からの続き
排撃されたアジア系移民
中国人移民の到来
最初に移民禁止措置を受けたのは、中国人だった彼らは彼らはアメリカにやって来た最初のアジア人だった。
世界的に見れば、十九世紀半ばに奴隷貿易が終わった後、中国やインドからの出稼ぎ労働者、いわゆる『苦力(クーリー)』が世界各地のヨーロッパ諸国の植民地に移動し、プランテーションや鉱山の非熟練労働者として搾取され、世界資本主義の労働力構造を支えることになった。 その一部がアメリカに渡ったのである。
カリフォルニアのゴールドラッシュに始まる中国人のアメリカ移住は、一八八二年までに約三十四万人に及んだ。 彼らは最初、ゴールドラッシュで労働力不足が生じた都市部で働いていたが、やがて山岳地帯に移動した。
しかし、白人鉱夫相手のコックや洗濯屋などをすることが多く、その後、白人が放棄した廃鉱での金採掘に進出した。 次いで彼らはセントラル・パシフィックの建設労働者として導入された。この鉄道は一八六九年にユニオン・パシック鉄道とユタで結合することになる大陸横断鉄道であり、一万人の建設労働者のうち九割は中国人だった。
この時代背景を説明すると、中国・清でのアヘン戦争が起こったなが一八三九年~一八四二年大英帝国は民地インドから大量のアヘンを仕入れ、真に売りつけた一方アメリカも一八ニ四年に阿片企業ラッセル社も一八ニ四年に広州に設立し、一八三〇年には、
ブライアント&スタージス(Bryant & Sturgis)とパーキンス商会(Perkins & Co.)がラッセル商会(Russell & Co.)と合併。 アメリカは、共和党のブッシュ一族がアフガニスタン(当時オスマントルコ領)で阿片農園を経営し、主にトルコからの阿片を清に売りつけていた。
ロスチャイルドのメインバンクであるNMロスチャイルド&サンズが、労働移民で経済が発展するアメリカに目をつけ、アーロン・パーマという代理人を使って、アメリカの市場調査とアメリカ政府へのロビー活動を行っていた。
実は、代理人にボストン財閥のペリー一族、ペリーの娘と結婚したベルモント一族(財閥)のオーガスト・ベルモントもいた。
彼らが、アメリカ政府にロビー活動を行い、清にそれまで西海岸から船航路で前期阿片証人たちを運んでいたが、時間がかかりすぎるので、東海岸から西海岸まで大陸横断鉄道を建設し、西海岸(カリフォルニア・サンフランシスコ港)から太平洋航路で清とつなぐことを政府に提案していたのである。 もちろん、大陸横断鉄道建設には巨額の資金が必要で、ヨーロッパのロスチャイルド(ロンドン家)が投資を企んでいたのである。
一八五三年にペリーが日本に開国を迫り、来航(受験線は嫌でござんすペリーさんで年号を覚えましょう)するが、メインの目的はあくまでも、当時人口四億人の巨大マーケットの清へ阿片証人たちをの輸送であり、日本は途中での燃料(石炭)補給、水・食料補給、船の修理である。
案外、知られていないが、日米修好通商条約には、ある一定の阿片を日本が購入する契約内容が含まれている。
その頃、大英帝国とアメリカによって阿片でヘロヘロになった中国人を、奴隷(クーリー)として大量に鉄道建設に当たらせたのである。 当時の清に自力でお金を支払ってアメリカまで渡航できる人はいない。おそらく、英米が、アフリカ大陸から黒人奴隷を購入したように、英米の資本家たちが彼らの渡航費用をしはらっていたものと考えられる。
あまりに低賃金の過酷な奴隷労働で、阿片による疲れを癒やし、睡眠がとれるというのは、彼ら英米の資本家たちには、都合が良かったのだろう。 逃げ出すこともできないし、中国人奴隷の暴反乱もに反乱もない(阿片でヘロヘロに支配)。
広大なアメリカ大陸での大陸横断鉄道は、いうまでもなく巨大市場である。 また、ゴールド・ラッシュ(一八四八年)があった時期というのも、ロスチャイルド、大英帝国にとっては好都合であった。
スカル&ボーンズ(米国版イルミナティ) RJ 人気記事
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/05c0c15c7d2a2bcb21cba6fc58bfb8e0
中国人排撃運動の展開
低賃金で働く中国人は雇い主には好まれたが、他の労働 それに者(貧困白人)にとっては脅威となった。中国人は中国人は非白人で、非キリスト教徒だった。 中国服を着て辮髪(べんぱつ)で、食事も異なり、文化的にアメリカに同化できないと考えられた。 州や市は、各種の中国人取締条例を制定切断という切断という刑罰が設けられたり、天秤棒を担いで街路をあるくことが禁止されたりもした。
