この記事はナショナル ジオグラフィック日本版サイトからの転載です。
米オレゴン州ポートランドを熱波が襲った2021年6月、ハイロックス公園を流れる
クラッカマス川で、崖の上からの飛び込みを楽しむ人々。
うだるような暑い日に、冷たい水に飛び込んだらさぞ気持ちがいいだろう。しかし、公衆衛生や初期対応の専門家は、気候変動の影響で熱波の発生回数が増えるなか、こうした地域での水難事故が増えることを懸念している。
気温が30℃を超えても、川や湖など天然の水域の水温が10℃ぐらいまでの水にいきなり飛び込んだりすれば、どんなに泳ぎが得意な人でも溺れるリスクがある。冷たい水がたちまち体の不随意反応を引き起こして、息切れ、過呼吸、意識障害が起こったり、筋肉が制御不能に陥ったりするためだ。
「私たちも、できるだけ警告を発するようにしています」と話すのは、米国立気象局の気象学者であるカーリー・コバシク氏だ。同局はソーシャルメディアに広告を出し、外が暖かくても水は冷たいことがあると、注意を呼び掛けている。
オレゴン州南部に位置するクレーターレイク国立公園のクレーター湖は、米国で最も深い湖だ。
この湖に注ぎ込む川はなく、雨と雪解け水だけが水源になっている。冬の間、水温は3.3℃前後で、
夏も表面水温が15℃までしか上がらない。
冷たい水に飛び込むと、まず「冷水ショック」(コールドショックとも)を引き起こし、反射的に息切れや過呼吸になる場合がある。このときに救命胴衣を着けないで水中に沈んでしまうと、肺のなかに水が入り込む危険がある。また、意識障害を起こしたり、方向感覚を失って水面がどこにあるのかわからなくなる。2分も経てば、手足の筋肉も動かせなくなる。あらゆることが重なって、助かるのが難しくなる。
熱波の最大の脅威は、暑さそのものだ。深部体温(脳や内臓の温度)が危険な高さまで上昇し、熱中症になったり、死に至る場合もある。しかし、熱波が発生しているときは「傷害死」の件数も増加する。傷害死とは、交通事故、暴力行為、精神疾患などに関連した傷害による死のことだが、溺死もまたそのひとつに含まれる。(参考記事:「猛暑は妊婦と胎児にどんな悪影響を及ぼすか、世界の研究」)
2023年4月6日に学術誌「American Journal of Public Health」に発表された米ワシントン大学の研究によると、2021年に太平洋岸北西部とカナダ西部で猛暑が続いていた3週間に、ワシントン州で傷害死した人数が、平年の同じ時期と比較して159人多かった。そのうち少なくとも4件が水難事故で、1人はワシントン湖でボートから落ちた娘を助けるため湖に飛び込んだ男性だった。ニュースのインタビューに答えた友人の1人は、この男性について「泳ぎがとても得意だった」と話している。(参考記事:「米西部で6月に最高気温を続々更新、なぜ? 長引く異例の猛暑」)
米アイダホ州在住のジーン・ラルストンさんとサンディ・ラルストンさん夫妻は、1980年代初頭から、
ボランティアで水難事故の犠牲者の捜索に参加している。
2019年には、オレゴン州のレイク・ビリー・チヌーク貯水池で、GPSと音波探知機を使って、行方不明者の遺体を捜索した。
夫妻が所有するボート「キャシー・G」号は、2007年に夫妻が遺体で発見した若い女性の名にちなんでつけられた。
2人は、旅費以外に、捜索に要した時間やテクノロジーの利用について遺族に費用負担を求めていない。
「自分は大丈夫」は禁物
ワシントン州西部では、今年もすでに気温が上昇し、冷たい川や湖での水難事故が多発している。これから夏に向けて水辺へ出かける人はさらに増えると予測され、政府や自治体は水に入る際には救命胴衣を着用するよう呼び掛けている。
救命胴衣を着けていれば、冷水ショックで制御不能な息切れや過呼吸が続く1~2分の間、頭を水面に出して、溺れるのを防ぐことができる。また、手足が動かせなくなっても体は沈まない。暑い日に水に飛び込みたいという衝動と、命を引き換えにする必要はないのだ。
「救命胴衣を着けて飛び込めばいいのです。そうしないと、命に関わります」と、ワシントン大学保健・世界環境センターの教授クリスティ・エビ氏は話す。
気候変動に関連する健康リスクを研究するエビ氏は、溺死の危険性を人々に真剣に受け取ってもらうのは難しいと話す。リスクを承知していても、自分は大丈夫だと思い込む傾向があるためだ。
英国では海でも注意を喚起
氷が解けたばかりの湖や、雪解け水が流れ込む川のように、冷たい水がある地域ではどこでも、冷水ショックや溺死の危険性がある。例えば、カナダや米国北部、スカンジナビアや北ヨーロッパなどで、晩春や初夏に極端な猛暑日が増えれば、水難事故もそれに伴って増加する。
2022年に記録破りの熱波が襲った英国では、海岸の水は一年中冷たいままだ。イングランド東端にあるリンカンシャー郡の消防署は2020年、冷水ショックの危険性を説明し、注意を喚起する動画を、動画投稿サイトで公開した。米オレゴン州海洋委員会も、ソーシャルメディアで救命胴衣の着用を呼び掛けている。
2022年7月28日の猛暑日に、ワシントン州エレンスバーグのキャリー湖で泳ぐ人。
安全に水を楽しもう
救命胴衣なしに水に飛び込むと、低体温症になるよりもずっと早く、冷水ショックや筋肉の制御を失うせいで溺れる危険があることを、公共機関は強調すべきだと、カナダ、マニトバ大学で運動生理学の教授を務めるゴードン・ギースブレクト氏は言う。深部体温が35℃以下の低体温症になるまで30分はかかるため、救命胴衣で水に浮いてさえいれば、その間に救助を待つことができる。
冷たい水には決して入るなというわけではない。氷が張った海や湖で寒中水泳を楽しむ人たちだっている。ギースブレクト氏は、ゆっくりと水に入り、常に頭を水面に出しておくことが大切だと言う。また、体全体を水に浸さないようにする。ましてや、いきなりそうするのは全くお勧めできない。
エビ氏も、ボートに乗る際や水に飛び込む際には、救命胴衣や浮き輪の使用を推奨する。「救命胴衣を着けて、水に入って楽しんでください」
[ナショナル ジオグラフィック日本版サイト2023年6月5日掲載]情報は掲載時点のものです。