アリストテレスは「宇宙がもし、ある時生じたとするならば、宇宙はそれまでの間無限に存在しなかった事になる。無限に存在しなかったものが、何故ほかならぬその『時』に生まれたのか」と問いかけ、宇宙は無限の時間を含んでいると考えた。
アリストテレスの考えの中には、宇宙の存在とは別個に時間だけは一様に流れているという暗黙の了解がある。
時間軸のある時点で宇宙が誕生し、それ以前はなにもない世界は考えられない、と彼は言いたかったのだろう。
しかし現代の宇宙論は二重の意味で、アリストテレスの見解に異をとなえている。
つまり、宇宙は無限に存在するのでは無く、ある時「生じた」のである。そして奇妙な言い方だが、「時間」もまたその時「生じた」のである。
宇宙論の世界では宇宙は今から150億年前の大爆発で誕生したとする『ビッグバン』理論と、宇宙は過去も未来も現在も変わらないとする『定常宇宙論』(フォイルの理論)の二つが、長い間ライバルとして競っていた。
『ビッグバン理論』によれば、時間は無限の過去から無限の未来へと切れ目なく流れる。
1965年ビッグバンの火の玉時代の名残である宇宙背景輻射(3度K)が発見され、宇宙はある時生まれたのだという事が確実になった。
では宇宙はいったいどこから生まれたのだろうか?そして、時間はどの様にして生じたというのだろうか。
新しい宇宙論は「始まり」への問に思いもかけぬ回答を与えている。車椅子の天才物理学者として知られているイギリス・・オックスフォードを主席で卒業し、ケンブリッジ大学院で学び現在ケンブリッジ大学のルーカス記念講座教授に就いているS.W.ホーキングは、宇宙を素粒子と同じ波動方程式で、記述した。ミクロの世界では電子やクォークといった粒子が絶えず生成と消滅を繰り返す。
宇宙もまた素粒子と同じように生まれたり消えたり出来る、とホーキングは考えた。彼の方程式によれば、時間と空間をあわせた四次元時空は、ゼロ次元の世界から、ある確率で突然生まれてくるのである。
ゼロ次元とは、時間も空間も存在しない『無』の世界である。この理論に依れば、宇宙は時の流れのある時点で、誕生してくるわけではない。時間さえも存在しない虚無の中から、時間をかえた状態で我々の宇宙が誕生するのである。
ホーキングとは別のアプローチで「無からの宇宙創造」を導きだしたアメリカの物理学者ビレンケンは「気違いじみているように思えるだろうが」とか「奇妙に思われるかもしれないが」などと、自分の論文に断りを入れてる程なのである。
一口に時間といっても、いくつもの時間が存在することに触れておく必要があろう。宇宙的規模のスケールで流れる「宇宙時間」、原子や分子の世界の「ミクロ時間」また、我々の感じる「心理的時間」などである。
一般的に心理的時間は、「熱力学的時間」と同じものだと考えられている。「熱力学的時間」とは、万物は放っておけば秩序から無秩序」へと向かうというエントロピー増大の法則に基づく時間である。
ミクロの世界では時間の対称性が成立しており、ミクロの世界は過去へ戻る事が可能だ。しかし、熱力学的時間は割れたポッドがひとりでに復元されるような過去への逆行を禁止している。
ミクロの世界で許される時間の逆行が、マクロの世界では出来ないことに多くの科学者は首をひねり、まだ納得のいく答えは出ていない。こうした時間がいつも全て同じ方向に流れるとは限らないことをホーキングは示した。
宇宙時間が未来に流れてるのに、我々の心理的時間が逆に過去を見ているようなことが起きうる、と彼は言ったのである。現在膨張している宇宙は、遠い将来に収縮へと転ずるかも知れない。
ホーキングは宇宙が収縮に転ずるとエントロピーが減少するようになるので、割れたポッドがひとりでに復元するような現象が時間の向きとなる世界が現出するという。
しかし、我々にとってエントロピーが増大する方向が未来なので、収縮していく宇宙も相変わらず膨張してるように見えるだろう、というのだ。
ホーキング説が正しければ、我々が膨張してると思ってる宇宙は実際は収縮中ということも考えられることになる。もしそうだとすれば、我々は何時なんどき『無』の深淵へと逆戻りするかも知れない恐ろしさがある。
ホーキングの奇妙な時間逆転の説は、多くの科学者を面食らわせることになり、「時間」という不可解な存在に新たな『謎』を一つ付け加えたのである。