中国人は労働者のうちでも、特にアイルランド系を中心とする不熟練の白人移民滑走労働者と職をめぐる激しい競争関係にあった。
白人労働者は、中国人が低賃金で働くだけでなく、ストライキ破りとして導入されることに危機感を抱き、一八七七年サンフランシスコでカリフォルニア勤労党を結成し、中国人排撃排撃運動を激しく展開したのだった。
カリフォルの中国人迫害をオーストラリアの場合と比較した研究によると、カリフォルニアでの中国人はじめから有色人種として白人よりも劣る存在とされ、また暴力の程度も酷かった。 両地域の差異は、アメリカでは中国人が流入して、人種主義、人種主義が確立していたことに原因があった。
南部における奴隷制度と、強力な先住民イ存在のために存在のために、白人と非白人という二元的な人種主義が法的制度として、すでに確立していたからである。
カリフォルニアでは、州人口の三分の一を占める南部出身者が、奴隷制度の下で養った人種偏見をそのまま持ち込んでいたのである。
カリフォルニアの排撃
運動の影響を受けて、一八二二年に連邦議会はついに、アメリカ史上最初の移民制限法である中国人排斥法を制定し、中国人移民の入国が一切禁止された。
チャイナタウンの特殊性
この移民禁止法、そして白人による迫害のために、アメリカの中国人コミュニティは特殊な性格を帯びた。
中国人は自衛の必要から『チャイナタウン』に身を寄せ合って生活するようになった。
中国人には洗濯屋とか中華料理店、八百屋、土産物店など、自営業か召使の職しかなく、白人との競争を避けるために、店はチャイナタウンにあった。
中国人はアメリカの労働市場から排除されて、隔離された生活を行っていたのである。
中国人は出稼ぎ移民として単身でやって来たから、チャイナタウンの住民は圧倒的に男性だった。
しかも中国人移民の渡来が禁止されたために、女性を呼び寄せることもできず、大多数は正常な家族生活を営むことが不可能だった。
一八九〇年、女性一人に対して二十七人の男性がいたという。 一九三〇年になっても比率は一対四であった。 そのため、米国への中国人売春婦の密輸が盛んになり、チャイナタウンには売春とそれに寄生する暴力団組織が発達し、阿片などの麻薬や賭博がはびこることにもなったのである。
日系移民
入国を禁止された中国人移民に代わって増えていったのが、日本人移民である。 明治維新以後の日本人は、海を越えて移動を開始した。 まず北海道に、それから樺太(サハリン)、朝鮮、台湾、中国、東南アジアに、そして南北アメリカに移住した。
日系アメリカ人はそのうちの一部なのである。
当時、アメリカの個人所得は日本の十倍とされており、アメリカは野心ある青年を惹きつけていた。 移民の半数以上が、二十五歳以下で、彼らの念願は千ドル、当時の為替レートで二千円を帰国して帰国して故郷に錦を飾り、農地を買うことだった。
日本人移民が出稼ぎ型だった一つの理由は、アメリカの法律が日本人に市民権取得を禁じていたことにある。
はじめ日系移民は単純労働に従事したが、借地農民、さらに土地所有民へと上昇する者が増えた。 日本人は誰も見向きもしないような荒れ地を、もちまえの勤勉と優れた農業技術で、肥沃な土地に魔法のように変えた。
特にイチゴ、アスパラガス、セロリ、トマトなど、『腰をかがめる作業』が必要な農産物で成功したのである。
やがて、日本人に対しても激しい排撃運動が盛り上がっていった。 日露戦争後、日本が急速に強大化したために、黄禍論(イエロー・ペリル)が叫ばれたのも特徴だった。 一九〇七~〇八年に日米政府間に『紳士協定』が結ばれ、日本政府は日本人労働者のアメリカ向け旅券の発行停止に同意した。
再渡航する在米の労働者、また在米労働者の両親、妻、子供、また官史、学生、商事会社社員、および旅行者などに対しては引両券を両券を発行しても良かったが、『労働者』と『職人』の渡航は禁止され、日本人移民の渡航は減った。
次に、日本人の農地所有を禁止するための立法運動がカリフォルニア州で起こり、一九一三年、最初の外国人排斥土地法が成立した。 類似の法律が他の多くの州でも採択された。
そして排日勢力は連邦議会に働きかけ、ついに一九二四年、移民制限法野中に、アメリカ政府は日本人移民の全面的禁止を盛り込むことに成功したのである。
