄棟造の茅葺である。

主屋に入ると、そこが土間。右に、とおり、うまや、左側にいろり、台所、座敷がある。
江戸時代の中ごろの建築と思われ、上農の民家だそうだ。
現天皇が皇太子時代に、美智子さまと訪れた写真が飾ってあった。



左隣に駒ケ根郷土館がある。ここは駒ケ根市の旧市役所だったのを、移築した。
大正期の洋風建築で、今は民俗文化財を展示している。
両方見られて200円は安い。



さらに光前寺通りを登り切ったところに、「大沼湖」があり、静かな湖畔を少し散策して、今度は下り坂になった。

ほぼ下りきったところに「駒ケ池」があった。(写真)
何人か釣り人がいて、何を釣っていたのだろうか。何か釣れてびくに入れていた。

天気は曇っていて、やや疲れも出て来た。
タクシ-の運転手さんが言っていた「ソフトクリーム」の美味い所がもう近くだった。

そこは「味わい工房・すずらんハウス」で、「すずらんソフトクリーム」を購入した。250円。
これは昔、清里の清泉寮で食べたソフトクリーム同様、美味だった。



こまくさ橋はつり橋である。太田切川を横切るこのつり橋は結構揺れる。
全長146メートル。四国旅行の大歩危峡のかずら橋ほど怖くは無いが、まるで酔っているようで浮遊感があり、気持ちが悪かった。

こまくさ橋を渡り、2日目の宿「早太郎温泉・こまゆき荘」は近くだった。
曇り空だったが、どうやらぽつりとして来た時に宿に着いた。
ざっと2時間の散策で結構、疲れていた。すぐに風呂に入りたかった。



ここは一般の人も温泉に入れるところで、宿は2階に6部屋しかない。
ロッジ風の造りで、部屋は畳だった。

風呂はこじんまりしていたが、美肌の湯と言う訳で肌がつるつるになった。単純アルカリ温泉で41度に加温してある。

夕食はやはり風呂上りにビールだった。
刺身、茶わん蒸し、天婦羅、牛陶板焼き、ダイコン煮、うなぎかば焼き、キノコ入り炊き込みご飯を炊いた。

21時過ぎにバタンキュー。

翌朝は雨。朝6時半過ぎに風呂に入る。たった一人でゆっくり出来た。宿の水はやはり飯田より冷たかった。上手い水でこれで養命酒が上手く出来る訳である。(近くに工場があるが見学はしなかった)

この日は残念ながら終日雨だった。



帰りの駒ケ根駅発は12時半過ぎだからゆっくり出来る。
9時30分過ぎに宿を出る。太田切川の遊歩道を上流に向かって散策。結構の雨が降って来た。
駒ケ根橋上方向の、千畳敷きカール方面はガスっている。

太田切川は木曾駒ヶ岳を源流とする一級河川である。氷河が崩れて来たのか太田切川は、巨岩や割と丸くて大きい石がゴロゴロしている。下流は天竜川になる。

駒ケ根橋を右から左に渡り、今度は下流に向かって歩いて来た。
広い太田切川に並行して流れる、幅1メートル位の川があったが、水量が多く、坂になっているため、その流れが早いこと。仮に足を入れたらいっぺんに転んで、おぼれてしまいそうだ。




遊歩道の途中で見つけた東屋で休憩をした。その辺まで土石流が来たと表示されて驚く。
再び散歩で見つけたこの家は、古民家ウェディング「音の葉」だ。もう一度結婚式を挙げるならここが良いなあ。

昨日行った味わい工房に又来て、コーヒーで一息つく。
土産物店で、日本名水100選に選ばれた猿庫(さるくら)の泉の水を使用した、飯田の「猿庫の泉」なる純米酒を購入。これが美味いんだ。

この辺は菅の台バスセンターで広く、栄えている。
マップで見ると右方面に「キャンプ場」がある。思い出したが中学の時にこの「キャンプ場」に来て、テントを張って泊まった。クラス単位で来たと思う。

