物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20200924 妙高上越

2020-10-01 | 行った所

常磐道ー北関東道路ー東北道ー北関東道路ー上信越道を通り妙高市へ。

小布施のパーキングに寄る。

妙高だ。

新井泊。

義仲が信州から越後に入る途中でのどを潤したという木曽清水めざすも通行止めだった。

手前に白岩清水と云うものがあった。


すごい山の中だ。オンデマンドのバスがあるというのもすごい。

スゲ工芸館と云うものがあるあたり、この辺りは人家がある。

木曽清水への標識がある。

意味があるとも思えない「密をさけよう」幟のある道をもどる。

関山神社へ寄る、

上越市へ。

春日山城

 

春日山から北方に米山が見える。米山の向こうが中越になる。

春日山城の資料館で海上交通の発達コーナーで越前焼の壺が出ていた。

川中島の戦いの場所はほとんど横田河原の戦いと一緒だという。

 

上越というここはかつての直江津だ。越後国府はこの辺りだという

越後国府址と云われる府中八幡神社へ行く。越後で義仲は越後国府に入ったという。ここなのだろうか。

木曽清水が本当なら、義仲は飯山から山越えしてきたことになる。もともと頼朝が善光寺に来た時、義仲は信濃と越後の境くらいにいたという。飯山辺りだったのだろうか。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)信太・石岡

2020-10-01 | 行った所

稲敷市信太古渡付近を通る。

信太先生義重はこの辺りにいたはずなのだが、ぴんと来ない。

自動車道を乗り継ぐように石岡へ。

常陸風土記の丘の看板を見て期待していけば休館の上、あまり面白いところでもなさそうだ。
常陸国府跡の石岡小学校。 

資料館は休館だ。

景清が死んだところと称するものはたくさんあるようだ。だいたい壇ノ浦で死んだのか、鎌倉で捕まって死んだのか、壇ノ浦から落ち延びたのか、鎌倉で許されたのか。歌舞伎では大変な平家の忠臣となってはいるけれど。
墓も大阪やら宮崎やらにもあると聞く。石岡の景清も景清伝説の一つなのだろうか。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)佐原・香取神宮

2020-10-01 | 行った所

佐原へ行く。

こちらは伊能忠敬住居跡。


舟に乗る。小野川という利根川にそそぐ川である。

利根川はもともとは東京湾にそそぐ川であった。それを江戸時代に太平洋にそそぐべく改修された。この水運により佐原は栄えたという。伊能忠敬の家業酒蔵もこの水運により大きな利益を出したという。
忠敬の資料館がある。正直この人物には圧倒される。

香取神社、経津主大神と云うのが祭神だそうだ。戦神のようだ。何故か古事記には出てこない神。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)犬吠埼・大塚古墳

2020-10-01 | 行った所

北上し、銚子へ。
地球の丸く見える展望台から灯台を望む。

犬岩と云うものがあることを発見。行ってみる。

長年、犬吠という地名が不思議だったのだ。この岩に由来する名だったのか。

 富士山が見えるって?!嘘のようだが本当なのだろう。

しかも義経伝説...


西に向かい東庄町へ行く。公民館で「将門と忠常 -千葉氏のルーツを探る」というパネル展をしているはずだった。ネットでは閉館日ではないことになっていたのに休館だった。おまけにこの町には忠常の居館があったはずなのだ、その位置がわからず公民館で聞くつもりだったのだが、当てが外れた。

佐原へ向かう利根水郷ラインという道沿い、どう見ても前方後円墳と云うものを発見、寄ってみた

道路側からは完形に見えたが裏は住宅の敷地に侵食されているようだ。驚いたことに後円部頂上は墓場になっている。しかも新しい。数個の墓石が並んでいるが一族のものらしい。祠があるのはよく見るが・・

箱式石棺の部材に見えるものが何故か碑のごとく建てられている・・・

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)玉前神社・高藤山城・伊能忠敬生誕地

2020-10-01 | 行った所

上総介広常の本拠はいすみ市の辺りらしい。いすみ市はかつて夷隅郡夷隅町で合併で市になったらしい。ある取引先との関係でこの地名だけは20年近くも前から知っていた。もちろん読めなかったし、よほど辺鄙なところに違いないと思い込んでいた。えびすの隅だもの・・・
だが、山がちな房総半島に在っていすみは開けたところだ。
いすみ市の北に隣接する一宮市の上総一ノ宮玉前神社、玉前はたまさきと読む。