移民制限運動とその後
背景にあった社会不安
しかし移民制限運動はアジア系に対してだけでなく、ヨーロッパからの移民を含め全般的に、十九世紀後期から二十世紀初頭に高まっていった。
その第一の理由は、移民数の急増と移民源の南・東ヨーロッパへの転換だった。 なにしろ一年に百万人を超える移民がやってきたのである。
また、移民の服装、言語、風俗習慣などがアングロ・アメリカと異なり、感覚的な嫌悪感を引き起こした。ネイティヴィストは非難の的を新移民に絞り、彼らを十羽一からげに劣等人種として描き、新移民の流入はアメリカの同化能力を越えているとして、アメリカの将来について危機感をあおり立てたのだった。
このような危機感の背後には、資本主義の発展による階級対立と社会問題の激化があった。 特に不安感をかきたてたのは、労働運動の高まりだった。
自由の女神像が建立された一八ハ八六年(明治一九年)には、八時間労働を求める運動が五月一日の大示威運動となって盛り上がり、メーデーの起源となるが、五月四日にはシカゴのヘイマーケット広場で労働者集会の解散を命じた警官隊に向かって爆弾が投げられ、警官側死者七名を含めて
多数の死傷者が出て、警官殺害を教唆(きょうさ)したとの科(とが)で八名のアナキストが裁判にかけられ、四名が死刑となった。
そして一八九〇年代には、労使対立と政治的抗議運動がさかんに高まった。
移民は労働者の大きな部分を構成しており、労働運動の急進的傾向は移民の責任に帰せられたのである。 一八九〇年(明治二三年)の国税調査の報告書でフロンティア・ラインの消滅が宣言されたことも、もはや移民のための余地はアメリカには残されていないのだという感情をかきたてられたのだった。
高まった人種主義
注目すべきは、反移民感情が、南・東ヨーロッパ人を北西ヨーロッパ人に比べて劣等だとする人種主義思想と結びついたことである。
それは折から南部を中心に高まった黒人差別主義と関連しており、またフランス人ゴニノーによって唱えられた人種不平等論と結びつき、またダーウィンの弱肉強食の進化論とも結びつき、新移民攻撃のための武器として自然科学が援用されるようになった。
その他に、七つの海を制覇したアングロ・サクソンこそ最上の人種だという信念もあった。また大部分がカトリック、ギリシア正教徒、ユダヤ教徒である新移民の増大は、プロテスタントの国アメリカにとってゆゆしい事柄だった。
著名な牧師ジョサイア・ストロングは『我々の国、その将来と現在の危機』(一八八五年)を著し、カトリック教徒はアメリカではなく、ローマ教皇に忠誠を誓うのだと論じ、一般からも強い支持を受けた。
こうして新移民はアメリカ産業社会の未解決の問題についての『犠牲の羊(スケープ・ゴート)』となったのである。
こうして移民制限を求める様々な団体が起こった。アメリカ保護協会は、ローマ教皇がアメリカ制服を目指している徒宣言し、カトリックの政治圧力を制限し、アメリカ的制度を守ることを目標にした。
移民制限連盟はワスプ(WASP)的知識人を中心に結成され、新移民の生来的劣等生を唱え、移民制限運動の先頭に立った。
しかし移民制限論者は人種主義者だけではなかった。 社会問題の解決を重視する立場から様々な社会改革者が移民制限を唱えたのである。 新移民との競争による賃金低下と失業を恐れて、労働指導者たちもそれに和した。
彼らは、移民労働者が低賃金を受け入れ、長時間働き、スト破りとして利用され、アメリカの労働者の水準を切り下げる徒主張したのである。
日系移民の競泳収容所送りという不幸な歴史があったが、これはアジア人差別と、非キリスト教徒、この日本人が低賃金でも暴れず受け入れ長時間働くといった文化も一因あったのだろう。
何せ、同じ容姿をもち、同じキリスト教徒である白カトリックとカトリックとプロテスタントという違いだけで酷い差別があるのだから。
(アメリカの歴史シリーズ 関連資料)
・ロスチャイルド財閥ー354 アメリカの歴史ー13 イギリスからの移民
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/de61f4da665308b114fbb4d7db63985d
・ロスチャイルド財閥ー355 アメリカの歴史ー14 ドイツ系移民