バスセンター近くを見学して、当初予定通り11時過ぎに有名な「明治亭登山口店」に入った。

もう店内は満席だと言われたが、ラッキーなことにテラス席はいくつか空いていた。
座った途端に、テラス席もあっと言う間に満席になった。

私の席のすぐ裏は川で、せせらぎ音が聞こえていた。
屋外なのに不思議に虫はこなかった。 



駒ケ根名物は「ソースかつ丼」である。
我々は「ヒレカツ御膳」にした。食べ出してから写真を思い出したから、これこの通り見るにはやや汚いがご免。

ヒレカツは美味かったが、量があったので私は3個食べて1個残し、パックをいただき、妻の2個も入れて持ち帰って夕食にした。

食べ終わると、もう長蛇の列だった。
菅の台バスセンターに向かって歩いている時にサイレンが鳴った。

何だろうと時計を見たら正午だった。
そうだ本日は終戦記念日で、立ち止まって黙祷をした。

菅の台バスセンターでは駒ケ根駅行きのバスは出た後だったので、タクシーを呼び、駒ケ根駅まで行った。行きに親切にしてくれた丸八タクシーでやはり、前と違う運転手でも親切に駒ケ根の話をしてくれた。

まだ時間はある。駅前のスーパーで駒ケ根の地元の酒「信濃鶴」やコーヒーゼリーを購入した。
駒ケ根駅発12時46分は2両編成のいっぱいの人で、やっとシルバーシートに座れた。
可愛らしい御嬢さんの浴衣姿も多く、考えたら諏訪湖で花火大会があったからだ。

岡谷ですぐ「あずさ」に乗り換えた。我々は一番前の車両で満席だった。甲府付近でコーヒーゼリーを食べ、満足した。
無事八王子に定刻の16時01分に到着した。

千畳敷きカールには秋紅葉の時期に来たいものであるが、やはり混雑するのがネックだな。

四国旅行記 そのⅥ

2016-12-05 20:05:00 | 旅行
11月26日(土) 四国・小豆島旅行6日目で、いよいよ最終日である。

5時45分起床。天気は晴れ。
展望浴場は6時からなので、いつもよりゆっくりめに起きた。

浴場には小豆島の写真が展示されており、「小豆島は日本で19番目の大きさである」と書いてあった。

周囲126キロメートル、人口約28,000人、島の形は牛が左を向いている様だ。
「ベイリゾ-トホテル小豆島」は後足の付け根の部分か。

6時50分から朝食。バイキングで、会場は昨夜の隣の大広間だった。



昨夜もバイキングだから、基本的には同じものが並んでいた。
珍しいのは、手作り豆腐くらいで、あとは定番の納豆・しらす・ポテマヨ・だし巻玉子・ソーセージ・じゃこ天・かぼちゃ・お新香など。