玉崎神社は二つあり、もう一つはいずみ市日在という所にあった。海というか海運の神であるようだ。 

広常は頼朝の指示で梶原景時とすごろく(どうやるのかは知らないが賭け事らしい)に夢中になっている時、だまし討ちに殺された。

その広常、玉前神社に願文を挙げていたという。内容は、頼朝の祈願成就と東国泰平を祈り寄進等の約束をするものだ。願文は焼失してないが、碑が作られている。

玉前神社より南西に3kmほどの所に高藤山城がある。広常の城だという伝承があるようだ。

この辺りの海岸線は九十九里浜となる。なかなかのスケールである。

途中、伊能忠敬生誕場所という看板を見て寄る。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)鴨川付近から九十九里

2020-10-01 | 行った所

房総半島を回り賀茂川へ

鴨川の道の駅は早い時期に作られたものなのだろう。張り切って作ったらしいが、いかんせんメンテナンスが付いて行かなかったらしい。オーシャンパークと云うのだが何やら汚らしい。
近くに頼朝の愛馬太夫黒ゆかりの地があるとか、ただ太夫黒って義経の愛馬で、屋島の戦いの後、佐藤継信の菩提を弔うため寄進したのではなかったろうか?
 仁右衛門島、とやら付近

安房の山は驚くほど荒れている。ナラ枯れというそうだが・・・

安房西部を北上、いすみ、九十九里へ

 

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)洲崎

2020-10-01 | 行った所

館山市を素通りして洲崎へ。

先ずは灯台へ。

 

洲崎神社
長い階段を上り

下を見下ろす。

天候がいいと富士山が見えるそうだ。

房総半島にたどり着いた頼朝に安房の豪族長狭氏が立ちふさがる。長狭常伴は頼朝の居所を襲おうとし、三浦義澄と合戦になったという。
三浦は長狭を撃退。頼朝一行は洲崎神社で武運を祈る。後に政子の懐妊時に安産も祈願している。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)頼朝上陸地・鋸山

2020-10-01 | 行った所

京葉道路を南下する。かなり山がちだ。
鋸南町に入る直前、前にそびえる鋸山、明らかに石切の跡が見える。上総国分尼寺の資料館で、礎石を鋸山から切り出していたと聞いたが、まさかアレ? 鋸山トンネルを抜けると鋸南町だ。

 釣り人が多く、路上に車がいっぱいだが、パトカーが動かせ、と云っている。


曇っていたが三浦半島が見える。かすかだが伊豆半島も見えるようだ。三浦半島からは20kmない。ここは三浦氏の影響下にあったのだろう。伊豆半島真鶴からだと70kmほどあるだろうか。

頼朝上陸地碑


頼朝上陸地 ここから頼朝の奇跡の敗者復活が始まる。

鋸山にもいかなくっちゃと戻った。

確かに景勝地だろうし、東京湾がよく見えた。意外に人が多かった。

地形や地質、どのように使われてきた石が採れたのかの説明が何もなくその点は不満だった。
房州石というそうで凝灰岩だそうである。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)上総国分寺

2020-10-01 | 行った所

千葉市街から南下、市原市に入る。
上総国分尼寺跡に行く。

立派な復原回廊がある。

ここまで復元してあるのは初めて見た。文化庁の仕事だそうである。資料館もある。立派なジオラマがあり、学芸員が説明してくれる。


市役所を間に挟み、国分尼寺と僧寺が建つ。僧寺には七重の塔があったそうだ。
国分寺跡


将門塔と称するものがあったが、時代は合わないそうだ。


市原市のホテルに入る.強行軍になり疲れた。

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20200919-23 関東(上総・下総・安房)千葉氏

2020-10-01 | 行った所

千葉神社は流行っているお宮さんであまり面白くもなかったが、妙見さんと云うのは星神さんだとわかった。


君待橋は地名にもなっている。

 公園もあるが、碑の位置は公園より南へ下がる。
出来すぎの話だが、ここで千葉常胤は頼朝を待っていた、ということになっている。

ラーメンで昼食、千葉市郷土歴史館へ行く。

模擬天守閣があってびっくりしたが、もともと猪鼻城という城郭があったらしい。
騎馬像はもちろん常胤。この資料館は常胤をメインに千葉一族の事が詳しい。とても消化しきれず、頭がくらくら。

白旗神社へも寄ってみる。

 やたらと犬の散歩をするな、猫に餌をやるな、の貼り紙がしてある。異様なほどの枚数の貼り紙なのだ。貼り紙するな、と書いてやりたい。

 

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