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「トンネル抜ければ 海が見えるから
そのままドン突きの 三笠公園で」
このようにクレイジー・ケン・バンド「タイガー&ドラゴン」で最果てのように歌われる町。横須賀。
「ドス黒く淀んだ 横須賀の海」を私はもう何十年も見ている。
生まれた町を客観的に見るのは難しいが、横須賀は「近くて遠い」町である。
「遠さ」にはいくつかの面がある。
まずは、政治的な「遠さ」。
金網の向こう側は米軍基地、別の国だ。基地の在駐は、今でも町に独特の陰影を与えている。
なぜか携帯ショップで外国人ばかりが受付待ちしていたり。
だが、なんらかの文化を発信するオーラは、もうない。
もう一つは歴史的な「遠さ」である。
戦中・戦後の名残が、あちこちに点在する。
三笠公園には、軍艦「三笠」があり、艦内は資料室になっている。「三笠」は日露戦争時、日本海海戦でバルチック艦隊を破った。有料なので、入ってみたことがない。
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公園の入り口には東郷平八郎の銅像があり、土産物屋にはフィンランド産「東郷ビール」が売っている。
米が浜通を抜けた、湘南学園の向かいに、料亭「小松」がある。
ここは、明治18年創業、海軍士官がよく利用したという。東郷平八郎や山本五十六の書もあると聞く。横須賀の人間ならば一度は「小松」での宴会を夢見る。
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戦後、この町には「公娼」があった。平坂上の上町の方である。そのあたりは、自らの母のルーツを辿る山口瞳の『血族』で知った。山口瞳は資料を渉猟し、母の出自を追い詰めていく。鬼気迫る作品だった。
また、坂の下、安浦は「私娼」で賑わった。つい最近まで赤線地帯は細々と営業を続けていたらしい。
しかし、安浦も駅名が「県立大学前」に変わり、埋立地に高層マンションが立ち並び、そんな面影は残っていない。
石内郁『絶唱・横須賀ストーリー』という写真集がある。
僕はこの写真集を、図書館の郷土資料コーナーで見た。
僕が生まれた年、1977年の横須賀が写し取られている。
粗いモノクロームの写真から、知らない町の姿が浮かんでくる。
僕が通っていた中学校は、かつて刑務所があった場所で、その刑務所が写っていたりする。
僕は、この写真集を見ていると、自分と横須賀との距離を、相対的に測定できるような気がして、時々図書館に行って、ページを繰ってみる。
生まれた町に対して、ネガティブなことばかり書きすぎただろうか。
ドン突きから始まるものだってあるし、淀みだって時には輝く。
僕は町との距離感を、より精確に見定めたい。