7階の部屋から見た、瀬戸内海。
左側の半島の先に、「二十四の瞳 映画村」がある所だろう。



バスは8時10分出発。最初はすぐ近くのオリーブ園の見学だ。
1919年からオリーブ栽培を始めた。朝一番だったので、もちろん我々が見学一番であった。



オリーブ園では、若いお嬢さんが案内してくれた。
産業用として日本で最も古いオリーブ園の原木である。



果実は6月頃から成長し、やがて緑から赤くなり、さらには赤黒くなるのもある。朝日がまぶしい。
これらは以前使用されていた、しぼり機だ。



10月初旬から収穫し、緑の果実は新漬けに、赤黒い果実はオリーブ油や化粧品などに加工される。
あっと言う間に見学は終り、土産物店に案内されるいつものパターンだ。

オリーブ油は千差万別で、ガイドさんも「このオリーブ油に限るとは言えない」と言う。土産物屋によっても取り扱う商品が違うらしい。

小豆島産だけの場合、値段が高い。外国産との混合割合で価格が決まるようだ。
それなりの物をゲットした。

バスに乗る前に、全員に見本の「オリーブハンドクリーム」をくれた。



オリーブ園を8時50分に出発して、9時20分、寒霞渓に到着。

こううん駅からロープウェイに乗る。隣りは若いカップルで、大きく甲高い声で大阪弁が飛び交うさかいに、うるさい。



ロープウェイから奇岩が見える。紅葉の時期を狙って申し込んだが、ほぼ紅葉が終わってしまったかな。
目の前のカエデがロープウェイの陰で暗く、残念だ。



山頂に近づくにつれて、岩肌があらわになる。
小豆島にこんなに高い山があるとは、思わなかった。



上側の第二展望台から見た所だが、左下側の岩の所に鉄の輪が見える。
これは、平べったい石(かわら)を投げて輪くぐりをすると、幸運になると言う。

ツアー客が5個位(200円)投げていたが、一個も届かなかった。トランプを投げるようにすれば良いのに、とつい声を出してしまった。



瀬戸内海を望む。絶景である。

ツアーの男性陣はいいカメラを持っているので、うらやましい。私ももう一ランク上のカメラが欲しいのだが。
そうすればもっときれいに、あざやかに、鮮明に写るだろう。



こちらはやや下側の第一展望台から。
ロープウェイは登りだけで、再びバスに9時50分乗車。
バスは寒霞渓の頂上(612m)まで登り、あとはブルーラインを使って下りである。

意外なのは、この山が瀬戸内海にしては高い山だから、冬には30センチも雪が積もると言う。

猿もいるようだが、途中「鹿が林の中に消えて行った」とガイドさんが驚いていた。

思ったよりは大きな島だった。やがてバスは世界一狭い海峡だと言う土渕海峡を渡り、土庄(とのしょう)港に着く。10時20分。



最後の見学地、二十四の瞳・平和の群像である。

私はすっかり勘違いしていた。それは壺井栄の「二十四の瞳」の映画の舞台となった所を見学する、とばかり思っていたからだ。そこは随分先の半島だから、今回のツアーでは行けないのだ。

思いが強かっただけに誠に残念だった。



写真では分からないが、おなご(大石)先生の頭から鼻にかけて、鳩のフンが白くかかっていた。

あの映画の高峰秀子や、生徒たちの屈託のない表情を思い出す。



目の前にある公園に、先生と生徒たちの石碑が円を書くように一つづつ置いてある。
まさかお墓ではあるまい。



写し方が悪かったが、こちらは「キッチン」(徳田吉次の愛称)

壺井栄は小豆島生まれで「二十四の瞳」は創作であり、反戦小説である。
舞台となった小豆島と、金比羅さんに今回の旅行に行けて満足である。

土庄港の売店でやっと小豆島の日本酒を買った。島内唯一の森國酒造の「うとうと。純米酒」
アルコールは17度だから、普通の酒より高い度数だ。焼酎のような濃密な味だった。

時間調整してフェリーは11時出発。いよいよ小豆島を離れる。旅も終わりになって来た。



小豆島を後にして、行く先は新岡山港である。新岡山港まで約70分あるので、まだ早いがここで弁当が出た。
「岡山 後楽園の弁当」で、お品書きまで入っていた。

鰆の白醤油焼き・舞茸とさつま芋のかき揚げ・岡山県産焼豚・厚焼き玉子・筑前煮・岡山名物祭ずし・きのこと松茸ご飯と贅沢であった。

新岡山港に12時10分着。そしてフェリーから降りて一路、新幹線の岡山駅へ向かう。

バスガイドさんの、「皆様といよいよお別れの時がやって参りました。今回お世話になったバスは何処のバスですか?」とか「後は岡山駅でしっかり買うのよ」と笑いながら、盛んに岡山をアピールしていた。

出発前には「バスに乗ったら皆さん、家族と考えましょう」と言われていたが、誠に素晴らしいガイドさんであった。

中にはガイドさんに名刺を催促した人がいたが、持ち合わせてはいなかった。
運転手さんは「イギリスのチャールズ皇太子」に似ていると私は思い、つい「チャールズさん、ありがとう」と言ってしまった。

