7日、ウクライナ軍が進軍したクルスク州の激戦地スジャで燃え上がるビル=MIC Izvestia/IZ.RU・ロイター
【ウィーン=田中孝幸】
ロシア軍に守勢に追い込まれていたウクライナが、形勢逆転へ賭けに打って出た。
ロシア西部クルスク州に侵攻したウクライナ軍の部隊は9日も進軍を続けた。兵力不足の中での大規模な戦力投入には、年末にも想定するロシアとの停戦交渉を少しでも優位に運びたい狙いがある。
「ウクライナ軍は驚かせる方法も、成果をあげる方法も知っている」。ウクライナのゼレンスキー大統領は8日の軍の行事で、クルスク攻撃への直接的な言及は避けつつ、戦果をあげたウクライナ軍を称賛した。
複数のウクライナメディアによると、同国軍は国境から15キロメートル以上進軍した。クルスク州内で支配下においた領土は45平方キロメートル以上。東京都江戸川区にほぼ相当する面積をわずか2日で制圧した。越境した部隊は数千人規模だったという。
ロシア国防省は8日、ウクライナ軍の前進を阻止したと主張した。ただ、同国軍の進軍は続いているようだ。ロシア非常事態省は9日、クルスク州で連邦非常事態宣言を出した。
ウクライナが奇襲を成功させた背景には、ロシア側の油断があったのは間違いない。これまでもウクライナ側からロシアへの越境攻撃は複数回あった。小規模だったため、いずれもロシア側は早々に撃退した。
ウクライナの後ろ盾である欧米が、核大国ロシアとの対立激化につながる大規模な越境攻撃を容認しないとの思い込みもあったとみられる。
ロシア軍はウクライナ東部の激戦地に戦力を集中投入し、クルスク州などの国境防衛は脆弱な状態で放置していた。
一方のウクライナ軍は奇襲のために周到な準備を欠かさなかった。主要7カ国(G7)の軍高官によると、奇襲前の数週間でウクライナ軍は同州の通信設備を集中的に攻撃した。
ロシア軍の偵察能力に大きな打撃を与え、察知されない形の侵攻を可能にした。奇襲には機械化旅団など装備が充実した数千人の部隊が出動したとみられる。
奇襲作戦は今後のロシア側との停戦交渉をにらんだ色彩が濃い。
ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は7日のテレビ番組で、国境地帯でのウクライナの攻撃は「ロシアの戦争コストの増大」につながると説明した。将来の和平交渉でウクライナの立場の改善につながるとの見方だ。
戦争の長期化で国内の厭戦(えんせん)機運は高まりつつある。
キーウ国際社会学研究所が5月に実施した世論調査では「和平実現のためロシアと交渉に入るべきか」との問いに、2023年11月の前回よりも15ポイント多い57%が賛成と回答した。
ウクライナの念頭には11月の米大統領選がある。和平協議の即時実現を唱えるトランプ前大統領が返り咲いた場合、協議で厳しい条件を押しつけられかねない。
ウクライナ側が折り合える条件で今冬以降の停戦交渉に臨むには、秋までに大きな戦果をあげておく必要があった。
欧米各国は相次ぎ、今回の奇襲攻撃を理解する立場を表明した。米国務省のミラー報道官は7日、ウクライナの行動は「我々の政策に反していない」と語った。
ウクライナメディアによると欧州連合(EU)のスタノ報道官は、ウクライナには侵略国の領土を攻撃することを含む正当な自衛権があるとの認識を示した。
当面はウクライナ側が奪ったクルスク州の領土をどれだけ保持できるかが焦点になる。オーストリア陸軍のライスナー士官訓練研究所長は「ウクライナ側が効果のある戦術をとれば戦闘は長引き、(ロシア側が優勢な)東部全体の戦闘にも影響がある」と指摘する。
同州で戦闘が拡大すれば、欧州経済にも悪影響が広がる可能性がある。激戦地のスジャにはロシアから欧州に向かうガスパイプラインの中継拠点があり、ウクライナ側はこの施設を制圧下に置いた。
ガス輸送への影響はまだ報告されていないが、ロシア側が施設を奪回しようとすれば被害が及ぶリスクがある。
2022年2月、ロシアがウクライナに侵略しました。戦況や世界各国の動きなど、関連する最新ニュースと解説をまとめました。