曇ってはいるがまだ降り出してはいない。
木下(きおろし)という古くからの印西の中心地だったらしい地区を通って利根を渡る。名前からして水運をつかった木材の集散地だったのだろう。利根を渡ると茨城県だ。平地が広がる。丘陵地帯ではない。
利根親水公園と云うのがあったので寄ってみる。蓮池があった。
蛟蝄(こうもう)神社、蛟蝄とはミズチの事だそうだ、即ち水神。
小高い、荘境の目印か、相馬御厨の東端になるそうだ。
階段上から見下ろすと樹木越しに平野が見渡される。
千葉常胤の父の代に伊勢神宮に寄進され立荘されたはずが、平治の乱後、いろいろあって、千葉氏はこの荘園の権益の大半を失う。
若草橋を渡り、千葉県に戻る。二百円、有料の橋だ。
印旛沼の周りを走るつもりが道がよくわからなかった。
成田を経由し佐倉に入る。結構遠い。
円城寺という寺の址を探すのだが、すんなりとは見つからない。小高い住宅地の中にあった。
円城寺は日胤の菩提を弔うため千葉常胤が建てたという。日胤は常胤の息子だ。園城寺の律成房日胤、以仁王の乱のときの主戦派の一人だ。以仁王と日・場所を共に死んでいる。
中心にある樹は槇だ。この案内板は1973年になっている。少なくともこの時には檀家があったことになる。
樹齢推定650年と云うのは鎌倉末期か、樹は雷にやられたか上部がなくなっている。
古い墓石が集められている。五輪塔はかなり古そうだ。
石仏は新しそうに見えたが、一つ享保の年号が見えた。