そして添乗員さんが6日間をざっと振り返り、一生懸命さが伝わった最後の挨拶があった。



新幹線岡山駅から見た岡山市内。目の前は高島屋だ。
1時間以上の余裕があったので、買い物をして「のぞみ28号 9号車」13時49分発に乗り込んだ。

私はグリーン車は初めてである。成るほど2席づつでゆったりしている。
ところが新横浜で一番最初に降りるからか、車両の一番前の16番C・D席で、目の前は壁だった。

我々以外は大きなキャスター付きをガラガラ引いていたが、宅急便で送った人もいたから帰りは意外と楽だった。

やっと安堵して、岡山駅ビルで買った地ビール「独歩」と簡単に「サンドイッチ」を食べだした。この「独歩」ビールは味わい深かった。

そして、再び「四国連絡特急殺人事件」を読みだした。50頁位は読めた頃、左側に大きな富士山がしっかり見えた。未だ明るかったのだ。

新横浜駅には予定通り、16時55分着。
添乗員は反対側の席だったので、私は彼を抱え混んで「大変楽しい旅行でありがとう。ご苦労様」と言った。

3組の夫婦が新横浜駅で降りた。添乗員はじめ皆さんとも手を振って別れた。6日間一緒に行動して、多少会話も出来た。
男性はなかなか無口で、ほとんど話はしなかった。

プラットホームで、「さあ」と思ったら向こうから車いすに引かれた「日野原重明」先生が通り過ぎるところで、私はすぐ分かり、手を振ってお辞儀をしたら、手を振って返してくれた。

「神ってる」が今年の流行語大賞になった。

今回はまさにそうかも知れない。何しろ私が一番心配だったお腹が良く、バスのトイレを一回も使用しなかった事である。又、お天気に恵まれ、日中は一度も傘は必要なかった。

これだけ、お寺や神社を回ってお願いしたから通じたのか、御利益があったかも知れない。

尺八を演奏し、古典本曲も演奏する手前、私もお遍路さんで四国を回る必要があるかも知れない。
要は意志である。

参加した御夫婦は皆仲良く、80歳の高齢夫婦もおり、金比羅さんではご主人が奥様の手を引いていたし、金婚式記念のご夫婦は最後のバスの中で発表され、皆で拍手した。

帰って早速「釣りバカ日誌14」を見たが、これは「釣りバカ」の中でも一番面白かったと思う。
見るだけでも「金剛福寺」「四万十川」「足摺岬」等が分かる。

又、「バルトの薬園」はベートーベン作曲「交響曲第9 歓喜の歌」の演奏がエンディングに出て来るが、映像としてベルリン・フィルのカラヤン指揮や軽井沢大賀ホールでの大賀典雄の指揮、三越百貨店での演奏などで、大変聞かせる。いい映画だった。

今回は大変勉強になった旅だった。
日本の各地を旅行してきたが、あと行ってないのは和歌山県・鳥取県くらいだろうか。


四国旅行記 そのⅤ

2016-12-03 10:51:00 | 旅行
11月25日(金) 晴れ 5日目である。

5時半起床で、すぐ大浴場に行く。

朝食は7時からバイキングである。場所は大広間で結婚式場みたいな、シャンデリア付きの凄く高い天井だった。
中国系の家族が多く、異国語が飛び交っていた。

今度の旅行で初めてパン・バターにしてみた。スクランブルエッグ・ハム・ソーセージ・ノリ・鮭・カマス焼き・ヨーグルト・フルーツにコーヒーだった。洋食でも納豆はいつでも食べる事にしている。



