新聞に工事による道路通行止めの知らせが掲載されていたらしく、義母はいやにしつこく私たちに警告していた。
私たちがよく使う道路であることは確かだ。
さて、その朝、私はかなり重い荷物を持って外出しなければならなかった。こういった時には夫の出勤ついでに、途中まで乗せてもらう。
義母にそれを言ったら彼女はいやにむきになって反対した。
「ハーゼは高速道路方向に走らなくてはなりません。りすを送るためには通行止めの場所を迂回しなくてはならないので無駄な走行になります」
というのが彼女の意見だ。
まあ、間違ってはいないので納得した私は夫にバスで行くことを伝えた。
すると、彼は一気に不機嫌になった。
「母に説明します」
一緒に出かける私たちを不満そうに義母は見送っていた。

迂回路は左右にある。
義母はなぜか一方向にしか発想ができなかったようだ。
夫が私を送るときはいろいろな道を使っていて、この通行止めの道が必ず必要なわけではないんだ。
誰でも思い込みが強くなり、一つのことにしか頭が働かないことがあるが、高齢になるとその傾向が激しくなる印象がある。
私たちが「いや、そうでなくても、こうできる」と提案しても、自説をなかなか曲げてくれない義両親たちには私だけでなく、夫も辟易している様子だ。
「老いては子に従え」という言葉は欧州にはないのだろうか。
義両親たちはいまだに子供(子という家族でのつながりの関係の呼び方で、すでに子供じゃあない我々!)の言うことに従わない。
いつまでも親が子を支配しようとしていると、子が萎縮してしまうのではないか、とも思える。
私は義両親の子じゃあないが、もう、萎縮しまくっているもんね。
家の中で自発的に何かをやってみようという気が失せてしまっている。
畑で何かを植えてみたい、といつも思っていたものだが、提案すると即行却下か、義母の計画によってそれが実行されてしまう。
すそ上げなど簡単な縫い物を自分でやろうとしても、ちょいと相談するとちゃっちゃと彼女が仕上げてしまうので、最近は、自分でやらないことに決めちゃった。
もっと深刻と思われるのは、義両親たちは自分の息子娘たちが自分たちの思うとおりになっていないといつも考えているように感じることだ。
息子の部屋の荒れようとか、働きすぎの様子とか、肉を食べないこととか、変な東洋人ヨメだとか、普段は口にしないのだが、ときどきポロリと「いつも問題ばかりだ」と義父がいうとびっくりさせられる。
こういう人たちは、満足することがないのかもしれない、と諦めるしかない。
欧州の親たちは子を支配する傾向が強いから、子供は早く独立したがるのか、とも想像している。
義姉などは大学進学時に家をでて、それから実家で暮したことは一度もない。
嫌だったのだろうなぁ、親に一挙一動をいろいろ言われるのが・・・と、私は彼女を理解できるぞ!
姪が就学前に全く読み書きができなかったことを義両親たちは嘆いていたものだ。
きっと、義姉もそれを知っていたに違いない。
彼女は彼女のやり方で子育てしてきて、実際、甥や姪はきちんと育っている。
私も今から気をつけている。
年齢だけでなく、新たにドイツに居住する日本人たちにも学ばされることがあったりする。
イスラム教徒の生活の仕方やものの考え方も面白い。
違うもの、新しいものにいつも気を配って、自分を固定化させないようにしたい。