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/15a7f400915e2a71d0fc0c3a51d03cac
・ロスチャイルド財閥-356 ドイツ第一、二、三帝国とは
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f308fbcee48d50583bda46a6298069dc
・ロスチャイルド財閥-357 アメリカの歴史-15 北欧系移民
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ded59146873e462b286f88e0fb4ee82d
・ロスチャイルド財閥-358 アメリカの歴史ー16 アイルランド系移民
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2dcba0475a1204638b915d5dfd17f3be
・ヨーロッパでのハロウィーン、クリスマス、そしてサンタクロース(聖ニコラウス)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/db3151190683a6a0de87586277abf4b4
・ロスチャイルド財閥ー347 アメリカ影の政府と言われるCFR(ロスチャイルドとロックフェラーが出資)の歴史概略
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/83fd467338774d9126ff5db3a40c110d
・ロスチャイルド財閥ー346 【ロスチャイルド家】世界を裏で牛耳る一族の始まりと繁栄https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/94b4ab90bd14a2b6217a50eb7db7c83f
・ロスチャイルド財閥-359 【馬渕睦夫】事実上、アメリカより力を持っているのは、戦後ずっと●●です! 【ひとりがたり/振り返りpart304】https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/83a57020c55e429cd5533f17b50111a2
・ロスチャイルド財閥-360 アメリカの歴史-17 南・東ヨーロッパからの新移民
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/74a4a048a60ec4c43bd8cf8763c9fb59
・ロスチャイルド財閥ー361 アメリカの歴史ー18 旧移民から新移民(南・東ヨーロッパ)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0cd379ea0d9a0d1f488986136381625e
・ロスチャイルド財閥ー362 アメリカの歴史ー19 南・東ヨーロッパからの出移民の背景https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/31c0d80f5dea734b62ea71cac2b1e275
・ロスチャイルド財閥ー363 アメリカの歴史ー20 大西洋経済圏の発達とペリー来航https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2b44e8108830dc88f9329852e43a396c
・ロスチャイルド財閥ー364 アメリカの歴史ー21 アメリカ産業労働力の構成https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e8b9a73a8a95ecc3e8e50d8461a778fa
・ロスチャイルド財閥ー367 アメリカの歴史ー22 メディア支配に対する警告
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/901bf0902d5cbbf21a1779896c29e633
・ロスチャイルド財閥ー370 アメリカの歴史ー23 移民の作ったエスニック社会 彼らの住んだ居住環境
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