そこに1990年代に入ると、「高い株価と高い配当がすべて」の新自由主義的経営が徐々に入り込んでいく。決定的な転回点となったのは、1997年の米マクドネル・ダグラスとの合併だった。

家族主義的なボーイングに対してマクドネル・ダグラスは1997年時点ですでに貪欲に株価と配当を追い求める新自由主義的経営に完全に染まっていた。

 

この合併は「羊によるオオカミの買収」といわれた。実際に羊の群れたるボーイングに入り込んだオオカミこと旧マクドネル・ダグラスの経営陣は、新自由主義的経営で株価をつり上げ、その株価を成果としてお手盛りの莫大な給与を自分らに出し、その一方で、「カネにならないことはしない、やめる、廃止する、解雇する」で、ボーイングという会社を根本から支えていた分厚い技術者の人材層を破壊していく。

その結果として行き着く先が、2連続の737MAXの墜落事故だったのである。

 

その後も、2024年1月には米アラスカ航空が運用する737MAXで、不要のドアをふさぐドアプラグという部品が離陸直後に吹き飛ぶ事故が発生。

また、同年2月には米ユナイテッド航空の737MAXで、着陸時にラダー(方向舵)が動かなくなる故障が発生――と、737MAXの危険なトラブルは続いている。

 

ボーイングの新型機ということで、日本の航空会社も737MAXを発注しているが、FAAが生産機数に制限をかけているため、2025年2月現在、まだ受領した航空会社はない。

 たとえ737MAXが日本の国内航空路線を飛ぶようになっても、自分はあまり乗りたくないな、というのが正直なところである。

 

というのも、2連続の墜落事故は、旧式の737の機体に、最新鋭・低燃費の大型ターボファンエンジンを装着し、その結果空力設計のバランスが崩れたところを、自動制御で無理やり安全を確保しようとしたところに起因しているからだ。

 一般に、飛行機にせよ自動車にせよ、それどころかゼンマイ仕掛けのおもちゃから自転車から工作機械に至るまで、およそ機械というものは、最初の基本設計に無理があるものを小手先で改善しようとしてもうまくいかないというのが、普遍的な真理だ。

 

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737の初飛行は実に1967年。半世紀以上前で、機体の基本設計がとても古い。これまですでに2回大改修を受けており、今、全世界の空を飛ぶ737の中心は第3世代なのだ。

なぜボーイングは新型の近距離旅客機を開発せずに、737に3度目の大改修を行って第4世代の737MAXを開発したか。それは「その方が安く済み、もうかるから」。実に新自由主義的。

 

ゼロからの機体開発はコストがかさむ。空を飛ぶためのお墨付き、FAAからの型式認定を受けるにしても、既存機の改修よりもずっと手間と時間がかかる。

カスタマーである航空会社としても、新型機の場合は新たにパイロットに機種転換の訓練を受けさせて、運航人材を育成する必要があるが、既存機の改修だとそのための手間が減る。

 

それでも、ゼロからやらねばならないときには、やらねばならないのだ。そうしないと根本的な安全が確保できないからだ。

ところが、コスト削減に目がくらんだネオリベなボーイング経営陣は、限度を超えた「小手先の改修」に走ってしまったのだった。

 

ボーイングの没落は、旅客機部門だけではない。宇宙分野でも、軍用機部門でも、このところ失敗の連続である。

結局のところ、これらすべての根本には「企業の社会的責任は利益を増やすこと」の新自由主義的経営、そして社会全体を覆った新自由主義思想という問題があったのだろう。

 

 

「うる星やつら」のワンシーン

 なんか思い出すなあ。高橋留美子の記念碑的SFコメディーマンガ「うる星やつら」(1978~1987)の「喫茶店への出入りを禁ず!!」という回(1982年1月の「少年サンデー」誌に掲載。少年サンデーコミックスでは第12巻に収録)。

 主人公・諸星あたるの通う友引高校で、「生徒は喫茶店に入ることまかりならぬ」という規則が決まる。反発するあたると生徒たち。規則を破って学校をサボり、喫茶店でダベるあたると友人たちを見て、喫茶店のマスターとその娘がひそひそ話をする。

 

 「おとうさま、これは正しくないことね!」

 「そうだね、でも……」

 「お金がもうかるからいいじゃないか!」

 

お金がもうかるからいいじゃないか!―― その後、この喫茶店はあたるたちのやりたい放題によって荒らされて閉店の憂き目に遭うのだが……ボーイングの現状は、今から43年前の「うる星やつら」で予言されていたのだった。すごいな、ノストラダムスどころじゃない。

 いや、問題はボーイングよりも、「うる星やつら」よりも、1980年代以降、新自由主義という思想が世界全体にまん延したことではないか。

 

 しかもその問題点は、1982年の「うる星やつら」がお笑いとして指摘できる程度のものだった。にもかかわらず、その後半世紀近くにわたってもてはやされ、世界各国の政策に反映され、そして今の事態を招き寄せてしまったのである。

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日経記事2025.2.28より引用