バスに荷物を預けて、8時45分いよいよ金比羅宮参りである。



「二十四の瞳」(1954年)の昔の映画で、浪花千栄子が金比羅さんの飯屋のかみさん役をやっているシーンが思い浮かぶ。

小学校をやめた「マッちゃん」がそこで働いており、修学旅行で来た大石先生と劇的な出会いをするのだ。

生徒らが再び遊覧船に乗って小豆島に向かって出発する時に、マッちゃんが走って見送る場面には泣けた。



「にしきや」さんで全員、竹の杖を借りた。ガイドは「にしきや」のおばさんである。
ハンドマイクを片手に、ゆっくりと進みながら面白おかしく説明してくれる。

参道には両側に土産物屋さんがある。



金比羅さんは階段が785段ある。しかし5~6段ですぐ平らになるところもあり、大変では無かった。



旭社は天保8(1837)年、竣工され高さは18メートル。



御前四段坂は最後の石段で652段~785段である。
ところどころで休んで説明してくれるので楽だ。



御本宮は海抜251メートル。正面からの撮影は禁止だそうだ。
健康のお願いをした。


下界が眺められて目の前は讃岐富士。全国に富士と名付ける例は多いが、やはり単体ですくっと立っているのは美しい。

金比羅さんは「象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現」と呼ばれた。
「金毘羅船々」の歌の意味がここへ来てやっと分かった。
「まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山大権現ーーー」と歌われる。

確かにホテルから象頭山を見れば、象の頭や鼻、尻の形に見えた。



帰り道は混雑するので、裏参道で帰る。カエデの見どころ。
再び「にしきや」に案内されて、トイレとお土産を買いたい人は買う。
上手い具合に案内される。

バスは再び「にしきや」に横付けされて、10時30分、今度は秘境の大歩危峡(おおぼけきょう)に向かう。



75分乗って、昼食は大歩危峡のレストラン「まんなか」で「祖谷(いや)のそば」(そばは撮影後に出てきた)
又、アユも出たが郷土料理の豆腐は大きくやや硬かった。



大歩危峡は見た感じが、先頃、天皇陛下が訪問された信州天竜峡に似ている。



木曽の「寝覚めの床」にも似ているかな。川が透き通ってキレイだ。



さらに山の中に入り13時、いよいよ有名な「かずら橋」である。



あらかじめガイドさんから、渡り方と携帯電話・スマホ・デジカメや貴重品は絶対落とさないように注意があった。

皆、恐る恐る渡っている。足下は10センチ間隔の木で、踏み外すことは無いが、挟まれる事はありそう。それでも皆さん「かずら」に、しがみついて、ゆっくり渡っている。

横幅はあるので、普通は両手は届かない。少しづつ進む。
ところどころ、かずらが踏みつぶされて、切れているところもあった。

私なんぞは真ん中を走り通って行けそうだと思ったが、自信は無かった。



「かずら」は「つる草」の総称で安全の為と後継者育成の為、3年ごとに張り替えているそうだ。
手すりにはワイヤが入っており、安全である。

バスは13時45分出発し、来た道を戻り井川池田ICで高速道路(徳島自動車道)に入る。

池田と言ったら甲子園を沸かせた「池田高校」である。ここで蔦文也監督の説明をしていた。

そして、高松自動車で高松に向かった。高松では栗林公園や高松城・屋島の説明があった。



高松港に16時30分着。
これで四国の4県を制覇して、ほぼ一周した事になる。(新居浜を除く)四国の大きさが分かった。いよいよ四国とお別れである。過ぎてしまえば早いものだ。

時間調整して16時49分フェリーにて小豆島に向かう。
辺りは段々暗くなって来た。屋島が見る角度でどんどん変わるというのが分かった。

乗船は約1時間、もう暗いので甲板に出たが小豆島は写せなかった。皆さんは景色が見えないから、テレビの相撲に夢中であった。

17時50分に池田港に着き、18時15分には「ベイリゾートホテル小豆島」に着いた。もうすっかり暗くなっていた。

C社のサービスで大きな荷物は一人一個、宅急便で自宅まで運んでくれる制度があった。
これが助かる。早速、申し込んで手続きをした。

浴衣は好きな色・デザインのを選べた。最上階の12階にある展望風呂に入る。今回の旅行で最上階に風呂があるのは初めてであった。
目の前にうっすらとした海と、遠くにチラチラと灯りがともる半島が見えた。

シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズの屋上プールを思い出す。



19時30分からの夕食はバイキング。夕食のバイキングは今回の旅行では初めてであった。
従業員はじめ、お客さんも異国の人が多かった。

どうも夜のバイキングは好かない。落ち着かない。
中生を頼み、相変わらずの刺身・コロッケ・ミニトマト・フルーツ。目新しいところで、タコつるしのぶつ切り・ハマチしゃぶ。

小豆島と言ったらオリーブである。ガイドさんが言った何種類ものオリーブ入りそうめんや、オリーブ漬けをいただいた。

何かを食べ忘れたと後で思ったら、納豆だった。

良く歩いたのだろう10,000歩だった。

部屋は、リゾートと名が付いているが、以前畳だったところに板を貼って洋風にしてあった。
だから部屋は衣裳入れなど和風でありながら、ベッドで不思議な感じ。

ただ珍しく、風呂とトイレは別だった。
今回の旅行は全部本物の温泉で大浴場に行った為、部屋の浴槽は使用しなかった。

実は四国旅行が決まってから、西村京太郎の本を探していたら「四国連絡特急殺人事件」がブックオフにあったので、買って持って来た。
毎日が忙しく、読む暇がなかなか無かったが、ここでやっと時間が取れて読みだした。

いきなり香川県、予讃本線の本山駅にある四国第70番札所の本山寺の近くで、お遍路さんが殺されている場面が出てきた。

ところが読み始めて10頁位で眠くなってしまった。

四国旅行記 そのⅣ

2016-12-01 12:00:00 | 旅行
11月24日(木) 4日目の朝を迎えた。

5時に起床して5時30分から風呂に入る為、遠い所だがひたすら歩いて行く。
6時頃、ロビーで新聞を読んで、相撲の結果を見る。

高知は晴れで暖かい。前日の天気予報で知ってはいたが、テレビニュースで東京は雪でびっくり。しかも積雪で、雪かきもしたと言う。

八王子駅も映され、あれーー。自宅庭の菊が雪で倒れたと聞いた。
しかも6時23分には福島で震度4の地震もあった。



6時30分からの朝食はバイキングでおかゆ。いつも旅に出るとおかゆだが、今回は初めてであった。

湯豆腐・納豆・目玉焼き・ソーセージ・しらす・メカジキ焼き・フルーツ・ヨーグルトなど。
いろいろあっても私の食べる物は大体決まっている。

バスは7時50分発と早い。
高知市を出てバスは国道55号で土佐湾を右に見て、海岸沿いを走る。座席は3日目が前から3番目で、4日目は4番目だった。
空いているので、中には後ろの座席に行く夫婦もいるので、私はゆったり反対側の席に一人で移動した。

途中、安芸市を通った時、阪神がキャンプする「安芸ドーム」が見えた。
今年、新人賞を取った高山が、ここで練習しているのを帰宅してニュースで見た。

次は室戸岬だが長いので、ガイドさんは「弘田龍太郎」作曲の「浜千鳥」を歌ってくれた。

弘田龍太郎(1892~1952)は安芸郡土居村(安芸市)で生まれ、大正9年に作曲した。ガイドさんは上手く歌ってくれた。何しろ説明も情がこもって、抑揚があり聴きやすい。

途中休憩は「キラメッセ」までバスで110分。室戸岬にはトイレが無いのでここで済ます。みかんを試食して、またしてもみかんを購入。

実は室戸にも来たかったのには理由がある。

M大学三曲研究部に入った時に、同級生のMA君が室戸の出身だったから、一度は訪ねて見たかった。彼は一年で尺八を止めてしまったが、夏の合宿で私に「ミスター三曲だ」と言ってくれた。

色白のいい男で、目が切れ長でカッコ良かった。とにかく酒が強かった。
「あいつ今何してる?」という番組が人気だが、彼は卒業後、大阪に就職したと風のうわさで聞いた。会ってみたい一人だ。

彼の生まれた室戸市(人口14,000人しかいない)の街なかを通り、室戸岬に10時20分着いた。



室戸岬海岸は地殻変動で隆起した奇岩が、あちらこちらにある。
普通は横の層だが、縦になっているのが分かる。



いくつもの見所はある。



小高い丘に室戸岬灯台があり、そこまでは行けない。



昔、ラジオの気象予報で「室戸岬では、南南西の風、風力3、○○ミリバール(今はヘクトパスカル)」と言うのを良く聞いた。昭和9年の室戸台風は風速60メートルと凄かったらしい。



国定公園になっている。



ここの奇岩を見納めて引き返す。



これは「アコウの木」で大変珍しい。岩を根が抱え込む様に成長している。

この木は前日早朝に見た白山洞門の遊歩道にもあった。

白山のは他の木を包み込んで、締めつけてしまっており、まるでニシキヘビみたいだった。
実は成るが、他の木の股に落ちたのだけが芽が出る(寄生する)。地面に落ちたのは成長しないようである。



御厨人窟(みくろど)は弘法大師が悟りを開いた洞窟。
洞窟内は落石があって、公開していなかった。

弘法大師が洞窟内から海を見たところ、空と海が一体となっているので「空海」と名付けたと言う。



バスは高知県をほぼ走り切り、四国の約三分の二を制覇した。
大体の四国の大きさが分かって来た。約55分走って、徳島に入って「ホテルリビエラ」11時55分着。

ここで「ハヤシライス」の昼食。本当に「あわおどり」入りのカレーである。
まさか「阿波踊り」ではあるまい。「阿波尾鳥」である。美味であった。



ここは薬王寺の仁王門。第23霊場で厄除けの寺である。

石段に1円玉を置いて行くと厄除けになると言われ、あるオジサンは各段に置いていたが、私は1枚だけ置いてみた。



薬王寺を13時40分に出て、阿南市を通る。
阿南市には日亜化学工業がある。そこで中村修二(1954年~)は青色発光ダイオードを発明・開発。青色LED製品化に貢献し、2014年ノーベル物理学賞を受賞した。

やがて鳴門市に15時10分着く。

鳴門市には第一次世界大戦中に板東俘虜(ふりょ)収容所があり、捕虜となったドイツ兵を松江豊寿は、人道的な扱いをしたとガイドの説明があり、収容所の場所も示された。

それを題材とした映画「バルトの楽園」で松江豊寿を松平健が演じ、捕虜による楽団がベートーベン作曲「交響曲第9番 歓喜の歌」を日本で初めて演奏した事は有名である。
(旅行後にDVDを借りて来た)大変勉強になった旅だった。

ここは「鳴門の渦潮」が見える場所。展望の公園までは大型バスでは行けない為、マイクロバスに乗り換えた。「若山商店」専用で、着くと名物おばちゃんの大きな声で、渦潮の説明があり、「今は渦潮見えないから、後はしっかり籠を持ってお土産を買ってくれ」と大笑い。

大鳴門橋を上に見て、向こうは淡路島である。

徳島県は作曲家、三木稔を生んだ。NHK大河ドラマ「鳴門秘帖」の音楽担当は三木稔で、テーマ曲は「阿波踊り」を使用していた。

その記念碑が道路脇にあった。



バスは高速道路に乗り香川県に入る。これで四国全県制覇である。

善通寺で高速を降り、「こんぴら温泉郷」に入る。
ホテルは「琴参閣」で、目の前が象頭山「金刀比羅宮」の近くである。17時10分着。

温泉はスーパー銭湯みたいに、ジャグジー・薬草湯・どくだみ湯・露天風呂があった。

夕食は18時30分からで、全日ほとんどは食前酒が出た。



ここは親切にメニューが印刷されていた。
先ずは中生で。メインは牛しゃぶで茶碗蒸しも良い。鯛釜飯が出た上に讃岐うどんが出てもう腹が一杯で、何を残すか考えたところ、讃岐うどんだった。ああもったいない。

温泉が良かっただけに残念だったのは、宿泊した部屋である。
とにかく狭く、その上机の上に照明器具が無いので暗く、メモを書くにも不便であった。

テレビも高さ10センチ位の小さな箱の上にあって不安定だったし、向きを変えるのに持ち上げたり、トイレも目の前のドアがぶつかる位だった。